――これはHENTAIの物語ではない。
面白い創作作品というのは大きく2つに分けられる。
1つはあらすじや要約を読むだけでも面白さが伝わってくる、物語の構造から優れている作品。
もう1つはあらすじだけでは面白さが分からなかったり、平凡だったりする物語が文章力や演出力の高さで面白くなっている作品。
ヘンタイプリズンは後者のタイプで天才的な台詞回しでブーストがかけられている。
ギャグのキレだけならオールタイムベストかもしれない。下ネタがそこまで好きではない自分がゲラゲラ笑った。
一方で物語の展開はかなりガバっていて「ルールに厳しいモラリスト」という設定のシコレンコ看守長が
話の都合で規則に厳しくなったり、緩くなったりを反復横とびするのはかなり気になった。
そんなシコレンコ看守長以上に残念だったのが本作の主人公である湊柊一郎。
単純に掛け合いの点だけで見ればノベルゲームでは珍しいツッコミではなくボケ型の主人公として傑出したキャラだと思うし
本作で展開される柊一郎の物語は綺麗にまとまっている。ただそれは「HENTAIの物語」ではないと思うのだ。
プロローグをプレイし終わった時、自分はこのゲームが露出という性癖を象徴にして
社会から理解されない存在がどのようにして自分の異常性を理解させ、貫いていくのかの物語だと思った。
しかしゲーム序盤から露出という命を賭けるに値するはずだった生き様はあっさりとゲーム製作で代替され
ヒロインと仲良くなるだけで股間に宿る生涯の親友「アマツ君」は現れなくなる。
孤独が生み出した人格と異常性が他者との繋がりによって改善されるという流れはこの上なく真っ当だ。
しかしその真っ当さは「結婚すればオタク趣味から卒業できる」とか「同性愛は病気だから治療できる」的なロジックではないか。
いい年をして漫画やゲームに耽溺し続け、出来るならば死ぬまでこうしたものに触れて感動していきたいと思ってる人間としては
エロゲー版エヴァンゲリオンの如き「お前は異常だ、現実を生きろ」なんて使い古されまくった教訓譚は見たくなかった。
繰り返すが柊一郎の物語は真っ当な社会の要請に従った成長譚だ。
しかしそんな綺麗に解決出来るものではないのが性癖であり、人間の抱える生き辛さではないのか。
ノベルゲームのシーンから「性的異常者のことを理解して欲しい」という切実さが伝わってこないこともあり
自分の中で柊一郎の存在は「ファッションHENTAI」に留まっている。