やりすぎ
やりすぎ
130cmの新作ですが。
前作は良かったんだよ前作は。世間では鬼まり。で一悶着起きた事もあって鬼うた。+鬼まり。は若干辛めの評価を受けることが多いですが、鬼シリーズは嫉妬修羅場に愁嘆場ウエルカムな僕のような人間からしたらそれはもう素晴らしいゲームでした。まずビバ・黒髪、ジーク・ヤンデレ。このコンセプトが素晴らしい。設定の勝利。言うなればビルゲイツの息子のようなもので生まれる前からすでに勝利に紐つけられて成功が馬車に乗って向こうからやって来ているんです。これは『眠れる花は春を待つ』の感想なのでいかに鬼まり。がヤンデレ好きのつぼを得ていたかについては割愛させていただきますが、ワゴンで投げ売りされていたこともあってプレイした当時久しぶりに胸のすくような思いがしたものでした。鬼うた。の魅力を支持している要素としてひとつだけ言及させてもらいたいのですが、これはテキストがしっかりしています。ヤンデレを取り扱ったゲームはそれなりの数が存在していますけれど良いヤンデレというものはなかなか見つからないもので、鬼うた。とそれらとの違いがどこで生まれたろうかと考えた時にテキストが読めるものだということが直ぐに浮かんできます。少なくとも読んでいてケータイいじりたくなったりしません。悲しい主張ですが昨今のエロゲーのテキストの質を鑑みるとそれなりの価値を持っていてこれによって鬼うた。は凡百の病みゲーと一線を画した存在になっています。
ところでこの眠れるなんとやらの話に移りましょう。一つ言わせていただくと、
やりすぎ。
やりすぎです。スタッフ日記にもありますがこのゲーム、ビバ・黒髪、ジーク・ヤンデレというコンセプトを前作から引き継いでいます。いわば根元の光る竹の中から生まれたゲームな訳ですがそれがいかにして失敗に終わったかについて考えていきましょう。合言葉はやりすぎ、です。
・世界観が濃すぎ
基本的にヤンデレというのは現実味のない存在です。実際に目の前に来られたら僕だって心のドアを閉めます。ところが美少女ゲームを楽しむためには現実味というものは必要不可欠で例えばファンタジーなど全体としてはぶっとんだ世界観であっても部分部分でリアルな生活の描写があることが物語世界への没入を助ける役割を果たしています。現実味の無いヤンデレの場合特に「こんな美少女(重要)が存在してもいいんだよ!」という説得力をその他全ての要素でもって演出して作り出す必要があるわけです。実際、鬼うた。の場合は登場人物達が普通の、少なくともある程度プレイヤと経験を共有できる程度に普通の学園生活を送っていました。電車で登校して放課後は街に出ました。神社でイベントを行うために主人公は神社庁に提出する申請書類を書き上げなければいけませんでした。これらによって、これら現実的な行動をヤンデレヒロインと分かち遂行することによって「そんなんないから」が「まあ…そういうこともあるか」に変わっていくわけです。CG集、設定集とゲームとの違いはそれが可能であるという点にあります。しかるに眠れる花は春を待つ。主人公はなんかよく分からん財閥の御曹司です。財閥のトップは十代の女の子。それも生まれてこの方帝王学を仕込まれていた訳でも何でもなく両親の死という必要に迫られて。さらにエロゲーにありがちな不幸体質。「これで誘拐38回目か……」なんてセリフを吐かれた日には目もあてられません。他にも座敷童子、魔法使い、バトルメイドとどこぞのRPGのパーティーと見間違わんばかりのとんでも設定のオンパレードがゴーズオンで起動からしばらくして僕はそっとiphoneを手に取りました。
・好き好きアピールが不自然すぎ
キミ達はそれしか考えていないのかね。日常を描く気はないのか。世阿弥も言っていました。「秘すれば花なり秘せずは花なるべからず」「感動とは珍しさとみつけたり」フランクに言ってしまえば前振りが重要ということです。一方本作では主人公好き好きのエピソードばかりをぶつ切りでお届けされた訳でいくら温厚な僕でも下顎がぴくぴく震えるのを隠す事は出来なかった。
・修羅場がわざとらしすぎ
修羅場をね、コミカルに日常的に書こうという意思は伝わってきました。鬼シリーズではヒロイン同士基本的に仲良しでしたから主人公を巡る恋の鍔迫り合いのようなものは散見されましたがそこ止まりでした。姉と姉の親友がヒロインではそう無闇に対立させるわけにもいきません。その代わり数は少なくとも大きな修羅場をどんと作ったのでした。やはりヤンデレといえば嫉妬、嫉妬を演じる桧舞台が修羅場ですからヒロインの仲は険悪であった方が好ましい。これはヤンデレというコンセプトからスタートした時の自然な発想で眠れる花は春を侍つでは実際にそこのところで前作との差別化を図ったのでしょう。いいと思うんですよ。期待してしまうんですよ、買ってしまうんです……。しかし残念ながら(本当に残念です)期待は外れてしまいました。何というか、弾が切れたというのか。初めはきちんとコミカルな修羅場が出来てたんですが次第にネタが切れてワンパターンな怒鳴りあいと私とあの人どっちが好きなんですかあいになってしまってよもやある種のアルゴリズムで文章を生成しているのではなかろうかという疑念が浮かんできた時点で万事休すというところでした。
・主人公が屑すぎ
・一途すぎ
一途にね、想ってもらうのはいいんですよ。でも自分が一途に想っちゃ駄目でしょうヒロイン沢山いるんだから。それはプレイヤの仕事であってキミ(主人公)の仕事じゃない。物語がそれを要求するにしてもやはり限度と言うものがありましてそれを超えると僕のような人に「やりすぎ」と言われます。萌えゲーはシナリオ頑張っちゃいけないとは言いませんが、少なくとも萌えを殺さない程度にとどめておく必要はあるんじゃないかなと愚考するんですがそれじゃあきまへんか?