人ならざるものや古人の考え想いを、無理に現代風に解釈しなくてもいいのかもしれない
上杉謙信は女性だった。清少納言はパリピである。項羽はメカだ。ラスプーチンはドMだ。
二次創作はきょうび、インパクトやキャッチーさが重要であり
そのためには現代の人の考え方、ブームに乗るのが主流である。
奴隷を駆使していた時代の人々から人となりを説かれ
性におおらかだった時代の人々から一途に想われる。
まあ、それも一つなのだろう。
神樹の館の人々は正直何を考えているのかわからない。
秋成は基本困惑しっぱなしだ。
そもそも秋成自体に民間伝承の知識があったから、会話が成立したものの
プレイヤーである自分では通じる気すらしない。
だが、神樹の館の人々は魅力的だ。
伊美や斎は幼さの中に性的な怪しさを秘めているし
麻子は熟れた体の中に幼さを秘めている。
紫織は一歩引いて尽くしてくれる女性だし、知識も豊富だ。
竜胆はもう、生き物として美しい。
彼女たちとの逢瀬の結末も皆が幸せになるものばかりではなく
ときには全て朽ちてしまうことも、館から救いだすこともできない場合ものあり不確実なものだ。
わかりやすいということは大衆受けする上では大事なのかもしれないが
インパクトあるものの前には曖昧な想像はかき消されてしまいがちだが。
謎は謎のまま、曖昧なものは曖昧なまま。
人ならざるものや古人に対して、想像し続けてることも楽しいのかもしれない。