本編のもう一人の主要登場人物たるナタリアの補完 救済ではない。道を踏み外す過程、絶望と希望。
JQVのもう一人の主人公たるナタリアの前日談。
ナタリアという本編での魔物、主要登場人物でありながら、導き手でありかつ狂言回し的な歪な存在だった彼女の補完ストーリー。
化物、つまり道を踏み外してしまったものの救済。
基本は本編での島地と同じ救済である。孤立したマリア=シスターが、
しかし彼女は、ほんの大したことのないきっかけで世界を恨み、孤立し、好奇心のための実験の結果快楽主義の自分に良心を殺されてしまった。
そうして堕落した彼女は、魔女を自称し自分の行いを顧みることすらしなくなる。
そうして行き詰まりを感じつつも惰性で生活する中、他者に触れることによって再び自分を見つめなおすことになる…
その後の流れは聖女像たるめーたんと自己との相似たる島地との接触、そして回心の決意と深すぎる罪。彼女は罪に飲まれ、人間へと戻った。
自分に名づけをすることは、マリア=シスターと彼女が生んでしまった魔物への贖罪、そして再誕をしたかったのだろう。シスター=ナタリアではない、と。それはナタリアに正しく伝わったかは、本編を見る限り微妙である。
描き方は非日常だが、彼女の境遇は島地の境遇よりよっぽど身近であり、普遍的人類の救済というのはナタリアの救済こそをいうのではないだろうか。
そんな彼女が本編で島地に言われたのは、先を行こうとする彼の拒絶。
ただ、唯一救済とできるかもしれないところは、化け物ではないと言われたナタリアは、もしかしたらシスターから与えられた名前の意味をその時初めて理解したのかもしれない。
シスター=ナタリアではない、本編でのナタリアの行動はナタリアという個性によるものだろう。
観測から外れ、時が止まったナタリアには未来がない。たとえ未来に進んだとしても、彼女には未来を共にする相手はいない。そんな彼女の本編での執拗なまでの『楽園』への執着は、本作で十分に理解できるところとなった。
今回のシスターの最期はマリアとして、名付け親という聖母としての死を迎えたが、本当のナタリアの救済はまだ完遂していない。まだやっていないが、もう一つのルートでされていると期待したい。
余談だが、主人公が見つけた鳥はマリアの変容したカナリアだったのではないだろうかと本編では勘ぐっていた。今回ではそれについては解けなかったのが残念。カナリアは異変の感知のための最初の犠牲という暗喩でしかないのかもしれないが……今回でHELPのサインを見て共感した彼女の最後の場が、その彼の手によってと考えると感慨深い。意味はないが、島地とナタリアの二人の相性の悪さを表しているかもしれない。