最後までやろう。
この作品の素晴らしい箇所は、トゥルールートにおける点のみである。
またキャラとしての魅力は、祝福のカンパネラのキャラクターメイクセンスを遥かに凌ぐ勢いがある。
見所は、リースリット・ノエルがかつての戦争で兵器として使用されていた大量移動装置を破壊しようとするのを、主人公とヒロインの2人が止めるシーンである。
(オーガストが意図しているかは別として)このシーンから読み取れることは、2つある。
1つに、主人公とヒロインはリースが先回りして芽を摘むのは良くないとしていることから、進歩主義であること。
もう1つに、3人のうち2人による意見(端からみれば多数決)で移動装置を破壊しないことを決定したにもかかわらず、リースがもし兵器として使用される可能性があれば破壊することを認めた点から、少数派の権利を守っていること(すなわち立憲主義的であること)。
少々の無理はあるが左翼、あるいは古典的自由主義(リベラリズム)の系譜と読み替えることができなくもない。
ただし、エステルルートにおける菜月の「会ってもいないのに嫌うのはおかしい」をこの論評の引き合いに出せば、想像に難くない。
以上は私の妄想である。この作品が政治的主張を持つかどうかはともかくとして、妥当な根拠に基づきゲーム内のキャラクターが発言しているのだと思うと、しっかりとできている。