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soulfeeler316さんのカルタグラ ~ツキ狂イノ病~の長文感想

ユーザー
soulfeeler316
ゲーム
カルタグラ ~ツキ狂イノ病~
ブランド
Innocent Grey
得点
70
参照数
591

一言コメント

地獄とは愛の不在なり。然らば、煉獄はこれ如何に?

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

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「諸氏よ、地獄とは何であるか? つらつら考えるに、愛する力を持たぬ苦しみが、それである、と、私はいいたい」

フョードル・ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』
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1.プレイ所感
『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』をクリアして、思い浮かんだ感情をどう形にすればいいか。悩む前に思い出そうと、今回、再度本作をクリアして。

その結果、僕の心に最後まで留まったのは「1つの大きな空虚感」でした。

思えば僕は初見時から、本作に大した感情を向けられて来なかったんです。戦後間もなくの時流を舞台とした、繁栄より荒廃が先に出る世界観設定は実に良質な構築がされています。そこを補うテキスト自体も、一部表現が時代に即さない箇所や「おふざけ」が少々目立って物足りない部分こそありましたが、取り敢えずは合格点にて過ぎた印象
しかし、そんな舞台を彩る肝心のキャラクター諸兄に関しては、一部を除いて、あまり大きな感情を植えつけられなかったと言うのが、2度に渡ってプレイした僕の嘘偽りなき感想となります。

よく「凛が死んで悲しかった」「楼子が死んで悔しかった」って感想が耳目に触れたりするんですけど、本作で僕が抱いたモノは似ても似つかない非常に冷めたもので。屍体こそ衝撃を受けましたが、その少女達が死んだ事による悔恨や憐憫の情と言うのが全く目覚めなかったんです。乙葉は勿論「やっぱりな!」って予想で閉じられましたし、上記2人もある種似たような冷酷で括られてしまいました。
心がフリーズドライなのは薄々勘付いていましたが、これ程冷めていると七七の事も糾弾出来ないかもしれないと感じます。しかし、読者目線ではあまり大した交流も無いままに死んでしまったのも事実。そんな風になってしまうのも致し方なかったと、多少の弁解もさせて下さい(唯一、凛の屍体を喰うシーンだけは心が震えましたので、完全なる氷結ではなかったと信じたい)


しかし、そうなってくると僕の場合、客観的にシナリオを見て、評価を付け加える方向性にシフトします。その結果、本作は処女作としてかなり「挑戦的」なモノだったという感想にまで至りました。
理想と現実が噛み合ってない部分もありますが、従来の王道ミステリーをご存知な方程、エロゲ媒体で行われた一連の挑戦的作風、展開には一定の評価を下せるんじゃないでしょうか?
なんちゃってご意見番のように語る僕の戯言。あまり信用し過ぎるのもどうかって話ですけど、あくまで個人的意見なり。
そして本批評では、その主な例を2つ取り上げて、其処に準じた上で作品を語るとします。1つはそこまで重視していないのであっさりと。もう1つの方に基点を置いて、主人公から見た全体的構成で、作品を述べると致します。


『天ノ少女』のリリースも決まり、本作が世に出て15年となった今年。この批評も、発売日から実に半年も遅れたモノと相成ってしまいました。ブランドだけでなくユーザーも遅延してしまったしがない感想ですが、大幅な遅刻の代わりと変わる恥じない内容になっていたら幸いです。
では、早速参りましょう。





2.名探偵は怪物と同義なり
1つめの提示。重視してない方。それは高城七七と言う存在にあります。
高城秋五の妹で、本作においては「名探偵」と言う役割に属した存在。その華麗且つ醜悪な振る舞いは、某ユーザーにとっては賛美・崇拝の象徴となり、ある者にとっては唾棄・侮蔑の権化と化して。良くも悪くも、人に何かしらの感情を抱かせる「怪物」の面持ち。プレイした方なら充分に分かる異常性が、少女の中にはありました。
そして、高城七七に限って言えば、決してそれだけの存在に留まっていません。彼女はこれまで培われた「名探偵」と言う歴史的概念を皮肉った存在として、この世に生を受けています。
シュバリエ・オーギュスト・デュパン、シャーロック・ホームズ、エルキュール・ポアロ、エラリー・クイーン、明智小五郎、金田一耕助、墨野隴人、御手洗潔 etc……
言わばこれまでの「名探偵」は客観的視点から、もしくは傍にいる語り部から描写される事で「名探偵」としての体を保ち、責務を全う出来ていました。
しかし、高城七七の場合、その推理へ至るまでの過程を意図的にカットされた状態で真相へ辿り着いてしまう。描かない事で物語にとって都合良く立ち回り、これまでの彼等よりも補正の強い象徴となっているんです。そこが正直、僕としても中々に歯痒く感じた始末

そもそも「名探偵」とは、事件が起きなければ活躍出来ない存在です。偏屈でどうしようもない先人達の中に、事件を無意識に望んでしまう業があったからこそ、そこを解消させる為の逐一な推理過程描写と解決シーンが不可欠であり。それが整えられてこそ『ミステリー』は成り立つとも言えます。
しかし、彼女の場合は「名探偵」の誰しもが持つ「業」を浄化させるまでの顛末を意図的に放棄し、超常的な行動力と頭脳を駆使して導き出したんでしょう箇所は大して描かれないまま、最後に颯爽と現れて良い所取り。上手く掻っ攫ってしまう訳で。
裏を返せば、これは過去に現れた「名探偵」全体を愚弄した振る舞いと言わざるを得ません。どんなに無能と称されようと途中で殺されようと「推理の過程」を歩んできた行為自体を皮肉る描写の数々。「アンチ・ミステリー」の大家、メルカトル鮎のように『謎』を利用して窮地に陥れる怪物的要素も併せ持って、推理する事を愚弄する場面も随所で見受けられます。

要するに、この高城七七と言う少女は『アンチ・ミステリー』を体現した存在とも言えるんです。「名探偵」でありながら「アンチ・名探偵」の部分も交差した象徴。本作にいる事自体が矛盾した女。事件解決なんて願望を叶える為だけに動かされた、読者が命を吹き込む余地のないキャラクターです。
本格ミステリーの中に1人だけ、神の寵愛を受けたファンタジー世界からやってきたような気持ち悪さを、彼女からは味わった次第。あくまで個人的予想ですが、ミステリー好き、名探偵好きな方程、七七には嫌悪感を覚えるんじゃないでしょうか?(そういえば、彼女の口から小栗虫太郎なんて名前も出ていましたし、アンチ・ミステリーチックなのは確信犯?)


さて、そんな高城七七の欠点と言うか欠陥を述べた所で、ここからは面白いなあと思った部分を。
先程「『謎』を利用して窮地に陥れる怪物的要素も併せ持っていた」と書きましたが、「名探偵」とは往々にして性格が悪いものです。負の側面、知的欲求による好奇心の肥大から「人間性が欠片もないヤツ」ってのは過去のミステリーにも多くいます。
しかし本作の場合、それが全て兄である高城秋五への「愛」から来ていると言うのは、中々興味深い箇所と言えるでしょう。

両足を切断されて満足に生活出来なくなった秋五を看護する七七
目が見えなくなった自分を秋五に看護させる由良(和菜)

自分以外頼れない状況にまで追い込んだ上で依存させる七七
狡猾に立ち回る強い自身を弱く見せた上で依存させる由良(和菜)

同じく秋五への「愛」が深い由良。比較してみるとお分かりでしょうが、由良と七七って根本の性質が非常に似通っているんですね。
看護する者、される者と見事に対比の相違が為されており、秋五への執着に対する2人の相似は意識的に描かれていたんじゃないか?と言う疑惑が、比べてみるとよく分かる筈


さて、そんな由良と似通った箇所を持っていて、別エンドでは紛れもなく由良の上位互換となった七七。人肉を喰った七七が、凛の肉を喰った秋五と「怪物同士」生きていくENDは、同種である由良が全く果たせなかった事を成し遂げる道となります。そんな彼女が、同類の由良を糾弾すると言うのは、実に因果の不条理を感じる他ありません。
とは言え、最後に七七が事件を解決する点については、僕も存外納得しています。なぜなら、秋五が優しくて弱い人間だからです。誤認する事によって、自身が解決出来ない領域へ真相を押し込み、彼女を彼女と認識させない優しさから来る弱さがあるからです(この点については次章で詳しく語りますが、僕は高城秋五という人間が全く嫌いじゃないと言う事だけ予め申しておきましょう)

名探偵とは真実を暴き出す者。そこに自由は一切なく、望む望まないに関わらず、事件の裏に隠された後ろ暗い過去や残酷な真実を曝け出して、関係者を破滅させる存在

だからこそ「絶対に真相解明しなければいけない責務」を担う「名探偵」は、これまで秋五の導いてきた推理から彼自身が目を逸らしていた『最後のピース』を、理由はどうあれはめなければいけなかったんでしょう。それは主人公以外の部外者であり「名探偵」の役目を任された高城七七にしか出来ない事であり、だからこそ、彼女は彼女のままだった訳で。
そう至った作風の経緯自体は、僕も尊重したいと本作をプレイして思った始末。これはとても挑戦的であり、賛否両論となるのも尤もな話。後述する見解も含めて、僕は受け容れられたと言う事で、何卒どうか宜しくの心境なのでした。


さて、最後に高城七七と言う少女の好悪について。僕は別に嫌いじゃありません。好きでもないけど。強いて言うなら「どうでもいい」と言うのが1番的を射ている感想でしょうか。
最初に申し上げた通り、肝心のキャラクター勢については一部(秋五、初音、有島)を除いて大して想う所もありません。それは彼女も同じ事であり、しかもこの娘はその強烈な個性から「感情移入するのが難しい」人物像として仕上げられているのは明白。まあ、それでも好きだって方は居ると思いますけど、その感情は恐らく支配される事による崇敬の感覚に他ならないんじゃ?って、安易な言及のみで綴じておきましょうか。
そして最後に重要な事。彼女は「名探偵」であっても決して「主人公」じゃありません。幾ら謎を解決出来たって、高城七七は決して『主人公』ではないんです。そこは、はっきり断言しておきます。彼女の言及はこれにてストップ!


次章からは肝心の高城秋五が果たした役目は何か。「彼が何故『主人公』であったのか?」について、詳しく語ると致します。






3.地獄とは愛の不在なり
まず、彼を語る上で重要なワードを探る為、キャラクター紹介を読み返してみるとします。
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本作の主人公。
遊郭『雪白』に間借りして日々を過ごす青年。
元警察官と言う経歴を持ち、探偵業の真似事をして食い扶持を得ている。
かつての上司・有島警部より彼に人探しの依頼が持ち込まれた時、本作の物語は幕を開ける。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』「キャラクター紹介」高城秋五
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此処で大切なのは「元警察官」「探偵業の真似事」「有島警部」の3点。そのワードを足掛かりに本作を再度プレイして僕が感じた事を、下記からお伝え致しましょう。


第一に『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』は、高城秋五を「名探偵」に据えたものだとは、ハナから考えていなかった事実です。
この主人公はあくまで「探偵業の真似事」をしているだけであり、決して「探偵」とは記載されていません。擬した模倣者。物真似程度の物事。偽者の部類。事務所も無いまま、雪白で寝泊り生活している彼は探偵と呼べないだろうし、仮に100歩譲ってしている事が「探偵」だとしても、それは現実的業務に則した職業の1つ。断じて賢妹が如く「名探偵」と言う称号を得られる程の代物じゃないんです。それは、彼女の度重なる愚弄の数々からも察せられる通り。
……高城秋五は「名探偵」ではない。あくまで「探偵業の真似事」をしているだけ。
もしくは、その姿は情報収集や尾行を生業とする「推理を行わない現実的な探偵」であり、それは「元警察官」の経歴を所持しただけの『一般人』に過ぎません。
だとすると第二の見解。何故、彼が主人公だったのか?
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いつだって、そうだ。
家族を守る為に戦場に赴き、帰還してからは警官となって法を守る為に働いた。
しかし――。
いつだってオレは、自分が本当に守るべき者の為に働いているか、確信が持てなかった。
無力感に苛まれ、逃れるように辿り着いた雪白でも、オレはなにもできずに――。
大切なものを、守れずに――。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』高城秋五
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遊郭の古いしきたり――。
しかしそれは、自分の内側に踏み込まれない為の、体の良い言い訳なのかもしれない。
今でもオレは、大切な誰かを作ることを、それを失うことを、恐れている……。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』高城秋五
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それは、関わった事件の中で上記の懸念を克服する事こそが、本作における1つの到達点でもあるからです。


人生における地獄とは、愛する事が出来ない状態にあると言う事
愛されない事が地獄なのではなく、愛する事ができない事こそ地獄なのだ。ドストエフスキーもサリンジャーも生前、著作の中でそんな内容を強く強く語った次第
彼の根底に芽生えているモノ。それは、由良との逢瀬や戦争に関わった事で生まれた、1つの苦悩でございます。
深く接した事で裏切られ、殺されかけた凄惨。生命が軽んじられ、人間としての尊厳もままならなかった惨禍。それらを知った彼の行先は、実に単純なモノでした。
他者と必要以上に深く関わらなければ、自分は必要以上に傷つかないと考え。生命の危うき職業である事を免罪符に、安全で傷つく事のない「孤独の殻」へ逃げ込み。他者の心へ深く踏み込む事を止めたのです。七七から「臆病」とも称されるように、それが高城秋五を象る強き悲愴と言えるでしょう。

戦後、坂口安吾が時代の寵児となれたのは、戦争が終わってから人々が抱いた上記を含む「苦悩」に対して、彼なりの思想を発表した結果、共感した人が多かったからです。
近すぎずも決して遠くない『死』に触れた事で、自身の生き方を見つめ直す出発点となったんです。
言わばそれは、人生の回答を得たいが為に手を伸ばした者等の生み出したブームであります。そして、悩んでいたのは秋五も同じでした。
「雪白」の女達と性交しようとしなかったのも、出来るようになったのも、後腐れない関係として踏み留まれるから。
凛の告白に、断ってしまうのも受け容れてしまえるのも、彼女が遊女と言う職業だから。深く関わる必要が無いから。
セックスシーンで「外に出す」と「中に出す」に選択肢が分かれるのも、彼の懊悩の現れ。中に出さないと一部女性が不満を零すのも、きっと……その事を察していたから。
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戦時中あらゆる死を見てきたことで、物事を客観的に捉える洞察力……逆を言えば冷えた部分を持っている。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』「カルタグラ初期設定」高城秋五
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要するに、秋五は自身の人生を請け負える程の愛を他人へ抱く事が出来なくなった。他者を無邪気に愛する事が出来なくなってしまった。
自らの行動に疑念を抱き、意味を持てなくなり、力の及ばない現実を痛感して、命を簡単に失える職業へ身を費やす。
これら全てが、過去の柵から成る悔恨の情より発せられたモノなのは言うまでもなく。そんな地獄的時代背景も与したならば、そこん所の弱い部分を不用意に「ヘタレ」と呼んでしまう事自体、僕には終ぞ出来なかったんです。


そして先程、彼が「名探偵ではない」と書きました。言い換えるならそれは、別に真相解明をする必要は無いと言う事です。
名探偵とは真実を暴き出す者。そこに自由は一切なく、望む望まないに関わらず、事件の裏に隠された後ろ暗い過去や残酷な真実を曝け出して、関係者を破滅させる存在と成り得ます。
しかし、高城秋五はその類ではありません。「名探偵」の責務を背負わされていない『一般人』に過ぎず、彼が主人公となったのは、別に事件解決を全うする義務を背負わされたからじゃありません。再度プレイした今回、はっきり理解しました。

この物語は、高城秋五が由良との邂逅を含めた過去の出来事から来る「怨念を克服する」為に生み出されたモノです。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』は、過去の柵から解き放たれる為に生み出された物語です。「名探偵」の義務を所持しない彼にとって、その解決法は「逃避」でも「対峙」でも良い。『一般人』としての彼が歩む道の告示。それ自体が、本作の裏で描かれたテーマでもあったと、僕は甚く感じました。


『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』の中で、明確に幸せな結末と断言出来るのは2つしか無いです。和菜ルートの「俺たたEND」と、初音ルートの「結婚&家族END」です。
そして上記を踏まえて考えると、本作で見事に興味深く映えてくるのが、初音と結婚して子を生す終わりと言えます。

初音と言う少女は、秋五の絡む事件から最も遠いヒロインでした。それはプレイするとすぐに分かるんですが、だからこそ、彼女はとても強いと言えます。七七と由良の執着を真っ向から否定出来る『唯一の存在』として、秋五を幸せに出来る力を間違いなく秘めているんです。
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「初音、あのお芝居は嫌いです」
「え……?」
普段の初音なら決して口にしないような、激しい言葉だった。
そして、初音は目を伏せたまま、
「勝手すぎると思います。自分たちの思い通りにならないからって、人を騙そうとしたり、自分勝手に死んでしまったり……」
「いや初音、あれはそう言うお話だから」
「でも、世の中の人は、誰だって我慢しながら生きているのに……厭なことがあっても、ずっと我慢して、生きていかなくちゃいけないのに……」

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』高城秋五・初音
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『ロミオとジュリエット』を観劇した際、初音はこの物語をはっきり「嫌い」と語り、作中に登場する「勝手気侭な人」を非難しています(僕も『ロミオとジュリエット』が大嫌いなので、親友のマキューシオしか好きになれなかった人間なので、彼女のこの発言は至極溜飲が下がったのもここだけの話)
言い換えるならそれは、本作に登場する由良と七七の全否定と言えます。作中で登場する物語を暗喩的に利用した上に否定する事で、彼女の存在は「『一般人』の秋五を事件から遠ざけられる『唯一の存在』」として、明確に機能を果たせるんです。
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「人間、普通に生きるのが一番なんだ……。あんたも、歳を取れば分かるよ……」

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』たこ焼き屋の親父
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不用意な詮索を避けた結果、秋五が親父から言われる最初の台詞。図らずもそれは、作中で最も賢明な判断を指し示していました(親父の台詞は、本作のメッセージや先の展開も暗示しているので、聞き逃さないのが吉。楼子ルートの台詞は「バッドエンドだ」と理解してしまった程)
要するにこのシナリオは、和菜が演じた『ロミオとジュリエット』よりも、初音へ買ってあげた絵本に居る「ウサギの家族」を選んだ結末。頭のおかしい人間から目を背けて「普通」を歩んだ道と言えましょう。
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あの時の決断で、少しでも初音を幸福に導くことができたなら、オレが選んだ道に、間違いはなかった。
今は、そう信じたい――。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』高城秋五
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そして、だからこそ秋五は初音を愛する事が出来たし、彼女の為に由良の記憶を喪失させる人生を選びました。そこに心残りはなく、燻った過去の怨念が蘇ろうとしても、初音と桜の姿を見た事で、その光景を振り払う事が出来たんです。
結局自らの選択が正しかったのかって疑問から来る回答は、人生を辿る過程で得られる筈もありません。大事なのは、その道を辿らなくとも見つけられた大切なものを信じる事。それ以外に、人が生きていく道など無いと感じます。
『名探偵』ではない彼が、無理に『名探偵』の責務を背負う必要は無い。彼の人生に必要不可欠なのは「事件を解決する事」じゃありません。彼は決して、謎を解決する為に逃げる事が許されない存在ではありません。
だから、これは断じて間違った道ではない。「逃避」を選ぶと言う事は、決して間違った選択じゃない。初音と言う可憐な少女とこの終わりが作中で1番大好きな僕は、新たに生まれた温かいウサギの家族を眺め、強く強く思うのでした。
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エズミ、本当の眠気を覚える人間はだね、いいか、元のような、あらゆる機――あらゆるキ―ノ―ウがだ、無傷のままの人間に戻る可能性を必ず持っているからね。

ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』「エズミに捧ぐ――愛と汚辱のうちに」X軍曹
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(「この後、由良が襲来するんじゃ?」と言う感想を見かけましたが、秋五が謁見しなければ由良は彼の存在を認知する事が無く、彼女自身が明確に行動を起こす事はないので、ありえないと断じておきます)



さて、由良を否定した存在といえば、蒼木冬史もその1人です。最後に由良を真正面から否定しています。しかし、彼女は「死の腕」に所属する幹部である為、秋五を平穏な道へ誘うのは不可能に近いでしょう。だからなのか、また別の理由か、冬史には専用個別ENDが無い。彼女も少し可愛いなと思ったので、凄く欲しい訳じゃありませんでしたが、その辺はちょっと残念でした。



そして、和菜ENDです。
このシナリオについて言及すると、誰もが七七様の推理劇しか語りませんが、高城秋五を語る際に必要な最重要箇所は実を申せばそこじゃありません。
彼の選択に言及する上で必要な場面。それは、敵役である「有島一磨」との「対峙」です。高城秋五のクライマックスは寧ろ「有島一磨との対決」がほぼ全てと言っても良い位でしょう。

このシナリオは由良と七七、由良と和菜の対比関係を提示してめでたく締められる訳ですが、それ以前にもう1つ。高城秋五と有島一磨の対比関係も、最後の対決によって紡がれているんです。
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「愕然としたよ。祖国を守る為に戦地に赴き、晴れて任期が終わり還ってきたらあの様だ!! なあ秋五、馬鹿馬鹿しいとは思わんか!? 私たちが戦場で命を賭している時に、あの豚共は自分勝手によがり狂っていたんだぞ?」

「この国は、いつまで経っても変わらない。たとえ戦争に負けても、真に責を負うべき者たちは見苦しく己の地位にしがみついて、私達のように命を賭して闘った人間を、いとも簡単に切り捨てた。妻も、祖国も、私が命がけで守ってきたものは、いったいなんだったんだと、なにもかも、馬鹿馬鹿しくなったんだよ」


『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』有島一磨
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いつだって、そうだ。
家族を守る為に戦場に赴き、帰還してからは警官となって法を守る為に働いた。
しかし――。
いつだってオレは、自分が本当に守るべき者の為に働いているか、確信が持てなかった。
無力感に苛まれ、逃れるように辿り着いた雪白でも、オレはなにもできずに――。
大切なものを、守れずに――。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』高城秋五
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理知的に自らの推理を述べて、言葉を武器に戦う高城秋五
探偵に銃口を向けて、彼の発言を阻止せんと動く有島一磨
彼等の根底にある苦悩は、実に似通っていると言うのが、上記を見ると分かるでしょう。

腐敗した警察組織の中で、秋五が腐らなかったのは、間違いなく一磨の存在があったからです。「公正で、温情に溢れ、頭が切れて」いた憧れの存在が居たからこそ、秋五は組織を憎んでも人間全体を憎む事はなかった次第
そして、そんな恩人の情景が全てマヤカシだとしても、その時の姿に影響を受けて、足掻いた結果、別の道を選んだ。その変化した事実は変わらないでしょう。彼が見た恩人の姿のみが、彼に影響を植え付けたんですから。
そして「有島一磨」に勝つ事で、秋五は上司を乗り越え、変化した自分を受け容れ、自身の過去に終止符を付けて、生きようとする道も選べたんでしょうが。結果的にどうなったかは、エピローグの心境が全て。
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もう決して、逃げたりしない。
その先にどんな痛みがあろうと、大切なものを守り続ける――。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』高城秋五
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有島一磨と対峙して、由良に接して、変わる兆しを見せただけで終幕を迎えたエンディング。うん、やはり2回目をプレイした所で、この終わり方はあまりにどうかと感じますね。
正直、和菜ルートの結末については「竜頭蛇尾」と称するに相応しい言葉はありません。それは由良に対して、和菜に対して、どう向き合うかの姿勢が先延ばしになっているからです。
和菜は留学して由良の「憎悪対象」としてあり続ける事を誓う訳ですが、それは結局、由良と向き合わないまま勝手に決めた行為に変わりなく。秋五自身が承諾しているとは言え、押し付けている図式にも変わりません。由良を昏睡状態にさせて、結果的にその運命の結末を作品内で語らず「これから頑張る!」で締められては、消化不良状態となるのも致し方ないでしょう。
また、和菜のスタンス自体がはっきりしなかったってのも、僕の不満として大きい。彼女は初音や冬史と違って、由良を決して否定しないんですが、そこに何らかの意図があったかといえば、まるで無いのが本当に拍子抜けでした。その態度が彼女を怒らせる事に気付かなかったのは、正に愚鈍此処に極まれり。
そして秋五も、変化の兆しは見えましたが、自分がどう決着をつけるかに未だ回答を見出せていません。これはもう、期待外れの結末と言わざるを得ず、こんな終わり方なら「逃避」であれ、由良との向き合いに決着を付けた初音ENDの方が遥かに良いと感じます。

あまりに消化不良だった為か『和み匣』の「サクラメント〜月ノ視ル夢〜」も出ましたが、ライターは違いますし「和菜」と「由良」の2つの結末で、明確に秋五の選んだ道を見出さないまま、お茶を濁して終えています。結局、和菜を選ぶか由良を選ぶかの二者択一に逃げて、確固たる「高城秋五自身の生き方」を提示出来ていません。
『殻ノ少女』では和菜が登場するので、彼女を選んだ方が正史じゃないかとお思いでしょうが、この「雪椿ルート」は『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』で語られた内容と明確な矛盾が発生している為、クリア後すぐにプレイしたら、明らかにおかしいと分かります。ライターが変わった事による最大の弊害。本作の結末は、要所要所を脳内補完しなければ成り立ちません。

よって、再プレイした現在も予想通り、中途半端すぎてあんま納得出来ずに終わりを迎えてしまった為、僕はこのシナリオが好きじゃないです。謎は解けたけど、僕が大事にしていたモノは解き明かされなかったので、消化不良と言う他ないです。
でもまあ、有島一磨が魅力的だからヨシ!って適当呟いて、最後に彼への所感を語らせて下さい。
最期、由良に対しての忠告の言葉を遺した有島一磨ですが、実は僕も彼が根っからの悪だったとはどうしても思えないんですよ。
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「ただ、ひとつだけ忠告しておこう。勝負は勝ちを得た後が、いちばん危険だ。つけ込まれるなよ、秋五――」

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』有島一磨
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まあ、僕も彼と同じで、犯罪関係者に感情移入する甘いヤツなだけかもしれませんが。しかし少なくとも、秋五に対して抱いた希望。「自分のようにならないで欲しい」と言う願望を込めて、秋五の前では良い上司であろうとした姿だけは、真実だったんじゃないだろうかって。
信じると言う行為は、相手がどう思っていても自身の見解によるものです。自分がそうだと思ったなら、相手がどんな事を考えていようと、自分の中では真実となります。

だから僕は「信じて」いようと思いました。彼が最期に見せてくれた、心の奥底深くにあった、1つまみ分の優しさを。

残酷な世界の中でも、優しさを感じられるよう、生きていたいと思いました。





P.S. 煉獄とは愛の反復なり
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愛も信仰も同じように、日々のささやかな勤行によって維持される。

ジョルジュ・ローデンバック『死都ブリュージュ』
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土を掻き、坑をひろげていくことに、無上の喜びを感じる。
この一堀りが、この一堀りが、この一堀りが、この一堀りが、この一堀りが、この一堀りが、この一堀りが、この一堀りが、すべて、あなたに繋がっている――。

『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』由良
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人生における地獄とは、愛する事が出来ない状態にあると言う事
愛されない事が地獄なのではなく、愛する事ができない事こそ地獄なのだ。

では、煉獄とは? 人生における煉獄とは、どのような状態を指すのか?
地獄を越えた先にあるのは煉獄。即ち、愛する事が出来ない状態を乗り越えた先にあるもの。要するに、愛する事が出来た故に生じる苦悩と相成る次第
他者へ向ける愛が届かない。自身の抱く愛が伝わらない。
地獄が「愛する力を持てない苦しみ」だとしたら、煉獄は「愛する事が出来ても届かない苦しみ」と言えないだろうか。

『カルタグラ』とは、レジナルド・スコットが「煉獄 (purgatory)」の代わりに使用した言葉
『カルタグラ』=「煉獄」=「愛する事が出来ても届かない苦しみ」=「魂の苦悩」



『カルタグラ~ツキ狂イノ病~』
それは「愛する力を持てない苦しみ」に浸る他無かった男が至る、苦悩と再生の物語

それは「愛する事が出来ても届かない苦しみ」に浸る他無かった女が送る、悲哀と絶望の物語

そしてこれは、地獄に生きた男と煉獄を生きる女の、愛と宿命の物語