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speedwさんのMy Merry May with beの長文感想

ユーザー
speedw
ゲーム
My Merry May with be
ブランド
KID
得点
75
参照数
353

一言コメント

Mayは面白かった。Maybeは途中でついてけなくなったが、最後までプレイして少し見直したので再プレイしたら印象変わるかも。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

My Merry Maybeの途中からついてけなくなりましたが、Epilogueを見て見方が変わりました。

MMMbで置いてけぼりになったのは恭介のあり方です。
恭介の存在はハッカーか何かであるようにほのめかされ、後の方で正体が明かされますが、
あまりにも人間離れした存在で謎解きされても「あっそう」位にしか思えず、気持ちがついてけなくなりました。
しかし、Epilogueを見て、少し理解できる気がしました。
恭介を人間でない存在にしたのはおそらく恭平、つまりレプリスです。
人間が人間の処遇について考えた場合、まず間違いなく人間の延長上でしかそのあり方を考えられませんが、
恭平は人間ではなく、人間の思考の限界に囚われる謂れは全くありません。
なぜなら彼は人間であったことは一度もなく、人間として人間を見たことはないからです。
恭平の思考についてけないなと思ったのはあくまでも自分が人間の延長上で考えていたからであって、
彼の思考がどれほど妥当かは判断はつきませんが、人間の延長上にないこと自体は妥当という感覚が持てました。

そもそも人間とレプリスの違いは何でしょうか?
人間とは心(記憶)と体(器)を切り離すことができない存在です。
一方レプリスは心と体が切り離しが可能です。
しかしながら、罪悪感とかレゾンデートル喪失のような心理的危機がもろに体に作用して死ぬのがレプリスで、
人間はレプリスとくらべると心理的危機で自殺することはあっても、直接病気になって死ぬことはまずないし、
通常様々な心理的安全装置が働きます。

さて、そういう面から見るとMMMは主人公はレプリス的脆さを持ち、
ヒロインはレプリス2人・レプリスの存在を知ってる人間2人、レプリスを知らない人間2人という配置。
メインヒロインのレゥは起動エラーでレプリスの精神的な脆さを持つヒロインで、
レプリス2人とレプリスの存在を知ってる人間2人のシナリオはレプリス的脆さを巡るお話。
このうちBシナリオのないリースはリースの弱さを巡る話(リースについてはMaybeで)ではなく、
むしろ主人公やレゥの弱さの方が主題となっている。
このうち、みさおシナリオでのみレゥとヒロインの弱さのどちらを助けるかという選択を迫られ、
みさおを選択した話がMaybeへと続いている。
一方、レプリスを知らない2人のヒロインシナリオでは主人公の弱さも主題としつつ、
人間である2人のヒロインの弱さが現れますが、精神的にかなりやばくなるともみシナリオでさえ
肉体的に強い人間はレゥのように身体的な危険にさらされることはありません。

MMMはレゥのバグに由来するレプリス脆さに焦点を当てたシナリオです。
主人公についてはレプリスと人間の中間の存在という微妙な存在ですが、
体の弱さは仄めかされるもののレゥと比較すると表面化しておらず、
どちらかというと精神面の弱さの方に焦点が合っています。
そして、レゥと異なり、主人公のレプリス性は自覚されておらず、人間としての側面の方が強く出ているような印象です。

さて、Maybeへの橋渡しとして、with beの2つの章が置かれています。
前編はレゥのレプリスとしての社会的な脆さがモロに出ます。
社会的にまだ認められてないので正体を明かすわけにはいかない。
緑の液体を摂取しないと体を維持できないので、世話してくれる人がいないとすぐ干上がってしまう。
体の死が心の死ではないこともあり、喪失に対する心理的な衝撃が微妙に薄い。

そして、後編のエピローグは一応ゲーム中で最終的なネタばらしとなる章ですが、
MMMみさおRからMMMbへの橋渡しとなります。
みさおのレゥに対する反応は健忘としか思えないような話ですが、
私の中ではこれがレプリスでもある恭介と人間であるみさおの差が一つにあるのではないかと思えました。
Maybeでは贖罪という話が出てきて「はぁー?」という気持ちになるのですが、
罪悪感が体に出てしまうレプリスは自分のマイナスの心を偽ることができないのでしょう。
この辺りはMMMのみさおRでのレゥと同じです。
一方、みさおにとってレゥは最も大事な人でないので、
恭介のためならレゥへの罪悪感は心の中から一旦放逐できるという側面もありそうです。
MMMのみさおルートでレゥの喪失は二人で分かち合われてますが、
それの状態がいつまでも続くわけではない。

さて、エピローグを見た印象は、贖罪意識に囚われたレプリスはもう手の施しようがないということです。
人間だったら体は肝臓が丈夫な間は無理が効きますし、ともみのように精神的に多少おかしくなりながらごまかすことが可能です。
恭介は元々純粋なレプリスではなくマスターが存在せず、結局のところ心は完全にレゥに囚われてしまっています。
体が崩壊するところまできたら人間としての対処法は有効ではなく、単独では安定しないレゥとペアにする
対処法は恭平というレプリス的思考法から見れば非常に自然な解決法となります。

さて、問題のMaybeですが、レプリスが合法化されレプリス率が43年前と比べてだいぶ上がってます。
主人公は人間。ヒロインは人間2人、一部レプリスが1人、レプリスが延べ4人。
MMMで脆かったレプリスは2人のレプリスを組み合わせることで一応改善されてます。
これでレプリスが人間より明らかに脆かったMMMとは違い、
MMMbではレプリスと人間が一応対等な立場としてその弱さを突かれます。

人である主人公と由真とみのりは、人の延長にしかレプリスを考えられない人の限界を露呈する番です。
主人公はレプリスをあくまで人として扱おうという愚かさを演じますが、
逆説的にその行為がレプリスの潜在的な脆弱性を克服させるパラドックスが生じます。
由真はお腹の子を大事にしながら危険に晒すというバクチのような行為をしながら
その危険性自体を認知しないレプリスでは考えられない人間の矛盾した選択行為をします。
あの由真のABエンドは、意識してたら到底取れないはずの選択を認知を捻じ曲げることで
究極の選択でも知らず知らずにできてしまうのが、人の愚かさであり、また強みを示してます。
これの対極にあるのが穂乃香であって、彼女は自分が死ぬ以外の選択しか取れません。

みのりシナリオはMMMのひとえシナリオと同様、箸休め的ギャルゲルートでしょうか。
MMMの恭平-ひとえの物語をMMMbでやってみた、みたいな

Maybeの他のヒロインについてはまだよく整理できてないのでこれくらいとします。