さよなら、ハッピーエンド。
「自分なんて、この世で一番信じられない生き物だし」(作中より、れーこのセリフ)
自分が嫌い。そんな人は多いでしょう。
僕も自分がそんなに好きじゃありません。
「弱い自分を捨てなきゃいけないと、そんなことばかりを考えていた。
でも、違うんだ。私はどこまでいっても、私だ。
これは、美徳でもなんでもなく、ただ圧倒的なまでの真実。
変えようのない事実で、捨てることのできない運命。
であれば私は、それを許容するしかない」(最終章より引用)
Nega0では、自分を好きになる手段として、『諦める』ことを提案しました。
弱い自分からの脱却を諦め、受け入れるという選択。
『今の私を見ないようにするための都合のいい妄想はもうヤメだ。
考えるのは地続きの希望。
弱い自分を受け止めた上で、明日を貫く大きな大きな嘘を吐け。
弱い自分を肯定するためのちっぽけな私にしかできない魔法を使え』(最終章より引用)
弱い自分を受け止めるために、
弱い自分を肯定するために、
れーこは世界を救いました。
でも、世界を救った上で、結局れーこは弱いままでした。
れーこの、「なおたが居ないとやっていけない自分」「肝心なときにドンくさい自分」は結局変わることはありません。
なおたにも未練たらたら。
スマートボール屋の会合というここぞという場面でも遅刻してしまいます。
Nega0の面白いところは、明確にれーこの成長物語のくせに、
れーこの性質がほとんど変化していないことにあると思います。
れーこは、結局弱いまま。
Nega0のラストには夢がありません。
そこにご都合主義はありません。
ただただ、弱い自分という現実があるだけ。
――そして、いつか、きっと自分が好きになれる日がきたら――。(最終章より、れーこのモノローグ)
でも、そこに、『地続きの希望』はあるのです。
人間、そうは変われません。
でも、それでもいいのです。
諦めないことが停滞に繋がるのならば、
いっそのこと諦めてしまえばいい。
それで踏み出せる一歩もある。
自分の弱さを受け入れる。
それは強くあることを諦めることと同義であるが、これこそが自分を好きになる第一歩。
この作品は、「諦める」ことを自己肯定の手段として描いた点で類まれな作品であり、
同時に僕の中で最高傑作に位置づく作品です。