休息と再起の物語。ゲームとしてひたすらに美しくてカッコイイ。音楽とムービーの破壊力が凄まじく本当に心揺さぶられる作品だった。
心折れた人たちの、休息と再起の物語。
再生への物語が大好物な僕にとって印象深いゲームとなりました。
「自分に弱さがあると、欠落があると自覚すること。そしてその上で、それを含めて自分自身を認めること。いろいろ試して、失敗して。そうすることで、いつか来る『その時』に備えるんだ。いつかの彼女が、そうして一歩、踏み出したように」
これはアイルートでの司の言葉ですが、胸を打たれた言葉は挙げればキリがありません。自分の弱さを肯定し、それでも前に進む。そんな言葉が終始僕の心を刺し続けました。
少し気になった部分について。
世界が仮想現実で多くの登場人物は人工知能、アイも人工知能。
流石に気付いてしまいました。ももちゃんが伊砂先生に問うまでもなく。
もう少し上手に脱臭されていればカタルシスがあったのかなとか。
あるいは、いっそがっつり臭わせた上で、分岐後のヒロインとの親睦を深めていただきたかった。「偽りのこの世界で、でもおれたちの気持ちは嘘じゃない…!」的ななにかで。
(今回、構成上大舘さんとももちゃんが一種のifストーリーというか、シミュレーション結果の一例というか、実質サブというかに収まってしまった感じもあるので……)
全体的に、このゲームはカッコイイんですよ。
塗りも、萌え絵というよりはむしろ絵画ですし。(美しくて好きですが、申し訳ないことに正直抜けません……)
カッコイイを最優先しすぎている。カッコイイの名の下に説明を省いたり、逆に説明してしまったりする。(試してみるんだ、もう一度 のフレーズはもう少し数を絞ってもよかったかも)
ゆえに拾いきれない部分が出てくる。
英語の最後が大文字であるとか。trueルートまでの道中の煙に巻かれる感じだとか。
不満というわけではないですが、よくわからなかった中でも、一番クリティカルなものは以下の2つ。
・いかにしてアイが生まれたのか(いかにして"新田"司が生まれたのか)
・いかにしてアイは、ユウと異なるメンタリティを持つにいたったのか。(いかにして新田司は、二上司と異なるメンタリティを持つにいたったのか)
アイはユウのコピーであり、司への思いや知識、外見などは同じあるいは似ています。
しかし二人に差があったことは明白です。では、その差はいかにして生じたのか。
僕が考える限りでは答えが出ませんでした。
ただ、コピーができたという点で、司とアイは似たもの同士であり、惹かれあうのもアザをもっているのも得心が行きました。
「殻を打ち破るための弾丸」という表現が好きです。
この御雲島では、あくまで「自分がなにをなしえるか」ということに注力しています。
プレゼン、資格勉強、ゲーム制作、ピアノ。
誰かが獲得すれば誰かが失うゼロサムゲームな発想が本当に少ない。
あくまで、自分がやると決めてやれるかどうか。
世の中で戦っていくためのものを刻めるかどうか。
疲弊した戦場でそんな武器を研ぐのは、難しいことでしょう。
御雲島はそんな力を溜める場所。
「殻を打ち破るための弾丸」
それは、心が折れて、弱さを知り、無力感に苛まれても、
人を頼って、休んで、それでも戦う意志を携えたそんな言葉。
このゲームの破壊力は、OPの主題歌のムービーにあります。
Re:Trymentの歌詞、音、動画。それらの嚙み合わせが
美しい、心地よい、もうなにもかもが素晴らしい。
すべてを読み終えた後のOP。それは、ゲームの追体験そのものでした。
Re:Trymentのロングバージョンの歌詞。
今 進んでいけるから
初めて聴いたとき、ここの部分で、ほんとブザマに泣いてしまいました。
この感動を説明することはどれだけ言葉を尽くしても足りません。
本当に心揺さぶられる作品でした。
(余談ですが、こんなにおめおめと泣いたのは、Happy birthday to以来だなぁと振り返ったところで、ああ、あれもそんな感じの作品だったなぁなどと。ぼくは欲しているもの・素敵だと思うものは、そういうものなんだろなぁと思ったり)