世の多くのエロゲは、過度に情報を与え、ピンからキリまで人物の心の内を透かし、まるで噛み含んで読ませてくれるような形を執る。本数をこなしていく内に、いつの間にかユーザー側もそれに慣れきっている感があるけれど、本作はそうした親切設計をあえて廃して、その分比較的叙情性を高めた風に見える。エロゲというより紙媒体の普通の恋愛小説風味。表記こそ易しいが、読者は想像力を目一杯膨らませて自力で行間から機微を読み取らなければならない。考えてみればそれはテキストを読む上で当たり前のことなのだけれど…。
>「感覚の違い、って言うのかしら。問題を作る人間と私の解釈がいつも食い違うのよ」
>「例えば、その時の心情を述べよみたいな問題があったとして正解した試しが無いの。そういう問
>題こそ、蒼司は得意でしょう?」
学校教育は、国語や文学の授業で『普通の人の、普通の物の考え方を察する』訓練を私達に課したけれど
アレの本質は、標準と定められた特定の価値観の刷り込みに過ぎなかったりする
社会を形成する上で便宜上、認識の共有というものがどうしても必要になるから
人間はスタンドアローンに出来ている
自分と他人の『物の考え方』が異なっているのは当たり前だ
それこそエスパーでもなければ、他人の心の内など完璧に正確に把握することは出来ないだろう
ヒトはその本質として他人のことが"分からない"ようになっている
プログラム・アズライトの研究チーム、少なくとも主任のラピス・マーレ個人は
人々の間に起こる諍いは、互いの不理解に原因があるのだと考えた
電子機器へのインターフェイスとして開発されていたそれが、人の意識を電脳的に繋ぐことが分かった時
その機能が諍いの解消の一助になるのではと期待を抱く
しかし人の為に創られ、人の為に在ろうとする青い少女達は、その理念に反して誰のことも幸せにはしない
>「ボクは、ボク達は多くの事を識る事が出来る。人に見えない物を見て、人の出来ない事が出来る」
>「それはもしかして……実はとても大事な何かを失ってるのかもしれないって、思った事は無い?」
青い少女達の企みは作者の見えざる手によって失敗を運命づけられていた
それは氏の思想の表徴なのかもしれない
人々が分かり合う為、齟齬の解消の為としても、認識や価値観を一つに束ねるのは誤りであると
対案として示されたのはおそらく、主人公やヒロイン達のグループの在り方
>「私と蒼司は、立場が違いすぎる。お互い、見ているものも見てきたものも、目的も、生き方も。
>全然違うの、それは分かるわね?」
>「うん、わかるよ」
>「だけど、だからこそ自分の持って無いものを持ってる相手に『して欲しい』事がある。だけど、
>私達は友達とも言えないわ」
>「きっと普通ならもうとっくに友達だけど、そう言えない理由が多すぎるの」
>「だから、歩み寄りが必要なの。相手の流儀に合わせて、ね」
人は互いに違っていてもいい。分からなくてもいい
それでも歩み寄る意思さえ忘れなければ、人は信を築くことが出来るのだ、と…
そういった作者の想いが本作から伝わってくる
プログラム・アズライトの持つ拡散性
人を自動的に侵したり、一人でも多くの人間に自身を広めていこうとするその働きは
共に凍結されていた少女とプログラムと双方の希求が融合し、その後変節したものだ
少女は「世界が見たい」と言った
これは2通りの解釈ができる
一つは文字通りの意味で、アクアリウスを出て各地を巡って見聞を広めること
もう一つは、他人と交流を持ち異なる価値観に触れ、それによって自身の内的世界を拡張していくこと
どちらにしても名を忘れられた少女、両親からも疎まれた子供時代を送った彼女は
(彼女自身の自覚は疑わしいが)その台詞から人や、人との繋がりを渇望していたことが推量できる
(エヴァンゲリオンに出てきた、零号機と融合したヒモ型の使徒を想起させられる)
だけど青い彼女らがやったように、マスター達の精神を侵食して認識を合一させた場合
どれだけ多くの人間とアズライトで意識を繋いでも、得られる心の世界の広さは一人分にしかならない
認識の画一化は、実は己の内的世界を小さく規定してしまうのではないか
考えようによっては、そういった意味でも彼女達の計画は端から破綻していたのだと云える
アーコロジーを舞台としたことで、本作が抑圧と解放を題材に扱うであろうことはプレイ前から何となく予想できるのだが
加えて蒼司とアズライトの扱う構造体もまた、彼らの心の枷を象徴しているように思う
件のあの青い立方体は、私にはまるで閉じた匣(はこ)のように見えた
(ちなみに敵が使うロックアイスみたいなアレは、彼女らの不完全さの象徴だった様に感じられた)
彼らは一体何に抑圧されるのか?
主人公やヒロイン達はそれぞれの事情で『やるべき事』と『やりたい事』の狭間に喘ぐ
蒼司は犯罪結社ゲンチアナのボスの養子として、子供の時分から彼らの流儀を叩き込まれて育つ
極めつけのリアリストであり、保身や栄達の為に常に抜け目なく立ち回る
そんな彼には自身の望みというものが無かった
常に『やるべき事』に追われて、自身の事を勘案する余裕が無かったと言った方がいいのか
大切な人が出来て初めて、彼は物事の優先順位を私的な動機で捻じ曲げることになる
アズライトには記憶がなかった
そのアイデンティティは青い少女達と溶け合って区別がつかなくなっていた
目覚めた当初の彼女が「ソージの側に居る」ことに拘ったのも、彼の役に立とうとしたのも
それらはソフトウェアにプログラムされた、謂わば本能のようなものだったのだ
しかし主人公達と過ごす日々の中で、誰かに作られた動機付けに過ぎなかったそれらを
彼女は自分なりに消化して自身のものへと変えていく
主人公のことが、皆のことが好きだから、彼らのために行動する
アズライトは誰に強いられたでもない自身の『やりたい事』に気づく
長くなるので割愛するけど、他のヒロインもそれぞれ責務と願望の狭間に進むべき道を見出していく
本作の主題は「自分の思うように生きる」「やりたい事に素直になる」といった類のものだが
これは先述の『自分とは見解を異にする他人の尊重』の裏面なのだと思う
立場とか責任とか役割とか、そういった物ばかり気にして雁字搦めになってる人達へのメッセージ
自分の我儘に、ちょっとばかり寛容になってみる
生じる問題はその都度努力と対話と、周囲の人達の協力とで克服していけばいい
>「──世の中には出来る事と出来ない事がある。いくら目的と夢と志を持って居ても出来ない事は、
>出来ない」
>「でも、出来ることは、出来るよ」
ただ、エロゲオタって他人様に大声で言えないアングラな趣味に走って好きなことやってる分
抑圧を跳ね除けてかなりフリーダムに生きてる部類だと思うのです(笑)
私この作品大好きだけど、多くのユーザーの共感を獲得するのは難しいんじゃないだろうか
同好の徒には勧めにくい