魔王とは何だったのか
【総評】
G線上の魔王というゲームを一言で表すならサスペンスゲーでもなくシナリオゲーでもなく
キャラゲーだと答えるのが一番しっくりくるだろう。というのは、シナリオ上の焦点は明らかに
「魔王」の存在にあたっていると見るべきだが、後述するように肝心の魔王の正体について作中で
イマイチ整合性が取れていないように感じるからだ。
そうするとこの作品は魔王の正体を推理したり、魔王の存在に込められているメッセージを考察したりすることが
目的のシナリオゲーというよりも、修羅場に置かれたキャラがどのように動いて行くかを眺める
キャラゲー(萌えゲーだけがキャラゲーではない)だと捉えた方が評価しやすい。
各ルートにおける人物描写やルート終盤での盛り上がり、逆転劇など
個別のエピソードと演出は車輪の国同様非常に優れているものの、全体の構成で
もう一歩だったといわざるを得ない。そういう意味では、名作と名作のなりそこねの中間くらいの作品である。
【魔王の正体】
冒頭でも触れたとおり、魔王の正体は本作のシナリオの根幹部分であるはずだったのだが
魔王が主人公の兄の恭平だったとすると、作中描写に不整合が生じるということと
そもそも兄の恭平を魔王にすることがシナリオ上妥当であったのか、という2つの点で疑問を呈したい。
まず、作中描写の不整合については以下の3点が挙げられる。
第一に、ハル以外の個別ヒロインのルートで魔王が何故活動停止になるのか不明であること
第二に、花音ルートで「京介(の別人格)=魔王」でないと整合性が取れないモノローグ・台詞があること
第三に、1章でハルのいかにも京介が魔王だと言わんばかりの台詞があること
この3点をスルーするには、ハルシナリオ以外の個別ルートでは「京介=魔王」で
ハルルートのみ「恭平=魔王」とするしかない。
確かに散々「京介=魔王」だとミスリードしてきて、別の人物が正体だったというのは意外性はあるが
ミステリーの結末としては、ただ予想を外させる為に用意された陳腐な解答になってしまった。
2番目の疑問としてシナリオ上そもそも恭平を魔王にすることが妥当か否かという話がある。
本作のシナリオ上のメインテーマは、勇者である宇佐美ハルと魔王との因縁の対決であることに
疑いはない。もし「魔王」の正体が京介だったならば、この対決はただの憎むべき敵同士の戦いというだけでなく
どちらも復讐が動機であるという相似性や、宿敵であると同時に惹かれ合う存在であるという愛憎が
入り混じった文字通りの「命をかけた純愛」になるはずだったのだが、「魔王」の立場を第三者である
恭平に丸投げしたことで、上記の悲劇的な要素は消えさり勇者によるただの復讐劇になった。
魔王である恭平は、ヒロインのハルにとっては倒したらそれで終わりのただの敵だし
主人公である京介にとっては実の兄とはいえ、魔王として登場するまでの恭平の存在は
とても希薄で結局はただの敵というところに収束してしまう。
結局「恭平=魔王」のシナリオでは、「魔王」はただの敵役以上の意味はない。
もし「魔王」に、人間が誰しも持つ「悪の心」や「社会に潜む悪意」という意味合いを持たせたいなら
京介の内に秘めた「魔王」が覚醒するという話の方が、「海外で傭兵をやっていた兄が急に帰ってくる」
よりもはるかにしっくりくるだろう。
るーすぼーいが最初からミスリードだけを狙ってこういう構想にしたのか、それとも上手く書けずに
変更した結果なのかは分からないが、単にミスリード狙いでこういう構成にしたとしたら
「プレイヤーを驚かせる」という一発ネタの為に、全体の話を陳腐化させる本末転倒の行為だと
言わざるを得ない。
「君は、勇者になるんだね。だったら僕は・・・」という台詞から逃げずに「魔王」と「勇者」の話を
主人公とヒロインの関係を軸に仕上げることで、初めて一環したテーマを持った作品になるはずだったのだが
そうはならなかったのが一番惜しいところである。
散々魔王の正体について文句を言ったが、総合的にはるーすぼーいの味が効いた
秀作であるのは間違いないので、もう一押し欲しかった。
【個別感想】
るーすぼーいが描くヒロインは毒というか、癖のある人物が多いが
メインヒロインである宇佐美ハルは、その中でも特別変わったキャラである。
特に序盤は、髪をだらっと幽霊みたいに伸ばした出で立ちに加えて
何を考えているか不明の変人というか奇人のようなキャラであり、とてもエロゲのヒロインとは思えない様相である。
しかし、話が進むにつれて探偵的な立ち位置よりも主人公に思いを寄せるヒロイン的な立場へと変わっていく。
幽霊立ち絵も段々少なくなり、性格も普通のヒロインっぽくなっていくことで
一種のギャップ萌えみたいな効果が効いていると言えるだろう。
椿姫や花音も聖人であったり人当たりの良い好人物であったりするのが、闇落ちしたり
ヒステリックになったりと、ヒロインをアイドル的な偶像として扱うのではなく
表裏のある人物として描写しようというのは、るーすぼーい作品の一貫した特徴だと言えるだろう。
車輪の国もG線もシナリオで主に評価される作品だが、ここら辺の生々しいヒロイン感も
彼の持ち味だと評価できる。