シナリオ、キャラクターの魅力、特に戦闘シーンは2009年の作品とは思えないほどのクオリティで、どれを取っても抜きん出て評価が高い 男心を惹きつけるロマンがたくさん詰まっているので、老いも若きも少年の心を持つなら、プレイすべき作品。
<英雄編>
英雄編では、一条はヒロインでありながら、実質的に景明と同じ主人公という扱いで描かれている。
正宗と契約し戦うための力を得た一条は、憎むべき悪である六波羅の公方である遊佐童心と戦うことになる。
童心はこれまでもやりたいように振舞って来た結果、悪行を重ねてきた男であり、目の前で生娘を凌辱するという許しがたい悪行を目の当たりにした一条は滅するべき悪であると判断する。
最終的に勝利し、見事童心を打ち破り殺害することになる。しかし、このとき一条は初めて人を殺したことに戸惑いを見せるが、後戻りできなくなった一条は悪は殺してでも滅するべきであるという正義を掲げ、己の正義を貫いていくことになった。
しかし、ありがちな英雄譚を辿らないのが村正。正義を掲げて善を助け悪を討つ一条に対して、自身の行動によって生まれた矛盾を目の当たりにする。
童心は確かに救いようのない悪であった。しかし、彼も悪行だけを為していたわけではなく、気ままな振る舞いによって救われた人間がいた。それが、童心に拾われ仕えていた兄妹であったが、姉は童心の死によって気が狂いお腹に子を宿したまま死亡したのだ。
一条の悪だけを殺して正義を貫くという姿勢は、童心に仕えていた子どもによって否定され、罪もない少女と生まれてくるはずだった子どもをも殺してしまった。
(まぁ拾った娘をさらっと孕ませてる童心の破天荒振りもヤバいけれど、本人がそれに救いを見出してたんだろうしな・・・)
大義があろうと人殺しに正義はない。善悪相殺とは道理であり、悪意だけを持つ人間が存在しないのであれば、人殺しは人の善性もたち斬る行為であるという事実を叩きつけられる。
そのうえで英雄とはなにかを考えるなら、それは自身の行為を正当化することなく罪を背負い、目の前の人間を救い、時には自分の信念に唾を吐き捨てられても前に進み、明日に苦しむ人の数を少しでも減らすために動く人間のことなのだろう。
魅力的で純粋な悪役を逆手に取り、人殺しの正義という危うさをしっかり言語化できていた素晴らしい内容だったと感じた。
<復讐編>
村正の善悪相殺の呪いを受ける湊景明は、銀星号を倒し、すべてが終わった暁には殺してしまった人のために裁かれることを望んでいた。
しかし、父と親王は景明の身を案じており、死ぬよりも国のために生き続けることを望んでいた。これを知った景明は救いを失い、深く絶望することになる。
そもそも景明が悪いとは思っておらず、自分たちに責任があると考えている明堯にとって息子を殺すことなどできるはずもない。そもそも殺すという責任ある判断を他人が事情を知ったうえで景明に下すことなどできるはずがないのだ。
ただし、それは彼に殺された人間やその関係者は例外である。この物語のヒロイン、大鳥香奈枝は血のつながった人間を景明の手によって亡くし、彼に復讐する資格を持つ人物。
これまで復讐を家業にしてきた香奈枝は、景明の事情を理解したうえで、それでも必ず復讐すると伝え、底知れぬ殺意の恐怖から景明も一度は怯えることとなる。
しかし、香奈枝は銀星号を倒せるのは景明であると考えていたため、銀星号を倒すまでは生かすこと、それを終えた後に確実に殺すことを約束する。
奇しくも望んだ形で、復讐する資格を持った者に裁かれて生涯を終えられることが決まった景明は救いと感じ、香奈枝に感謝を伝える。ここから始まる復讐という名の愛の物語である。
香奈枝は困惑した。復讐する相手から感謝を伝えられるとは思っていなかったからだ。これを理由に香奈枝は景明のことをより深く知ろうと考えるようになる。
彼女は他人のために復讐をしてきた人物であり、幼少の頃は異常があると考えられてきたが、ただ純粋で愛情深い人だったのだろう。やがて景明への憎悪は彼を知ることで愛情へと姿を変えていった。
景明もまた香奈枝だけが救いをくれる人物であると考え、彼女を全力で守ることを考えるようになる。
景明を知り愛した香奈枝は復讐を選ぶ。しかし、香奈枝は景明の父を奪っていることから、景明にも復讐する権利がある。最後まで劔冑を景明の前で装甲しなかった香奈枝は、正体を隠して殺し合うことを選ぶ。
最後は結果的に景明にとって一番救われる結末となったことだろう。まさに復讐と書いて愛と読む物語。
<魔王編、悪鬼編>
英雄編、復讐編を攻略した後にプレイできる本命となるルート魔王編では、景明が村正と離れ離れになり、茶々丸と共に行動することになる。
敵役だった六波羅に加わって行動する展開は、やはりエロゲでは暁の護衛の禁止区域ルートを思い出す。最高に胸が躍る展開だった。童心、獅子吼、雷蝶、茶々丸の敵幹部たちが魅力的で、味方として接すると新しい一面が垣間見られたのも良かった。
一番好きなヒロインが茶々丸だったので救ってあげたいが、茶々丸ENDでは村正を見捨ててしまうのが心苦しい。展開上仕方ないとはいえ、武力なら六波羅最強である雷蝶の膝丸と景明が装甲する虎徹の戦いが見られないのは非常に残念だった。
魔王編は、少年漫画のラストバトル特有のインフレや、なぜか計算をさせられたりと戸惑うところも多かったが、善悪相殺の呪いを利用して自分を殺して妹も殺すという展開は非常に納得できる決着だった。
魔王編の後に描かれる悪鬼編はエロゲらしい村正とのイチャイチャと景明を本気で憎む最後の敵と決着をつけるための物語だった。
雪車町一蔵は、劇中でも純粋に景明の在り方を憎んだ唯一の人間だったため、4章で死ななかった時点で最後に対峙するのはあの男だと思っていたが期待を裏切らなかった。
戦いを終えて生きる意味を失っていた景明は雪車町との対峙で、再び目的を持って動き出すことになる。それは、自らが悪鬼となり、この世に善悪相殺の武を敷くこと。やがて人々は武の本質を理解し、戦いを忌み嫌うようになるまで殺し続けることだった。
この決断は男の意地を感じる決断だったと思う。景明は英雄になれないということは、物語を通じて痛いほど思い知らされてきた。しかし、悪鬼と呼べるような人間でないことを理解している。
景明の本質は変わっていない。しかし、雪車町の言う半端を辞め、殺しは自分が好きでやっていると虚勢を張り、最後には悪鬼がごとく笑みを浮かべる。
雪車町は「嫌々やるんじゃねぇ、悪鬼なら笑え」と言っていたので、景明は悪鬼となるために雪車町の言う通りに意地を張る選択した。実際の性別はともかく、女性的な考えを持つ人にはわからない、男の意地を感じる選択だったと思う。
平和を願って悪鬼となった一人の男の物語は、築いた屍の山に意味を無くさぬようこれからも続く。最高に熱い物語をありがとう。