内心途中までは素晴らしき日々をプレイ時に感じた圧倒的な熱量を感じなく あの読了感は得られないだろうと読み進めてたが
以下ネタバレありの心の整理が追いついてない駄文が続くので注意
雫ルートに入ってから親父の死に隠された墓碑銘の過去や
各ルートでやってきた直哉のまっすぐな献身と困難にまつわる感情と
自己犠牲の下に周りを咲かせ人を通して直哉の作品の数々の意味を知り
心に秘めた圭と肩を並べる為に諦めかけていた自らを納得させる復帰作を書き上げるまでの切望と過程
目に届ける事すらも許されなかった運命の理不尽さが結びつく終盤には
途方もない虚無と慟哭が混ざり合うような説明できない感情で満たされ
健一郎は苦しんでいる今だからこそ生きていて死を享受できたからこそ幸福だった
直哉はその事実を知っているからこそ圭の死を受け止める事が出来る訳がないだろう
ー間違っていたんだろうか?ー
直哉の問いには覆せないやるせなさを思い知った
他のルートでは何度でも困難から救う事が出来たのに
グランドエンドを迎えるには
直哉とともに圭の死に立ち向かい乗り越えなければならない、生きて成長しなければならない
守るべき者達が帰ってこなくても夏目の家は守らなければならない
藍が母親のように無償の愛で帰る場所としての夏目の家を守ってきてくれたからだ
果たしてその先に直哉に報われる時は来るのだろうか
客観してプレイする自分はむず痒くなりながらもそうあって欲しいと思った
だが報われる事が幸福なんだろうかとも思った
藍は直哉に報われる為に生きて欲しいとは思ってないはずだろう
直哉を通して自分が物語の先に報いを求めたらそれはただの独りよがりになってしまう
絶対的な美=神を携える禀が直哉から全てを奪ってしまったかの様に描かれた対比として
相対的な美=他者との共有を前提とした絵でしか美を表現しなくなった右手を失ってからの直哉の作品は
見る人関わる人に自分が求めただけでは得られないような偶発的幸福が描かれていて
直哉は決して見返りでか得られないような絶対的な幸福は望まないだろうと気づく
自分の勝手な解釈では
自分の見返りを求めてた美を表現した香奈や
直哉の愛を求めた禀は恐らく本能で吹を見返りとして取り返しにきていたのだろうし恐らくツバメだろうか
藍、夏目の家は母なる大地であり
直哉は桜の幹であるからこそ自然に仲間は集まってくる
一度散りはしたが教師となってもまた新たに仲間たちは満開になって集まってくる
一瞬だが永遠だとはそのことを表現しているのではないだろうか
他者との交流に幸福を見出す直哉だからこそ桜を何度も咲かせることができる「サクラノ詩」という物語だったんだなと
・・・という感じにまとまりのない文を羅列してしまうくらいに考えさせられたし衝撃だったし感動もした
超えるという表現は使いたくないので素晴らしき日々に注ぐ鎮魂歌としても申し分なし
単体の作品としても忘れられない思い出と余韻を残してくれた「サクラノ詩」
ありがとう
これだからエロゲーはやめられない
余談であり他社作品だが「キラキラ」をプレイした時に感じた無力さを追体験したような気もする