narcissuとは自己満足のことである。
※これは、あくまで自分の感想であり、narcissu 3rdの考察ではありません。
narcissu 3rdの製作者が作品にこめたメッセージでは断じてありません。
人は生きるために、生きる。
人は明日を健やかに生きるために、生きる。
他人の死は自らが明日を生きる上での教訓や感傷でしかない。
安佐乃海璃は限られた明日を健やかに生きるために、自らの死を偽り
英治を騙し、英治を振り回した。
高原英治は海璃を教訓とし、自己満足のために婚姻届を提出しなかった。
楠木ちさとは死に怯えていた。
死の恐怖を払拭するために、嘘を消すことという自己満足のために
残りの人生を費やすことで残された明日を健やかに生きようとした。
鈴木拓人はこれから長く続くであろう明日のために死に触れ
教訓や感傷を得ることで己が心を麻痺させようとした。
相島久也は拓人の突然の死に絶望し、拓人よりもわずかながら長い明日のために
自己満足として、息子に拓人と名付けた。
イリスはヨハンをはじめとした、多くの人の死を教訓や感傷にすることにより
明日を生きることを決めた。
他人の死は自らが明日を生きる上での教訓や感傷でしかない。
あなたが、彼らや彼女の死から教訓や感傷を得たのであれば
是非、明日を健やかに生きて欲しい。
自分の人生について満足できるその日まで。