不可能を 想像しろ
「人間は不可能なことは信じられないものよ。
あなたはまだ(信じる)練習がたりないんじゃないかしら、と女王は言った。
私があなたの歳の頃、一日30分間練習したわ。
そうね、朝食の前に、不可能なことを6つも信じたこともあったわ。」
(ルイス・キャロル著『不思議の国のアリス』)
OPの最後に提示され、作中でも語られる引用。
「朝食の前にときどき、6つの不可能なことを信じていた」
どういう意味なのかと検索すれば、イノベーションや発明といったものは不可能を信じるところから始まる、という訓えを暗喩しているらしい。
このような考えを持った上で読むSF作品はまた違った面白さがある。およそ実現するとは思えないことが、実現するかもしれないと考えるだけでわくわくが止まらない。こんな当たり前の感情を長らく忘れていたのだとこの作品は気づかせてくれた。
なつくもゆるるでライターに興味を持ち、500円セールで購入を決意。これほどの作品がワンコインとは良い時代である。ただ、ブランドが解散してるからだと考えると素直に喜んでもいられない。僥倖にも別ブランドからシリーズ最終作の発売が決定したそうなので、購入することでライターの活動支援になると信じたいものである。
この作品の考察はhttp://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=16531&uid=umaibou108がとても参考になった。当然のことだが、考察なのでプレイ前から読めばネタバレになるため注意。
以下ネタバレ
なつくもでも言われていた仏教ゲー。この作品でライターがやりたかったことを考えてみたい。プロット自体は六波羅蜜の符牒。テーマはいくつか考えられるが、「不可能の具現」について考えたい。
SFそのものがまず現代では不可能なことの想像。心が壊れてる自分には他人を理解できないと考えた主人公が、物語を通じて共感を獲得するシナリオ。そして不思議の国のアリスからの引用。この作品を語る上で「不可能の具現」は重要な意味を持つように考えられる。
さて、ライターがやりたいことと「不可能の具現」をつなげて考えてみる。ここからは完全に妄想になってしまうが、例えば「ユーザーに悟りを開かせる」。より正しくは、「エロゲーで、ユーザーに、悟りを開かせる」。不可能としか思えない(笑)
しかしプロットに用いられてる六波羅蜜を見直してみたい。「布施」、与えること。「持戒」、自身を戒めること。「忍辱」、耐え忍ぶこと。「精進」、努力すること。「禅定」、冷静に第三者として自身を見つめること。「智慧」、これら修行を通して悟りを開くこと。
まずユーザーは作品を購入する。「お布施」とはよく言ったもの。プレイを始めていきなりのハーレム展開に辟易し、安易にエロを求めた自分を戒めることになる。そして真面目なところで下ネタが入るなど、いまいち感情移入しづらい文章を耐え忍び、作品世界を理解しようと努力する。プレイが終われば感想を批評空間に投稿し、時が経てば第三者として過去の自分の感想を見ることができる。
これら修行を通してエロゲユーザーは悟りを開…けるならそんなに面白いことはない。実現できたらライターはライト兄弟やエジソンに劣らない発明王と呼ばれることだろう。
もちろん、そんなこと本気で信じてるはずもないが。
それでも、不可能と思えることも信じることから実現が始まる、というのは私にとって新たな知見となった。こうした発見があるからエロゲーはやめられない。とりあえず購入済みのあきゆめくくるも楽しみにしておきたい。