和を中心とした東洋思想と能力系バトル物の融合としてはかなり高いレベルの作品。強いて言えば前作・ディエスの設定の把握が必要な点が欠点。
ネット上で正田氏はディエスをプレイすればニヤリと出来る内容、と言ったがプレイした側からすればパラロスの間違いだろうと突っ込みたくなる。
黄金・水銀・黄昏・刹那と前作キャラの暗喩が散りばめられていて、本作が初めてのプレイヤーが果たしてきちんと既存プレイヤーと同じ着地点にたどり着くのかといらぬ心配をしてしまう。その辺りの関連性の指摘は多分他の方が十分にしてくれると思うので、私は純粋に本作の感想を。
本作はどちらかと言えば群像劇に近い内容で始まりの御前試合から東征、そして東征後に完成される皆殺しの世界法則・天狗道との対決と終焉という一つの流れを、他視点で描いているのだがこの辺りはあまり締りが良くない印象だ。
そもそも他視点で描くというのは同じ時間で発生する事象を複数見せることで物語の「流れ」と「事象」をより多層的に、複雑にして諸々の伏線を一つの解へと導くというのが王道なのだが、本作はあくまで人物の交流及び内面の変化の描写に力が入っているので一連の流れに深みを与えるような構成ではないのだ。その多層的な展開が本格的に始まるのがいわゆる個別シナリオ化してしまっているので、東征完了までのこの視点変更が更に陳腐なものに見えてしまう。この辺は「一つの結末に集約したい。けど一人一人にきちんとスポットを当ててやりたいという」という気持ちとの折り合いなんだろうなあと勝手に思っている。
次にそのスポットを当てるべき東征の益荒男たる主人公達なのだが、話の半分以上が東征に割かれている関係でどうしても乗り越える壁である夜都賀波岐達に食われている部分がある。ここは正直書き手の慣れと趣向が大きいだろう。夜刀達は今まで散々書いてきたからすでに正田氏の中で確固たるキャラクター像が出来上がっているだろうし、ぶっちゃけると正田氏のキャラクターはいわゆる善人よりも歪でネジが飛んだキャラクターの方が魅力的なのだ。善性は判子押したような一種偶像めいた感があるのだが、狂気とかそういう方向になると小さな差異を切れ味の良い文章で表現してくる。そういう意味ではその落差を体現した刑士郎は実においしい部分を取っていったなあと思う。
バトル部分に関しては今までと違い「座」や「神格」という要素が濃くなった分能力における駆け引きが薄くなったのは残念。加えて本作は敵味方ともにバトル要員が多いのでその分一人一人の掘り下げが減ってしまったのが痛かった。白状すると一番個人的に盛り上がったのは御前試合というオチ。次点で刑士郎VS宿儺個人戦。パラロスの三つ巴戦といいもっと混沌としたバトルを正田氏は描くべきだ。本人はタイマンガチンコが好きっぽいけど。
一番残念なのは最強最悪ヒッキーこと波旬。登場自体がラスト寸前ので自身の攻撃が皆無な上に初見であっさり退場。作中で散々強い強いと言われてるがプレイした側からだと、恐ろしいのは天狗道という太極に性質そのものでご対面後の本人は然程脅威に感じなかった。多分覇吐側がある意味無傷で勝利したからという点もあるんだろう。
何か文句の方が多い気もするが、話の筋とキャラクターの内面を上手く組み込み、そこに東洋思想を中二成分を入れつつ綺麗にアレンジした作品なので一度プレイすると止まらない。止め時が見つからない。キャラクター(ヒロイン)の内面を「静」の部分に依存し、若干それが間延びしていた感のあるディエスと違い、本作は物語の「静」と「動」の交差が目まぐるしくかつ綺麗に仕上がっている。そういう意味では構成力は向上したんじゃないかなと個人的には思いたい。
ディエス本編では幻で終わった打ち上げの約束。
最後の果てにそれが叶えられた神咒神威神楽。
本作において一番印象に残るこの対比を、何とも切なくも美しい余韻を正田氏は描きたかったんじゃないかと思う。そういう意味では作り手側から益荒男達への労いというか感謝を感じ取れる愛のある作品であった。