正に「埋もれている名作」
名作だと思っています。
音々が音読する『羅生門』がこの作品のテーマと共通するのでしょう。
この場面の演出はかなり巧いと思います。
テキストではなく、さらっと、しかし印象深く。
パブリックドメインなのでテキストにできたと思いますが、音読させるのみ。
音々を国語の教諭に設定したことさえ意味があるように思えます。
授業で音々に『羅生門』を音読させるためなのではないか。
これだけでかなりの評価になります。
ただ、「うそ」……この言葉に何か違和感が……。
まあ、言いたいことはわかります。
それを作品の雰囲気のような「やさしい」言葉で表現すると「うそ」なのでしょうか。
鈴が語る「凄く良いもの」の比喩としての「うそみたいな」。
例えば、そのような意味としての「うそ」など。
残念なのは最後がくどいこと。
超展開が終わった後、延々と説明が続きます。
さくら荘での余計な会話は必要なし、母親との再会も必要なし。
夕陽の独白は……「本物」を知る上で必要なのか。
場面場面に意図があることはわかりますが、もう少し巧くまとめられなかったのでしょうか。
良く言えば懇切丁寧。
でも、そこまで説明をする必要があるのか、という感じ。
このような明確なテーマがある作品の場合には、多くを語らない(語らせない)方が効果があるのではないかと。
鈴ルートの超展開。
不満は、なぜもっと巧くメカを描けないのか、ということでして。
背景と全く合っていません。
「あいつら」の外見が何かマヌケで……。
あのメカでは緊迫感が全くありません。
まあ、好みによりますが。
超展開自体は、と言えば、もちろんこれがなければこの作品は成立しません。
桜乃は鈴と「ボク」が生み出した世界なのですから。
自分としてはテーマとして『羅生門』を挙げましたが、他にもいろいろと解釈ができるはず。
それがこの作品のおもしろさなのでしょう。