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tomosibee3104さんのさよならを教えて ~comment te dire adieu~の長文感想

ユーザー
tomosibee3104
ゲーム
さよならを教えて ~comment te dire adieu~
ブランド
CRAFTWORK
得点
85
参照数
416

一言コメント

整合性取れてるし意味がわかる作品は電波じゃない、だからさよ教は電波じゃないらしい。長文はネタバレ100%

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 3大電波ゲーは終ノ空に続いて2作目。終ノ空がリメイクしかやってないことを考えれば実質1作目?どちらでもいいか。深淵を覗いてみたら真っ暗で何もわからない。目を凝らしてみたら、鏡とそれを覗き込む怪物が見えてくる…そんな作品だった。

 2023年1本目の作品。購入自体は大分前にしていたが、年末年始で時間が取れたため満を持してのプレイ。
 主人公が精神異常者でヒロインが妄想の産物でしかないことは有名すぎて知っていたが、実際プレイしてみれば1周目途中でわかる程度のネタバレだった。プレイを進めると2人目以降はほとんどオチが変わらずエピローグは既読スキップで終わる。表面的には何が楽しいのかわからない作品だった。

 当然の疑問として、なぜこの作品が3大電波ゲーとしてもてはやされプレミアまでついたのかが気になった。それから考察サイトを巡り学びを得る、考察ゲーあるあるのプレイ後が楽しい作品のテンプレを辿る。ヒロインの名前ネタやフランス語の意味、儀式の手順の意味など普通にプレイしていればわからないようなネタが多く、それはそれで楽しめた。
 そして思い出した。素晴らしき日々10thアニバーサーリー特典ブック。3大電波ゲーの生みの親達の対談記事で、長岡氏はこの作品は電波ゲーと認識していないとのことだった。電波ゲーは整合性が取れてないし、意味がわからないものだからだと。
 考察サイトを巡っていれば、この作品が綿密に練られたシナリオ設計で、整合性が取れていることは納得できる。しかしこの作品の意味とはなんだ?この作品のテーマはなんだ?

 改めてこの作品について考えてみる。ヒロインはほぼ主人公の妄想の産物で、それぞれが主人公の内面を反映している。唯一実在する睦月もほとんど交流はなく、結局は妄想の睦月とのやり取りが多いと思われる。それは10日目の独白からも読み取れる。
「異常はない。ごくごく自然に、生身の少女としてそこにいる。 初めて会ったころ以来の感覚だ。」
それまで接していた睦月はただの妄想、あるいは妄想のフィルター越しでしかなかったということだろう。
睦月自身も、
「時々出会っても、私が怯えてるか…それとも、人見さんが怯えてるか…だって、人が怖いから…」
と話しており、満足に会話が成立していたとは考えづらいことがわかる。

つまり、睦月ルートですら主人公は殻にこもったままであり、終始主人公の物語となっているわけだ。

 よく見かける感想として、鬱ゲー、救いがない、さよならしたい、等。この作品に対するマイナスイメージが思い浮かぶ。また、作中でさよならを望んでいるのは主人公自身でもある。

 そしてこの作品の副題、「Comment te dire adieu ?」は「あなたとは別れたいけども、その方法がわからない(決別の意)」と訳せるらしい。元はフランソワーズ・アルディの曲タイトルで失恋の歌なのだとか。
(mofringさん感想)

改めて整理してみる。
①この作品は主人公の物語である
②作品に対する印象はマイナスイメージ、さよならしたくなる等
③作中でさよならを望んでいるのは主人公自身
④副題は決別の意を表するもので、失恋の歌と同じタイトル。

 総合的に考えてみると、これもすでに言われているものだが、プレイヤーがエロゲーと「さよなら」するための作品なのではなかろうか。購入前の注意書きも却って興味を引くようなものとなっており、主人公に共感する層をターゲットとしているように思われる。いわゆる主人公=プレイヤーの分身とするタイプの作品である。

 女性へのコンプレックスがあり妄想の中で少女を凌辱する日々を送る主人公=現実恋愛の代償行為としてエロゲーを嗜むプレイヤーという見方もできる。現代では自分の好きなことを好きなようにするのが一般的かもしれないが、空想を楽しむことは現実逃避でしかないという見方もあるだろう。
 スーパーマリオの例でも、幻覚の世界でお姫様を救い出すジャンキーとは、作中の主人公に限らず空想の世界でヒロインを攻略するプレイヤーという見方もできる。
 この作品はどのルートを選んでも最後は同じ結末を迎える。1つの妄想が終わって新しい妄想を始める。また初日に瀬美奈が大量の衣類を鞄に詰めていた描写から、主人公の入院生活は以前から長く続いていることが読み取れる。まるでエロゲーを終わらせては次の作品を始めるプレイヤーのようではないか。

 つまり、主人公が自身の内面と対話する物語を通して、プレイヤーにも自身を見つめ直すことを促しているのではないだろうか。

 一方で、私たちは辛い現実をリセットすることなどできないが、作中主人公は1つの世界を終わらせても新しい妄想の世界を生きることができるため、空想の方が現実より素晴らしいという見方もあるだろう。
 しかし作中で「救うべきはお姫様ではなく自分自身」だと、となえ医師も仄めかしていたことから、やはり空想との「さよなら」を促す作品と考えるほうがしっくりくるように思われる。

 深淵を覗いてみるかと気楽に臨んでみたら、全ルート攻略しても何が楽しいのかよくわからない、真っ暗闇。理解を深めようと他人の考察を参考にする、目を凝らすと暗闇に見えてくるものがある。それは鏡と向き合う怪物…自分の内面と向き合う主人公の物語だった。狂気に呑まれた主人公と引くも笑うも自由。ただその怪物は自分の影で、鏡に映っているのはプレイヤー自身の姿かもしれない…それが「さよならを教えて」という作品の本質であるように感じられた。

まとめ

この作品は整合性があり意味の通じる作品である。この作品の目的は、自分の内面と対話する主人公の物語を通して、プレイヤーに自身を見つめ直す機会を与えることである。より踏み込むならば、空想の少女と戯れる日々に「さよなら」を促すことである。

プレイを終えて

長岡さん、あんたはうるさいんだ。どうしてマリオの偉大な業績を否定するようなことを言う?空想かどうかなんて関係ないんだ。僕がどうするべきで、どうしたいのか。それは僕自身が決めることだ。
また今日も、忙しく退屈な『主人公』としての1日を始める。次はどんな作品をプレイしようか…



余談

 パッケージ絵で睦月が半分天使半分怪物の姿であることから、妄想の睦月(天使)=主人公という説もあるらしい。7日目描写によれば
「すると、そこにはもう睦月の姿はなく、ただ、最初から着ていなかったはずの彼女の衣類が机のまわりに散乱していた。」
存在しないはずの衣服。いつもの妄想と切り捨てることもできる。ただ、そこに存在するはずの衣服があった。睦月の席に脱ぎ散らかした主人公自身の服である。そして主人公は服を着るのだが、誰の服を着たかまでは描写されていない。これはもしかしたら主人公=妄想睦月(天使)を示しているのかもしれない。
 すると4日目、
「濡れて光っている右手の指先。 僕はその指をしゃぶってみた。
天使の味がする。 天使の、淫らな香りがする。」
ただの妄想だったはずのエロシーン。なのに濡れている右手。天使の味がするらしい。妄想睦月(天使)=主人公と考えると天使の味とは主人公自身の精液の味なのでは…おえっ
 そして11日目。天使様の樹で首を吊る天使のCG。
「救われた…。 そんな気持ちが僕の内面を満たしている。
僕はいつも罪の意識に支配されていた。 僕はいつも誰かに救って欲しかった。
この苦しみから、この絶望から、この現実から…救われたい。」
高田望美=高望み。vent=風、自由のモチーフ。rebirthの描写から主人公にとっては死こそが救いという考察もある。そう考えると妄想の睦月が天に帰る(救われる)ために首を吊るというのも理解できるし、その手伝いをすることで主人公自身が救われた気になるのも納得がいく。言うまでもなく現実の主人公は死なないし、救われていないわけだが。
 ついでに言えば精霊退去の儀式も失敗してるし、天使の口はさよならのカタチを描いてこわばるに留まってるし、エピローグの描写からも睦月への妄執が捨てきれてないことは明白である。



以下自分語り注意 ー天使様と進める自己分析例ー



 妄想の少女を攻略すると天使様の性癖批判を聞くことができる。人によっては耳が痛い話だったかもしれない。あれも実際はプレイヤーに語りかけていたと考えると、自分を見つめ直す機会と言えなくもない。

まひるルート
「先生は…自分のことが一番好きなんですよね。誰でもそうだから仕方ないけど…」
正直否定はできない。
「自分を慕ってくる相手が一番好きだから…自分を拒まない相手にしか心を開けないから…」
それも否定できない。
「嘘。可哀想な自分を…でしょ?そして先生は、自分を慕う、かよわい相手を思う存分にいたぶって安心するんです」
それはさすがにない。凌辱ゲー嫌いだし。
「罪悪感を抱えて、溜め込んで、どうにもならなくなるほど溜め込んで、その罪悪感をなんとかしようとして、
自分以外の何かを救うフリをするんです」
空想世界で幼女と致そうと、近親相姦しようと罪悪感はないかな。
「そう…ですよね。自分を慕ってくるものがいる。そんなはずはない。そんなのは嘘に決まってる。
それで確認したくて、その相手に酷いことをする…そうなんですよね」
自分を慕うものはいるはずがない、嘘に決まってる…かもしれない。それで嘘(空想)の世界を愛することは悪だろうか?他人に迷惑をかけない限りは自由の範疇だと思われる。

望美ルート
「先生は、不幸なコが好きなんです。不幸だけれど、健気に運命に立ち向かっている弱々しい塊。
そんな相手を助けることで、自分が大きくなったような錯覚を得て満足するんです」
否定はできない。
「嘘。可哀想な自分を…でしょ?そして先生は、自分を慕う、かよわい相手を思う存分にいたぶって安心するんです」
だから凌辱ゲーは嫌いだと。
「そう…ですよね。自分を慕ってくれる弱者。でも、その弱者が運命に向かって羽ばたこうとすると、我慢できなくなってしまう。いつまでも自分だけの標本箱の中にコレクションしておきたいのに…」
来る者拒まず去る者は追わず。弱者を飛び立たたせては次の弱者を探すまで。いつまでも自分だけの標本箱にコレクションを増やし続ける。つまり攻略済みヒロインにこだわらず次の攻略を続けるだけ。

御幸ルート
「自分に似た相手が一番好きだから…簡単に理解できる、自分の力量で把握できる相手にしか心を開けないから…」
どうだろうか?理解できない理不尽ヒロインは好きじゃないけど、自分と似たヒロインが好きかというと違うし。
「嘘。可哀想な自分を、でしょ?自分に似た相手に自分の理想を投影して、
理屈だけの世界に逃げ込んで安心してるんです」
そもそも自分に似た相手は理想になりえない気がする。自分が好きなのと好きなタイプは全く違う話だし。
理屈っぽい気はあるかもしれないが、それだけの世界ってのも退屈そう。
「自分の手の届くところに、自分の思い通りになる相手を閉じ込めて、自分以外のなにかを救うフリをするんです」
エロゲーヒロインを救う行為そのものかもしれない。
「そう…ですよね。自分よりも弱くて、自分に似た存在。
自分から知らない場所に踏み込んで行くんじゃなくて、
そんな相手が自分のほうにやってくるのを待っている…」
現実で理想の相手を探そうとせず、自分好みのエロゲーが発売されるのを待っているということはあるかもしれない。

こよりルート
「自分を相手に投影して…でも、自分の思い通りの理想を押し付けることもできずに、また自己嫌悪に陥る…」
自分を投影はしないし、理想のヒロインを求めることに罪悪感はない。
「嘘。可哀想な自分を、でしょ?そして先生は、自分を投影した相手を思う存分にいたぶり、
自分の悪い部分を駆逐したと錯覚して安心するんです」
ダメな主人公を批判するのは自分の悪い部分を投影しているのだろうか。意識したことはない。
「自分の欠点、自分の弱さを直接見つめることができないから、他者に自分を投影し、
自分以外のなにかを救うフリをするんです」
主人公に自分を投影してヒロインを自分が救ったような気になる…そういう面もないとは言い切れないか。
「そう…ですよね。でも、先生は、自分に向けるべき刃を、ついつい相手に向けてしまうんです」
そもそも自分の欠点を直そうという気もないし、自分と他人を比較することも興味がない。刃を向けるなんて疲れることはしたくもない。

オチもなく終わり