引き込まれる世界観と思わず「やられた」と言ってしまう展開、キャラの魅力もシナリオの完成度も高い水準にある非常に勧めやすい作品
梱枝りこのイラストに冬茜トムのシナリオ。さくレットと同様の布陣であり、当初はさくレットからプレイしようと考えていたが、現在の季節的に冬のほうが近いため、アメグレからプレイすることにした。
プレイした感想として、3つのことを深く語りたくなったので、それぞれ述べていく。
・主人公側と敵側のループと犯人当ての要素
アメグレのシナリオは、街が破壊されるところから本格的に始めることになるが、最初の時点では何が理由で終わりを迎えたのかわからなかった。しかし、物語を進めるにつれて、人為的な犯行であること、仲間の中に敵がいることがわかる。そして、周回が進むにつれて敵となる犯人を探すことが目標となっていく。
ループを繰り返しながら、終末の運命を変えようとする物語であるが、主人公のシュウのみがループを知覚し、ヒロインのユネはループを認識できない(最後の周回以外でループに関われない)設定は新鮮であった。そして、犯人もまた主人公側と同じルールでループしている存在であることがシナリオの肝であったように思う。
つまり、敵は1人ではなく共犯を含めた2人である。そして、りんごのループのルールにより、共犯者はループを知覚できるのに対して、実行犯である真犯人がループを知覚できない状態にあることから、真犯人の行動にループを知覚しているような不自然な点がないため、後半にならなければ真犯人はわからなかったと思う。
共犯者のサクヤに関しては、ほかのヒロインと比較して最初からシュウへの好感度が高過ぎる点(積み重ねた好意を隠しきれていない)や、物語を進めるほどループを知覚していることがあからさまになっていくため、真犯人ではないにしても、なにかしら根幹に関わるキャラであることはすぐにわかったと思う。
わかっていても、最初に出会った少女がユネではなくサクヤであった展開は衝撃的だったが・・・。
サクヤがループを知覚して行動していた共犯者であったことが理解できれば、ミステリーではないため犯人当ての要素自体は奇をあてらうことなく、ちゃんと物語を読んでいれば明確に犯人を指摘できる内容だったと思う。
ヨウジの周回で、文化祭当日、ギドウが手綱を見守っていたにもかかわらず、手綱が切られてしまい馬が暴れるシーンがあった。サクヤがループを知覚した共犯者であったと仮定すれば、来たことも悟らせずに手綱を切るのは難しく、見張っていたにもかかわらず途中でサクヤが来たことに言及しないギドウが不自然であることがわかる。
このシーンを思い出せば、ギドウが真犯人であり、そもそもあの出来事はギドウの自作自演だったのだろう。ほかにもコトハルートのラッパの運び出しをサクヤに教えた人物が真犯人と考えるなら、その場にいたギドウを含めて候補を大きく絞り込める根拠になる。後は、ギドウの周回を思い返すとサクヤにチェスの相手をたくさんしてもらったことが語られており、兄妹の伏線がここにも張られている。
根拠がない場合でも、消去法で考えると最初からあからさまにミスリードのシスターは除外されるだろうし、残りはギドウとヨウジしかいないため、大穴でヨウジみたいな読みをしなければ、なんとなくギドウが犯人で当てられる気がする。
真面目に読むのが馬鹿らしくなるくらい、わけのわからない真犯人が出てくる展開もあるかもしれないと思ったが、ちゃんと読んでいればわかるようにデザインされた犯人当てだったと思う。
・思わず「やられた」と言ってしまった展開
犯人当てに関しては、順当な内容だったと思うが、アメグレで驚かされるポイントはやはり、自分たちの常識とこの街の常識が大きく食い違っている明確な理由に気づかされる場面だろう。
物語の序盤から登場する不思議な模様を持つ壁画。シュウは最後の周回まで壁画の謎を追わなかったが、この街の住民が壁画と呼ぶものは文字であった。
携帯電話、デジタルカメラ、時計などのハイテク機器がないのにもかかわらず、指紋認証システムや音声認識システムのハイテク設備がある矛盾、そもそも美術館の展示品には作品名が書かれていることが普通であり、音声ガイドはあるものの、ガイドがいない状況でも作品の内容を知れるように説明が読めることが一般的であること。
違和感を抱く要素は多いのにもかかわらず、なぜ我々プレーヤーが気づくことができなかったか・・・。そのトリックは、ギャルゲーやエロゲーをプレイしてきたのなら、疑問を持つこともない会話ウィンドウにある。
当然、主人公の視点であれば会話ウィンドウなど見えるはずもないのであるが、プレーヤーは登場人物の会話や主人公のモノローグを聞くとき、会話ウィンドウを通して文字で情報を追っている。つまり文字に触れる機会がない主人公と異なり、我々は常に文字に触れている状態にある。
そのため、文字が存在しないという考えに至らない。エロゲーの固定観念を利用した秀逸なトリックだといえるだろう。壁画のCGを見て、街に感じていた違和感のすべてを理解して思わず「やられた」と言ってしまった。
逆にアメグレが字幕のない映像作品であったりすれば、会話ウィンドウがない主人公に近い視点で物語を俯瞰できるため、このトリックは恐らく見破りやすい。まさに会話ウィンドウという固定観念があるギャルゲー・エロゲーでしかできないトリックだったと思う。(絶対にアニメ化してはいけない作品かもしれない)
・サクヤとユネ、対照的な二人のメインヒロイン
この作品のメインヒロインは、共通ルートを終えた段階ではユネ一択である。しかし、実際にはサクヤとユネの対照的な二人のメインヒロインによって成立する物語であったと考えられる。
サクヤはループを続けて兄のギドウが望む結末と、シュウとみんなが助かる妥協点となる結末を探し、シュウに対して好意と罪悪感を感じながらもたった一人でループに立ち向かったヒロインであった。
一方で、ユネはみんなが幸せになる結末を願って、主人公にすべてを託し、自分は命を削りながらも待ち続けるヒロインである。妥協できる結末を手に入れるために奔走するヒロインと、みんなが幸せになる結末を追い求めて待ち続けるヒロインとなっており、対照的であることがわかるだろう。
しかし、アメイジンググレイスというタイトルが合うのはサクヤルートだと個人的には思っている。作中でも語られるが、アメイジンググレイスの本来のお話は、奴隷商人という咎を背負った人間が最後に神に祈り、驚くべき恩寵を得た奇跡のことである。
作中で咎を背負っているのは、ループの性質から袋小路であり、仕方なく兄の計画に協力しているとはいえ、罪悪感を背負い続けたサクヤである。罪の意識に苛まれながらも最後の告白でシュウと結ばれた奇跡こそアメイジンググレイスと解釈できるだろう。このシーンでアメイジンググレイスが流れることからも、そこは意識していると思われる。
しかし、この結末にたどり着けたのは、最後まで主人公を信じてみんなが幸せになる結末を望んだユネがいたからであり、自身を犠牲にしてでもみんなが幸せになることを望んだユネを今度はシュウが命を懸けてでも助けたことから、やはり彼女もこの物語もメインヒロインである。よくあるメインヒロインの影が薄くなり、ほかのヒロインに食われてしまっている内容ではない。
もちろん、ほかのヒロインであるコトハやキリエのキャラも良く、立っていたため、サブキャラクターを含めて誰が欠けてもアメグレの魅力は語れないと思った。
・まとめ
個人的にはキャラの魅力もシナリオの完成度も高い水準にあると判断しており、梱枝りこ氏のイラストの可愛さからも興味を持ちやすいことから、非常に勧めやすい作品であると思っている。キャラで作品を選ぶ人も、シナリオの完成度を目的に作品を選ぶ人も同様に楽しめる作品だろう。
懸念点としてはネタバレなしで作品の魅力を伝えるのが非常に難しい点にある。なにを語ってもネタバレになる気がしてくるので、最初からネタバレを指定した感想でなければなにも具体的なことが語れないかもしれない。万人受けしやすいが、完成度も高く衝撃的な内容であり、最後まで飽きることなく楽しめた作品だった。