普通や当たり前が通用しない村で『常識は簡単に人を裏切る』ということを痛いほど思い知らされる。物足りない読了感の正体は稀世良の役割と未回収の伏線か?
簡単に話を要約すれば、一般的な倫理観では狂っているとしか考えられない常識がまかり通る村で、外から来た主人公が『常識は簡単に人を裏切る』ことを痛感させられる話だった。
最終的に行き着く先は『人は信じたいものを信じる』と考えられるため、結末を含めて読者に委ねる内容であったといえるだろう。
Erewhonのメインヒロインが十子であることは、プレイしたすべての人にとって疑いの余地もないシナリオであった。加えて個別エンドがある稀世良、サエもヒロインであることは間違いない。
それぞれの登場人物について深掘りした考察や感想に触れていきたいと思う。
<< 稀世良 >>
【稀世良が物語で果たした役割は?】
Erewhonの読了感で物足りなさを感じた方も多いと思うが、その正体のほとんどは稀世良の存在にあると考える。パッケージではダブルヒロインのような扱いである稀世良が後半になるにつれて登場しなくなり、物語の核心において蚊帳の外にある点は引っ掛かりを覚える人も多いことだろう。
この物語のメインヒロインは十子であることは疑いようのない事実だが、稀世良は作中においてどのような役割を果たしたといえるだろうか。
稀世良が作中で果たした役割は、主人公と物語を読む読者を含めて世界観に没入させる導入の役割だと考える。声優の演技もあいまって、彼女の声を聞いているだけで、無垢な少女の声の背後にある底知れぬおぞましさを感じたことだろう。
稀世良は村に対する底知れぬ恐怖を具現化した存在であると私は考える。しかし、物語が進み村に対する秘密が次々と明らかになれば、知ることにより目に見えない恐怖は無くなっていく。
村にまつわる秘密がすべて明らかになった時点で、稀世良が物語において果たす役割はなくなったため、物語に必要とされなくなったと考える。
【稀世良ルートに残された未回収の伏線】
しかし、ここまでの話を否定するような稀世良ルートには未回収の伏線が2点あることがノイズとなっているようにも思える。
・主人公に村に出ていくよう命じた人物は誰か?
・恒太郎は誰に連れ去られたのか?
口調から洞窟を抜けた未来の主人公が警告をしたように思えたが、真偽は不明。恒太郎に関しては未来の主人公が連れ去る動機もがない。村の者が犯人だとすれば美壽々くらいしか考えられない。
伏線の回収に稀世良が関わってくると考えていたが、稀世良ルートで起こったことは物語の本筋において無視されてしまっている。ただし、結末を知ってしまえばここに答えが出たところで、なにも変わらないように思える。
結論から言えば、彼女の存在は村の根源には関わっておらず、美壽々の娘として村に生を受けた一人の少女であり、そこに秘密もなければ裏もない。ただ御廻様を待ち続け、御廻様を自分のものにしたいという願望を持つ無垢な少女でしかないのだろう。
すべてを知った後に共通ルートと個別ルートをプレイすると大きく印象の変わるキャラかもしれない。
<< サエ >>
【一番虐げられている下女を救う、独善的なシンデレラストーリー】
八千代の逆恨みにも近い憎悪によって、元々人権のない奴隷である下女の中でも一番酷い扱いをされていた。外の世界の一般的な常識を持っている主人公にとっては、最も同情の感情を持ちやすい人物であり、2週目以降は彼女を守るために行動することとなる。
最終的にサエルートでは、千鶴江の力を借りてこの村を抜け出し、外の世界で彼女と一緒に暮らす。しかし、村を出たにもかかわらず、村の常識に縛られ続けるサエは外の世界に出ることはなく、主人公と自分だけの世界である部屋にこもり続けるというもの。
村を出たにもかかわらず、サエの心は主人公が村で生活したあの部屋の一室に閉じ込められていることを表しているようだった。皮肉をいえば独善的なシンデレラストーリーである。
【赤子の入れ替えと最悪な形となった血のつながりの証明】
ここまでの話だけであれば、かわいそうなだけのサブヒロインで終わったかもしれないが、世話になっていたマサから赤子の入れ替えの真実を明かされたことで絶望に身を落としてゆく。
サエは真実を知っても十子と立場を入れ替わることができないとわかっていた。すでに穢された自身への卑下だけでなく、自分には十子のような立派な精神性を持ちえないと理解していたからだ。
サエは八千代の娘で、十子はみどりの娘、DNA鑑定が存在しない村の常識では証明できないように思えたが、最悪な形でサエはこれを証明してしまう。やり場のない嫉妬と憎悪に背を押され、十子と主人公を奈落に突き落としたのだ。
そのときに見せた表情は、回想で見た八千代がみどりに見せた表情と重なった。そもそもな話、稚拙で子供のような精神性である八千代の娘が十子であること自体が不自然であり、サエが十子に対して感じている精神性の違いへの憂いは的外れでしかない。
人間は追い詰められたときに本性が出るが、その本性こそがサエが八千代の娘であることを最悪の形で証明してしまった。
<< 十子 >>
【人は人を裏切らないかもしれないが、常識は簡単に人を裏切る】
この物語において、”唯一”自分ではなく他人を思いやり、他人の立場に立って発言・行動できる、気高き精神性を持っていた人物であり、今作の唯一にして無二のメインヒロインである。
主人公は自分でも何度も発言して自覚もしているが、他人を助ける理由は、助けないままにしておけば自身が罪悪感に押しつぶされるからである。それはある意味、外の世界の常識に毒された精神性であり、本質的には自身のことを考えているからだろう。
ゆえに主人公は、外の世界の常識でものを計り、十子、サエに関連する出来事で良かれと思い、外の世界の常識を押し付ける行動を何度もくりかえす。特に村でも十子は唯一、信頼できる人物であると確信し、外の常識である個人の幸せを追求する権利を説いた。
しかし、十子はその言葉を村の常識のなかで解釈し、十子の願望が家族や村を守ることであったことから、主人公の発した言葉をきっかけに最悪な結末へと導かれる。
十子がどれだけ信頼に足る人物であっても、違う常識の中で生きてきたのであれば期待を裏切ってしまう。人は人を裏切らないかもしれないが、常識は息をするように簡単に人を裏切るのだから。役目を果たせば村のみんなが守られるという常識を十子は疑うことができなかった。
序盤の十子ルートは、主人公の願いが最後以外になにひとつ叶わず、ただただ無力さを痛感させられる話であったといえるだろう。
【人は信じたいものを信じる】
サエに突き落とされ、太歳である十子を食べて不死となった主人公は、村の根源を知る旅をする。
理不尽な常識やルールがまかり通る村の中で、美壽々は「人は信じたいものを信じる」という考えのもと、村人が信じる常識を作り出し、憎悪のままに周りを苦しめていったことが、来待村の始まりであった。
人は広く世界を知らなければ常識を疑えない。村社会という狭い世界に閉じ込められた人々は、その常識を信じながら、さまざまな感情を持って信じたいものを信じていた。
例えば、永遠に思える凌辱を受け続ける下女たちは、辛く苦しい凌辱という行為を正当化するために、御廻様という神聖な存在に凌辱されることにより、自身の穢れを浄化することができると信じた。また、一部の下女は自分よりも下の立場にあるサエがいることを精神的な支えとしていた。
自分の娘をみどりの娘と信じて迫害してきた八千代も、御廻様を待ち望む稀世良も、この村に住むすべての人々が自分の信じたいものを信じて生きてきたといえるだろう。そして、それはこの村に限らず、長い歴史の中で人間は、その国・その場所に存在する常識を信じて生き続けているのだ。
しかし、常識ほど簡単に人を裏切るものはないことは、ここまでのストーリーでも痛感させられている。常識は年代・国・地域で異なるためこれほど不確かなものはない。
私は常識を疑えることはある種の権利だと思っている。なぜなら、広く世界を知ることができる環境と、常識よりも信頼性がある科学的に証明された事実を理解し、常識と矛盾していることを理解する知性が必要だからだ。これを備えられない人間はどれだけ精神性が優れていても常識は疑えないのである。
最終的にはBAD ENDを含めて5つのENDがあるものの、特に最後のENDである太歳を食べさせ生きのびることができた十子が主人公と協力して狂気に支配された村を救えるかどうかも含めて、読者に対しても「信じたいものを信じれば良い」という結末を委ねる構成になっているのだと思う。
まとめ
世界観に対する没入感はCLOCK UP作品のなかでも一番高く、ホラーとはジャンルが異なるものの、思わず背筋が凍るような話であったと思う。
ただし、入れ替えのくだりから最後に至るまでが駆け足であり、読者からすれば未回収の伏線を放置して明後日の方向に駆け出していくような不安を感じるところもあった。
CLOCK UPでもシナリオが良いとされるeuphoria、羊狼にもいえることだが、途中までの描写は丁寧であるにもかかわらず、最後のみ駆け足になってしまう点は、ヌキ要素である一定数のシーンを確保を含めて短い内容にするとどうしてもシナリオを満足に描写できないことが関係していると考えられる。
この辺りはゲームの方針であるため、どうにもできないのかもしれない。ちなみに私はシナリオの展開上で必要のないシーンはいらない派だ。
もし、シナリオの完成度を目的にCLOCK UPのゲームをプレイするなら夏の鎖はおすすめだ。シーンがメインの内容であるにもかかわらず、短いながらも綺麗にまとまっている。シナリオライターも同じ浅生詠氏である。
伝奇物としても面白く、元ネタはあるものの、エロゲという表現方法でこれまでにない作品を求めている人に向いていると思った。稀世良関係で物足りなさを感じた人が少しでもErewhonに納得できる解釈を提示できていれば幸いである。