サクラノ詩の欠点を克服するだけでなく、輝かしい刻として昇華させた作品。これをやらずしてサクラノシリーズは評価できない。
サクラノ詩の続編として発売されたサクラノ刻は、当然ながら前作をプレイすることが前提の作品だ。
私はサク詩を「読者から作品に歩み寄る姿勢を前提としており、人に勧めるべきゲームではない」と考えていた。演出、音楽などの完成度の高さは認めるが、神作扱いされる理由は正直理解できなかった。
なぜなら以下の欠点があったからだ。
・序盤の内容が非常に退屈なものであり、面白いと感じるまでが長い。
・とにかく引用が多過ぎる。ライターの文章のクセが強い。
・続編を前提としているため未完成にも思え、少し消化不良感が残る。
3つ目の欠点はこの作品で綺麗に完結させれば良い話であるが、上記の2つの欠点に関しても克服していた。
前作と同様に哲学的な内容や、難解な内容の引用はあるものの、ユーザーに寄り添った内容になっており、自然に受け入れられるものであったと思う。
しかし、感動できる理由も前作をプレイすることが前提であるため、結局のところ読者から作品に歩み寄る姿勢は必要であり、サク詩を完走できる人でなければあの感動にはたどり着けない。
それでもサクラノ詩からサクラノ刻まですべてをプレイしてたどり着くあの満足感は計り知れないものがあった。だからこそサク詩を勧めるハードルは高いかもしれないが、刻までやることで詩をプレイした時間が輝かしいものになり、やって良かったと思えた。
この感動を共有するためにサク詩とサク刻をセットで最後までプレイすることを推奨する理由は分かった気がした。逆に言えばサクラノ詩だけプレイして止まっている状態にあるのが一番もったいないと考える。
サクラノシリーズは櫻の芸術家「草薙直哉」の作品に惹かれ、救われた登場人物たちが集まって、彼にもう一度芸術家としての道を歩んでもらうために、それぞれが思い思いに行動した結果、再び芸術家として歩みだす物語で一貫していた。
直哉が作品を描かなくなった理由は、最初は右手の問題であると誰もが勘違いしていたが、母の水菜が亡くなり、奉仕の気持ちにならなければ作品を描くことができなくなっていたからだ。直哉は作品を描くことを通してヒーローのように人を救い、そして救うたびに何かを失ってきた。
サク刻では、圭の死をきっかけに再び芸術家としての歩みを止めてしまった直哉が、圭を中心に様々な人の本音に触れて、奉仕の気持ち以外で芸術家として作品を生み出し、歩き続けられるようになるまでの過程を描いている。
誰もがヒーローのように見える直哉とその作品に特別な感情を持つ中で、藍だけは芸術家の草薙直哉ではなく、自分が失うことには鈍感であるのに、他人を失うことに対しては人一倍脆い直哉という一人の男をずっと見守り続けた。芸術を理解する目がなくてもその本質を見抜いていたからこそ、最後に結ばれるメインヒロインになることもしっくりきた。
今作では藍の弱い部分、自分にとって大切な人達であった健一郎と水菜を実の親のように思っていたこと、そして2人がいなくなった悲しみから、直哉が芸術家として歩みだすことで、彼が傷つき消耗していく姿を見て、いなくなってしまうことが耐えられないという本音をさらけ出したことも印象的であった。
年齢が離れていても、直哉と同レベルの知識を持ち同じ土俵で物事を話せる本間心鈴。前作はメリーバッドエンドのような結末であったが、今回はより皆が幸せになる結末に至れた鳥谷真琴。本作のメインヒロインは3人であり、前作に攻略できたキャラも攻略対象ではないことも多かったが、どのヒロインも魅力的であった。(物語の立ち位置的に圭が一番ヒロインしている感はあるが・・・)
サク詩では印象が悪いキャラであった香奈と麗華にも見せ場があり、特に香奈の見せ場は芸術においていくら努力しても凡人は天才に勝てないことを何度もつきつけながら、条件が揃えば凡人が天才に勝つこともあるという綺麗な反証になっており、凡人でありながら芸術を諦めなかった理由も直哉と一緒に絵を描きたかったという純粋な理由であり、前作から非常に株を上げたキャラであったと思う。
このようにサク刻で起こるすべての出来事がサク詩と地続きにつながっており、サク刻を思い返すたびにサク詩の出来事がかけがえのない刻として刻まれているのだと理解した。
サクラノシリーズは、少なくとも草薙直哉の物語であればサク刻で綺麗に完結したといえるが、サクラノ響という続編の案があるそうだ。確かに稟や雫に対する深堀はできていないように感じられたので、掘り起こして話にするならその部分を補足することになると思われる。
あくまで草薙直哉の物語は完結したと考えたうえで、サクラノシリーズはかつて直哉が発表した火と水のように、詩と刻はセットの作品であり、詩に関しては賛否がわかれやすいが、刻と共に楽しむことでどちらも神がかったものに昇華させているといえるだろう。
書くべきこと、書きたいことが多くなり、散文的になってしまったが、非常に長い内容ではあったもののサクラノ刻までプレイしたことで、私にとっても得られるものが多い作品であったと思う。