カンパネラや魔女庭の系譜かと思ったら、クッソ生々しい「ギャングスタ」だった。教育論、人格論、スポーツ論、異文化論……ここら辺の議論をヒロイン同士でゴリゴリに対立しながらぶつけ合うゲームなので「みんな可愛い」は諦めてもらう感じで。
グラフィック(18/20)
安定のこ~ちゃ先生原画。サブまで全員含めて単独原画ということで、お疲れ様です。背景絵にしても、チラリとしか映らない温泉風呂まであったりと手抜き無し。魔法エフェクト等の視覚演出もお家芸といった所でソツが無いです。
ストーリー(41/50)
面白かったし考えさせられました。力作ですね。プレイ前はちょっと不思議な組み合わせの複数ライターさんだなと不安もありましたが、意外や意外、ハマりましたね。元長さんの難解でやや浮世離れした哲学を、間に近江谷さんが立つことでプレイヤーに凄く伝わりやすくなった「ギャングスタ」というのが率直な感想です。また異文化対立や相互理解を扱っている点からして「ワールドエレクション」の下書きのようでもあります。いずれにせよ、いくら何でも埋もれすぎだなあと思います。一言感想に書いたような各論に一家言あったり、議論するのが好きな人は是非買ってプレイしてみて欲しいなって思います。必ず思想的に相容れないキャラが一人は見つかると思います(笑)
こっからは作品の内容に移ります。って言っても凄い書きにくいんですよねwこのゲーム。まあ無理に理路整然としようとせず、思ったまま書いていこうと思います。いつにも増して、まとまりを欠いたモノになると思います。あとクソ長くなると思います。許して。
・人格論。本当に強いのは誰?
「こんにちは、よろしくね。あなたの事が大好きだよ」慈悲深いシスターのような台詞をいとも容易く話す竜胆ほのか(平仮名三文字の名前では読みにくいので、以下はセシュペールと呼称)は融和と寛容の女神で、作中いついかなる時も当然のように善行を過たず執行します。そしてそれは誰に教わったでもなく、生来的に彼女が持っている性質で、魔法の才を自他ともに認められている彼女ですが、それにも勝るギフテッドがこの「正しさ」でしょう。ルート中、人形劇のシーンがあるんですが、周囲に疎まれながらも村を守る泥人形と、その心根を正しく見抜き傍に寄り添った炎の精を描いた劇中劇で、言わずもがなそれぞれ主人公とセシュペールの暗喩ですね。学園唯一の男として周囲から孤立していた主人公の人柄を、流言飛語に惑わされることなく真っすぐに見抜き、副会長に引き立てたセシュペール。彼女の人としての強さ・正しさを端的に表現していました。
ただ彼女の強さは同時に強者特有の傲慢さも内包している事が複数ルートで問題となるんですよね。間違わないから、迷わないから、真に弱者の苦しみを理解できてない部分があると言うか。アイリスが魔法生徒会大戦の中で生じる軋轢に傷ついているから「救済」の為に大戦を中止しよう。対等だと思えるまで友達を名乗れないと悩んでいるアイリスに、持ち前の善性から「お友達」を強いてしまったり。目を瞑ってても当然のように正道を真っすぐに歩ける貴女に、誰も彼もがついてこれると思わないでくれ、と相手に悲鳴を上げさせてしまうのがセシュペールの弱点なのかもしれません。
そして……もう一人の天才アイリスは、まさにセシュペールについてこれない一人です。未熟な心に大きすぎる力。弱いまま強い。自身の正義を見つけられず、見つけても信じ切れず、もがきにもがき苦しみます。信念なく行使してしまう能力が、だけどセシュペールすら凌ぐ圧倒的なモノなのだから途方に暮れる。優しいまま強くなりたい、セシュペールと対等になりたい。願って三歩進んでは二歩下がり。それでも間違いながら苦しみながら手に入れた強さは、最初から間違わないセシュペールとはまた違った種類のモノでした。主人公に助けられ、ママに甘え、仲間に背中を守ってもらいながら、それで良いんだと弱い自分をそのまま受け入れるようになった事で得た強さ。弱者の弱さも知りながら、強い気持ちで善行を成せる強さ。ルートラストで、代表者としての責任で強く決め切った制度が、だけど一般生徒たちの目線に立ち、生徒全員参加の大戦を作るというものだったのが、象徴的な気がする。
・教育論。大戦は必要悪?
対立や責任といったストレスを摘んで回れば子供は強く育つのか? というのが魔法生徒会大戦を通じて投げかけられる議論です。まあマジで他人事じゃないよね。ひいてはエロ規制、グロ規制にも繋がる所だしね。まあいいや、とりあえず作中人物のスタンスを紹介します。
まず学園長ですね。この人は超がつく放任主義。いや最早教導を放棄しているんじゃないかとさえ思えるほど。大戦の功罪を正しく理解しながら、改善も改悪もしない。ただただ「生徒の選択・自主性」を「尊重」し今日まで静観を続けてきました。ちなみにこの静観というスタンスは母親としてもそうで、この姿勢がアイリスに寂しさを植え付け、彼女の(現状の)弱さの根幹にもなっています。感情論だけで言うと、僕はこの人嫌いです。
対してセシュペールを始めとした東棟の面子。学園長の「尊重」を「物は言いようで、ただの怠慢じゃないのか? 現状の大戦の悪い所(一部の生徒に過度の責任と権限が与えられる点等)の改善が出来たのは学園長だけだったのでは?」という論調なわけです。いわゆるストレス軽減を訴えるワケで、多少の紆余曲折はあれど、結局このストレス軽減の方向で大戦は改革されるというのがセシュペールルートの結末になります。ただ紆余曲折の中で、東棟の面々も大戦を通して確実に成長出来ていたことを実感し、それはやはりストレスを背負って戦った事が決して少なくないウェイトを占めているということにも気付かされるワケですね。ストレス無くして成長無しってヤツですかね。実際、現実社会においても戦いを続ける職業、プロスポーツ選手とかを見ていると、やっぱ一般人離れした鬼メンタルを持っている方とか居ますもんね。そういうこと考えると……強い子供を育てるって観点で言えば、どうなんですかねえ、ストレスフリー社会。まああんまり広げると香ばしい議論になりそうなので止めときましょう。
・スポーツ論。夢の体現者
主に鳴ルートで焦点になりますね。上記のように大戦自体がスポーツ的側面があり、加えて鳴とターニャの二人はゲームの世界大会で国を代表して戦った経験のある、これまたスポーツ議論向けの設定になってます。「勝手に期待して、裏切られたら安全な所から石を投げる」という鳴の言葉に何も感じない人はスポーツファンには居ないんじゃないでしょうかね。ちょうど今さっきフェデラーが決勝で敗れましたが、流石に掲示板なんかに文句を書き連ねることはしないものの、やっぱ落胆はあります。ただそこまで大きな落胆には繋がらないのは、激闘の末、相手も相応の実力者であるデルポトロという条件が揃っているからです。だけど例えば、これがランキング超下位の相手にダブルベーグルで負けたとしたら、ラケットなんてろくに握ったこともないくせに、サーフェスに適応できてないんじゃないか? また背中に痛みがあるんじゃないか? とか思うでしょうね。
今回の魔法大戦の生徒会の面々もまた、無様な負け方をした後は、同じ生徒からこういう無責任な原因追及や批判を受けます。これが教育論でも書いた大戦におけるストレスの一端ですね。ただ鳴は先の言のように観戦者の無責任を指弾しながらも、それを乗り越えた先の快感も知っている生粋の競技者でもあります。従って、ルート中一度も周囲の期待の重圧に負けることはありません。「戦士のメンタリティ」や「勝ったり負けたりするもの」といった言葉に集約されていますね。負けることで主人公が批判に晒される恐怖は持ちますが、自分が負ける事、それで批判される事に関しては綺麗に割り切ってます。またターニャにしても世界チャンプとして書きながら、三割程度は鳴に負けると書かれています。他国の代表に七割勝てる世界一位。エロゲっぽくない、メッチャ現実的ですよね。実際学内で行われた大会では鳴に後れを取りますが、彼女もまた敗北が普通に確率的に起こり得ることとして認識しています。負けたショックでウンコ漏らしたりはしないワケです。結局ふたりとも、負けてもまたやれば良い、ほんで次こそ勝ちゃいいってメンタルで、繰り返しになるけど生粋の競技者ですよね。なのでルート内容は東棟が負けた後、ごねて最終的に勝つという独特の展開になります。綺麗事だけじゃなくて、勝つためには少々間違ってようが汚かろうが、やる。そういう強い意志を描いたルートでしたね。
また最終戦では、先述の「周囲の期待」の正の側面も書かれます。当たり前だけど、期待されているという事は、それだけ憧れられているという事でもあり、その期待に応えれば称賛が待っているワケです。見てもらってナンボって事です、良きにつけ悪しきにつけ。そして同じ競技者でもあるターニャと鳴もまた互いに「勝手な期待」を相手に抱いていた。鳴はターニャに憧れていました。最後の言霊に「カムバックマイスーパースター」とルビを振りました。ターニャは鳴をライバルと認めていました。現実や常識に負けない夢を夢のまま、その体現者として共に切磋琢磨してくれると思っていました。
ショービジネスのプロを目指しても、ほとんどの人がどこかでその夢から覚めます。だからこそ本当にプロになれた一握りの人には、夢の体現者として振舞って欲しいのが人情です。だけど同時に彼らもまた一人の人間であり、度を過ぎた期待は暴力にもなりかねない。いやー、スポーツ好きとしては本当色々と考えさせられたっす。
・異文化論。金髪さん
書きたくねえww一番書きたくねえ。普通にデリケート過ぎるわ。まあなるべく穏便に書いてみますが。
この論は、アイリスルートの裏命題だね。ウィッチズコンプレックスとせず、ウィザーズとしたのは主人公の事も書きたかったからじゃないかなと思います。世界に一人の男の魔法使い、女学園に一人だけの男。そういう意味では西棟の面子と同じく、異邦人に近い立場で、そんな彼の葛藤やコンプレックスとその成長みたいなのをね、描きたかったんじゃないかと。まあちょっと微妙なんだけどね。つーか強すぎんだよね、主人公。一番最初の人格論で書いたけど、多分一番メンタル的に強いのは彼だと思う。どのヒロインに対してもすぐさま適応して寄り添い、どれだけ批判されても平気で登校するし、セシュペールとは違い迷う弱さもありながら、アイリスのように悲観的にはならず、最終的には自分で決めて突き進んじゃう。ある意味、アイリスとセシュペールの最終形みたいな所があるんだよね。まあだから、わざわざウィザーズとするほどは上手く描写できてるとは思えなかったり。というか、ほぼメリッサに食われた論題だったりします。
「金髪さん」って日本人が言ったとして、僕らの感覚では差別的な意図は感じないし、むしろブロンドに対しては憧憬に近いモノもあったりで……っていうのはアメリカ人のメリッサにとっちゃ知ったことではない。差別用語とされている言葉、ジェスチャー等を、果たして本当の悪意で以って言ったか(行ったか)は悪魔の証明なんだよなーっていう。そしてメリッサは多民族国家アメリカの人ですから、そういう悪魔の証明が終わるのを待っていたら、どんどん自分たちの所属するコミュニティが舐められてしまう、綺麗事じゃ何もなせん、というのを強く理解しているんでしょう。庇を貸せば母屋を盗られるとかも言ってましたっけ確か。「西棟の人間はみんなバラバラの一人。その分仲間になるってことは重い」という言は、これも日本人には馴染みにくい。民族を超えたコミュニティを形成した事、その構成員が馬鹿にされれば他人種でも彼らの為に戦える気持ちを持つ事、ここら辺の経験が無いと中々真に理解するのは難しそうです。
ではもう少し他人事じゃない例を出します。鳴ルートのターニャが主導で西棟が横暴をする場面がありますよね。あの中で食堂のメニューに各国の料理を増やすという項目がありました。アレ正直ドキッとしました。「日本食と洋食で分かれてて平等でしょう?」というような東棟側の反発がありますが、外国人からすると洋食だけで括られたら堪ったもんじゃないっていう。ターニャの国のポトフは? シャリーの国のココナッツ料理は? と逐一見ていけば、必ず誰かは我慢してるでしょうね。もちろん食堂の冷蔵庫の容量は有限だし、全部叶えることは不可能なのは間違いないですが、少なくとも「洋食を用意しているので外国人(全体)にキチンと配慮している」と考えるのは非常に傲慢だったワケです。あー今書いてて思い出したんですが、蒼くんがアイリスと仲良くなれた一番最初のキッカケは彼女の国の料理を作ってあげたからでしたね。うん彼イケメンすわ、やっぱ。決して馬鹿には出来ないからね、「食」って。ある意味、東雲家はアイリスが来た日、国際化を余儀なくされたんだけど、本当サラッとやってのけたよね。アイリスの国の文化を聞き出し、料理を一緒に作り、異国で異性の家にホームステイする極大の不安を抱えた彼女を暖かく迎え入れた。食と笑顔で。「大好き」と言いながらアイリスの等身大に寄り添わないセシュペールや、ストレスだけ与えて乗り越えるのは本人任せの母親モドキは見習って、どうぞ。……アイリス可愛さに、うっかり話が逸れちゃいましたね。戻します。
「日本に来たのだから和食でオモテナシ」なんてのも少し前流行りましたが、アレは色々と余裕のある観光客向けの話で、しかも一時的な滞在が前提ですよね。アイリスや西棟の面々は留学生ですからね。和食を強要し続ければ暴力みたいなもんだし、「嫌なら日本から出ていけ!」をやると鎖国ジャポンで国際競争に置いて行かれます。もう手遅れかも知れませんが(小声)
・振り返り。
結局まあまあ香ばしい感じになっちゃいましたね。まあ論題が香ばしいから仕方ないね。
色んなキャラが個性全開で暴れ回った今作ですが、アイリス・蒼のカップルが一番好きです。気の強い大型犬たちに苛められて帰ってくる子犬みたいな彼女を、「痛いの痛いの飛んでけー」や「たこ焼き」でジャレついて撫でくり回す彼。子犬はキチンと育ちましたが、きっとずっと甘えん坊の気質は変わらないのでしょう。
エロ(18/20)
メイン四人が五回ずつ、サブ四人は一回ずつ。結構ボリュームありますね。また近江谷さんらしい、強気ヒロインをメスイキでふにゃふにゃにする展開が多く、僕の好みに合致してセシュペール! まあ本編で彼女たちはやりたい放題なので、おまんこで不満は晴らしましょうって事で、ここら辺は「ワーエレ」と似てますね。
音楽(8/10)
OP曲は佐藤さんとコトコさんのタッグという、凄まじい力の入れよう。リリックは基本アイリスの応援ソングみたいな感じっすね。ED曲はコンプレックスを克服して成長したんだから、もう少し明るくても良かったんじゃないかね。BGMは可もなく不可もなく。