ErogameScape -エロゲー批評空間-

tomosibee3104さんのCARNIVALの長文感想

ユーザー
tomosibee3104
ゲーム
CARNIVAL
ブランド
S.M.L
得点
90
参照数
561

一言コメント

神は人間に無関心で、世界は人を愛さない。人は人とわかりあえず、幸福に手が届くことはない。人にできるのはただ信じること。人を、自身の幸福を、あるいは神を。どうしても辛かったら開き直ってもいい。このファッキンな世界に中指立てて、ロックンロールで、生きていこうよ!

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

 キラ☆キラ以来2作目の瀬戸口作品。1周やってあまりの短さに驚愕し、それゆえに2周目をプレイできた僥倖。キラ☆キラの方がギャグも笑えて物語も面白かったような気もするが、今作は短さゆえに無駄なものがなく、作品から感じ取るメッセージがより明確だったと思われる。今にして思えばキラ☆キラでも似たようなメッセージを感じ取れそうだが、より単純化されていてわかりやすい今作のほうが私好みだと知ることができたのもありがたい。

 しかしこの作品なにが良いってBADENDしかない。というと語弊があるが、正確には物語に終止符を打たずタイトルに戻るか、BADENDで終わるかしかない。例えば泉ルートはENDの文字もなくタイトルに戻るし、シナリオ3はED曲終わりに社名ロゴは出るがENDともFINとも出ない。そしてシナリオ3読後の1章理紗ルートの最後はOP曲BGMにスタッフロールが流れてENDもFINもない。

 プレイ後になんとなく気持ち悪さが残るという感想を見かけたが、おそらく明確な終わりを提示されていないからではないかと思われる。どころか最後の最後でOPを流されると新たな始まりを予感させ、その結末が良いものになるとはとても思えないからだ。私は未読だが、実際7年後の物語が綴られる小説版の結末も一般的には不幸なものとされる。私のような気狂いでもなければ、不幸な結末の物語で気分をよくするような人間は少数派だろう。またゲーム内で希望があるかのような演出で締めくくり、明確なBADENDを提示しないことも気持ち悪さの一部を担っているのかも知れない。

 泉ルートは学にとっての救いという感想も見かける。本当にそうだろうか?3章で理紗の内心を知ってしまうとあまりそうは思えない。置いていかれたかもしれないと考えるだけで発狂寸前になり、1章理紗ルートでは緊張の糸が解けた時にフラッと身投げしかけた。

「迷惑とかじゃないの。私、一人でいるのが怖いの。また、一人ぼっちになるのは
 いやなの。ねえ、昨日言ったでしょ?もう、限界なの。それは、本当なの」

 理紗がどうなろうと関係ないと言えればいいのだが、学が理紗に未練があるのは明白。それは『金色夜叉』の寸劇からもわかる。許嫁が他の男に嫁いでしまった貫一。それを演じる学にとってのお宮は、目の前の泉でなく武に取られた(と学は思い込んでいる)理紗。そもそも二人の呼称は泉の提案した河合穰治と奈緒美に決まっていたはず。なぜ『金色夜叉』の寸劇をしているのか、貫一とお宮を提案したのは誰か。実際逃亡前に理紗のことが未だに好きで泉に気がないとも明言していた。しかし学の未練で『金色夜叉』の寸劇をしていたとして、実際想い人を奪われたのが理紗というのは皮肉な話である。

「あんまり、楽しいこととかなかったんだ。世の中って、ずっと苦行みたいな
 もんだと思ってた。泉と一緒に行動するようになってから、楽しいってことの
 意味がわかったような気がする」

 この台詞で学が救われているという風に見えるのはわかる。が、性根の曲がった自分にはこれが『贅沢な屍』の「虚しい楽しみ」に見えてしょうがない。泉はまだ読みかけだったが、もし『贅沢な屍』を読破していたらどんな反応を返しただろうかと考えてしまう。

「キミは、私のこと少しは好きになった?」
「…うん、好きだよ。好きは、好き」
「好きは、好き、かぁ」
「…うん」

 このやり取り自体も気になるが、その後泉の中で萎えるのがまた妄想を掻き立てる。好きと即答できず好きは、好きと返す。確認のようなつぶやきにも、間をあけて肯定。そして萎える。まるで理紗に向けていた好意とは違い、女性としてでなく人間として好きなだけだから、罪悪感を持ってしまっているかのような空気。直接学の心情描写がされているわけではないが、私にはこう読み取れてしまう。
 何があってもずっと一緒にいるという約束。しかし学には殺人の容疑がかかっており、泉も親に捜索願を出されているだろう。さらには理紗が自殺している可能性まで考えると、とても明るい未来は見えない。だから終止符をうたずに切り上げたのではないかと思えてしまう。

 と、泉ルートも終わりまで描かれていないだけで実質BADではないかと考えているわけだが、理紗ルートも正直大差ない。

「ねえ、ニンジンを追いかけちゃだめかな?」
「あれは、どうやっても届かない仕組みになってるんだよ」
「うん、わかってる。いいんだ、なんか、一生懸命走りたいの。後悔したくない」
「私はがんばって一緒にいて、学君が幸福になって、そして私も幸福になる。
 それが正しいと、決めたのです。
 それがきっと私の幸福で、私は私の幸福を願う。 」

 理紗は学と一緒にいて、学が幸せになって自分も幸せになることが正しいと決めた。しかし、

「お前だって知ってるだろ?ニンジンを食べ尽くしたら、
 次は何を目的に走るつもりなんだ?」
「別に、最初から、ニンジンなんかどうでもよかったんだ。目の前をちょろちょろ
 してる目障りなものがなくなって、気楽だよ。僕は」

 学は幸福を求めていない。最後の学の決意も、

「理紗が望むなら、僕は人をやめて、神にでもなんでもなろう。」

 武と人格が統合され記憶は補完された。理紗が父親に犯されていたことも知っている。長い付き合いで、理紗が自分を責め続けていることもわかっているかもしれない。

「人を最後に救うことが出来るのは、神の愛だけですよ」
「そうなんですか?人間はそんなに無力なんですか?」
「ヨハンナの今の考えは、通過する道の1つですよ。先にあるものは、
 それほど変わりません」

 学であればきっとこの結論にもたどり着いているだろう。であれば、神にでもなんでもなろうという決意は理紗を救うためのものだと思われる。しかし、

「私は、繰り返しますが、自分という人間に、救われる権利があるとは、
 どうしても思えませんでした。
 もし終わりの日が本当に来るのなら、私は世界と一緒に滅んでしまったほうが、
 よほど辻褄があってると思いました。
 滅ぼされてしまうような間違った世界から生まれた私なのだから、
 世界と一緒になくなってしまった方が良いのだと思います。
 そんな考えは間違っているのかもしれません。ただ読んで、
 ただ個人的にそう思っただけです。
 うまく言えないんですが、これを読んで、
 「助かりたい」
 と思う人もいるでしょうけれど、私はむしろ
 「助かるべきじゃない」
 と自分が無意識に思っていたのを、自覚させられたんです。」

 理紗は救いを求めていない。本当に求めているものは、「ある意味カンペキなハッピーエンド」からわかるように罰。それは神の罰に限らない。自分が信じる学からの罰であればそれでいい。学が神になることなんて、まして神の愛による救済なんて、求めてない。

「もし神様がいたら、きっと人間のことは嫌いなんだと思うな」
「そうかな、嫌いじゃないけど、好きでもないんだと思うよ。
 あんまり興味持ってくれてないんじゃないかな」
「そうだね。罰も与えてくれない。世界は愛してくれない」

 結局のところ、お互いをよく知っているようで理紗と学はわかり合えなかったという悲しいお話。ただそれはこの二人に限らず人間みんな同じこと。人と人はわかり合えない。幸福に手は届かない。できることはわかり合えたと信じること、自分は幸福だと信じること。たとえ自分の幸福が他人から見ればガラクタであろうと、信じることしかできないのだ。世界は人を愛さない、救いなんて、ない。

 だからこそのロック。世界の仕組みはどうしようもなくクソッタレだから開き直るしかないのだ。難しいことを考えても幸福にはなれない。どうしようもない。そんな憤りをシャウトで発散し、自由を謳歌する。待ち受ける未来が暗くても、今を謳歌することはできる。それこそが泉ルートであり、キラ☆キラでも描かれていた精神なのかなあと。

 そろそろ終わらせたいところだが余談。婦警の存在理由が不明という感想もよく見かける。実際自分も1周目は思った。しかし、

「あと、僕くらいの歳なら、ちょっと調べれば、自分がどういう事をしたら、
 どの程度の罰を受けるかってこともわかりますよ。
 わかった上でやってるんだからいいじゃないですか」
「それは、法の理念を歪めたとらえ方だわ。間違った考えよ!
 刑事法の理念は執行されないことであって、
 そんな風に罰の重さを計算させるためにあるんじゃないわ」

 と、罪と罰を語る上で刑事法の理念も語らせるために登場させたのではないかと今では思う。また、理紗と学が幼稚だという感想を見かけて、レイプされて尊厳を踏みにじられてるはずの百恵が逆に楽しんで学を辟易させる描写で大人の強かさを描いているのかなあとも妄想。

 どうしても理解できなかったのは麻里の存在理由。ロリコンに対する撒き餌ぐらいしか思いつかない。3章で詠美の人間性を深めるために登場したのかもしれないが、事情を聞いたところで全く興味がわかなかった。ロリコンに対する餌としても単独シーンはフェラのみ、詠美との姉妹丼では挿入しただけで絶頂まではないし、快楽調教とかもない。無知な幼女にしゃぶらせるだけでイケる人以外にはオアズケをされてるようなものだ。せっかくの詠美コーディネートの猫耳ファッションもエロシーンにはないし、余計に悔しい。余談終了。

 どうしようもなく暗い世界観で、それでも人生を謳歌できる人間を描くから瀬戸口は好きだなあと自覚。どれだけ世界がクソッタレでも、それでも人間は強く生きられるのだと勇気をもらえる。SWANSONGも500円セールで買えたし、プレイが今から楽しみである。