一に謎掛け二に謎掛け、三、四がなくて五に種明かし
この作品を評ずるにあたって、既に参考になる考察・レビューが数多くあるため語るところはあまりない。よって個人的な感想を述べるとすると、とかく疲れる作品であった。しかし世界観や設定の深みはとてつもないものがあり、手にとるならば最後までプレイすることを勧めたい。
さて、これだけというのも寂しいので他とは違った切り口のレビューを試みたいものである。考察やレビューを覗くと「category1、2、5のみの構成であり3、4がない未完成品である」といった意見を見かける。しかしながら無印、フルボイス版、completeとリメイクを重ねシナリオ追加もしてきたゲームが未完成などありえるのか。私は3、4がないことにも意味があるのだと思う。
まず思いつくのが表題のように「一に〇〇二に△△、三、四がなくて五に~」である。散々レビューで言われているようにパズルであるこの作品。全ヒロイン1周し意味不明。2周し理解不能。戦争編を最後までやってようやく種明かしという構成である。この構成を素直に表すと表題のようになるのではないか。また、この慣用表現の本来の意味を調べてみると1、2が頭抜けているとする強調表現とあった。つまり、パズルこそがこのゲームの肝であり、テーマ性などは二の次という捉え方もあるのかもしれない。他には徳川家康が「一に辛抱二に我慢、三、四がなくて五に忍耐」という言葉を残したと言われているとか。実際ブログシステムでの没入感の阻害や暴力的なまでの情報量は、軽い気持ちでゲームを始めたプレイヤーの心を折るに必要十分な悪意とすら言える不親切さを感じる。またシナリオも閉塞感や未来への諦観ただようテキストが散見され物理的にも精神的にも非常に疲れる。このため、とかく忍耐力が必要とされる作品性を自虐的に皮肉ったネタとしてこのような構成にした可能性もある。単なる納期などの問題で本当に未完成なのかもしれないが、思考停止するよりは妄想をふくらませるほうがきっと楽しい。考察好きな方々にはぜひともcategory3,4がない理由も考えてほしい(他力本願)。
「古典が含む原石のようなドラマ技術は趣があるし、最近の流行である全登場人物のタイムテーブルを設定し破綻なくまとめることだけ腐心した末端重視の推理小説は、刺激的な数学問題のようだ。」
数学の難問を解くことに快楽を感じる類の人間に勧めたいゲームというレビューを見てこのテキストを思い出した。いわゆる聖域編のパズルが数学問題にあたり、戦争編が趣あるドラマといったところか。このゲームの本質は何かと考えた時、このゲーム構成は外せない部分だと思われる。と言っても作品テーマは主人公の内面描写や世界観設定、ヒロインとの会話等に直接的すぎるほどに描かれているので、やはり本質はパズルではないかと推測される。作品内でも知恵の輪がたびたび出ており、OPでも「千々に撒かれたパズルのピース、どうか優しく配列されますように 」とあるように、最後の種明かしを見た上で2周目のパズルに挑戦することが期待されているのではないかと愚考するものである。わざと難しくしていると思えるという意見をよく見るが、まさしくわざと難しくしているのだろう。これは娯楽作品であっても知的遊戯なのではないか。知恵の輪と同じく、答えを出すことそのものではなく、答えをだすために試行錯誤する過程を楽しむゲーム。これが本質ではないのだろうか。パズルのピースをなぜ‘’正しく‘’ではなく‘’優しく‘’配列されることを望まれるのか。そこに答えがある気がする。