その夏の思い出が、俺達の永遠になる。 2018年9月23日追記:かずきふみ先生の、コタロウ温度問題に対する有り難い御意見を追加
人は、刹那に生きると共に永遠にも生きるのだ。
☆私のプレイ順
琴莉→伊予→梓→由美→はじめから→琴莉リンカネーション
琴莉は絶対最初と最後で締めるべし。
※
ここからは構成上、ルートの核心にまで触れております。
最後までプレイしてない方は、クリアしてから読む事推奨
また、お気に入りのキャラの分量が少ないと感じたならすみません。
恐らく私にとって語りたい事が無かっただけの話なので、どうかご容赦を……
最後に、これはあくまで自己満足的な一個人の解釈であり、断定出来る物でない事を予め、ご了承下さい。
【目次】
1.それぞれのルート及びヒロインの感想
2.これは「美意識」の物語……袖振り合うも多生の縁、一時の交わり、すれ違いに「日本」を見る
3.これは「家族」の物語……手をかけて育む、決して揺らがないもの、それが家族
4.これは「えいえん」の物語……「リインカネーション」と「メリーゴーラウンド」が齎した優しさ
5.後記と言う名の戯言……本批評と「物語」について
1.それぞれのルート及びヒロインの感想
①共通ルート
取り敢えず、本作で1番作り込まれていると言ったら、断然この共通ルートでしょう。
2周目をプレイした時の納得と衝撃は、昨今あまり味わえなかった心境でした。
私自身は、コタロウの思念を読んだ所で「ん?」と思ったのですが、はっきりした確証を持てぬままズルズル進めていった次第
この「確証」を得られなくしたってのが、共通ルートは実に上手いんですよ。
コタロウの真実を知った後、琴莉を食事に誘う前の伊予とのやり取りとか。
梓さんとの初邂逅シーン、その合間合間に琴莉が会話に入っている姿とか。
「俺の考えすぎか?」と思わせてくるシーンの多かった事多かった事
再度プレイしたら、台詞にもっと深い意味が込められていたり、琴莉自身には話していなかったり。
全てを知った今は、描写の上手さをひしひしと感じます、うん、凄い。
ただ、伏線はほぼ上手く回収していたんですけど、1つだけ(この指摘は丸々見当違いの産物なので、鵜呑みにしないで下さい。詳細は①共通ルート最後を参照)
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滝川さんから、コタロウの遺体を受け取る。
死んで初めて……ぬくもりを感じた。
でもこれは、コタロウ自身が発した熱じゃない。
……本当に皮肉だ。
『なないろリンカネーション』共通ルート
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1周目は中々良い表現だと思ったんですが、全てを知った後だと違和感が先に来てしまう、実に惜しい描写です。
琴莉が触った後、コタロウに温もりを感じたと言う描写は明らかにおかしいでしょう。
何せ、コタロウの霊に体温は感じないと、このシーンの前ではっきり言っていましたから。
それなら、琴莉にも温かさがある訳ありません。
ここだけ、設定忘れてしまったんだろうな、これ以降は体温が無い事を統一して描いているし。
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琴莉の唇は、柔らかく。
そして少し、ひんやりとした。
それは緊張しすぎて、赤面を通り越して青ざめているせいもあるかもしれない。
『なないろリンカネーション』琴莉ルート
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琴莉の体温は冷たく、重さもあまり感じないけれど、この確かな存在が、俺には必要なんだ。
失いたくなかったんだ。
『なないろリンカネーション』琴莉END2
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上記のような間違いこそありつつも、この共通ルートは全体的に好印象で幕を閉じました。
そして、恐らく此処でしか書けないだろうから、取り敢えずぶちかましときます。
葵とアイリスが、凄く可愛い。
葵は憎めないヤツなんですよね。
主人公をからかっていても、内心では凄く大事にしていて。
懐いている様子も大いに伝わってくるから、頭を撫でたり手を握ったりなんて、普通にしてあげたくなるのです。
しかも、誰よりもはっちゃけてるくせに、誰よりもキツいものを共有してくれているので、分かり合っている感が1番はっきりしている気がします。
鬼達の中で、相棒感は最も強いと言えましょう。
アイリスは、もうね、全てが可愛さで出来ている。
最初は「マスター」と話したいから、彼と話すまでずっと黙ってる健気さとか。
初めてのお役目が「あんなの」で泣いちゃう、実は非常に泣き虫な所とか。
でも、鬼達の中では1番謙虚で優しくて、マスター想いなのが本当に素敵でした。
泣きそうになるシーンとか、毎回、可愛すぎて昇天しそうになりましたし。
「ふぐぅ……っ!」凄く好き、ホント好き、超リピートした。
あ、勿論芙蓉さんも好きですよ。
ってか、鬼達が本当に良いです、魅力的です。
ルート作ってほしいと語る方の気持ちも凄く分かる、最高のキャラクター達でした。
※
上記におけるコタロウ温度問題に、シナリオ担当のかずきふみ先生が先程、大切な言及をして下さいました。
たまに感想を検索してみると、ななリンで「コタロウ以外の熱を感じたという描写は矛盾である」という指摘がチラホラとあり、あれは「琴莉のぬくもりが移った」のではなく「夏場で側溝の中で蒸されていた」というつもりだったのですが、確かに前者の方で受け取りますよね。わかりにくくてすみません。
12:08 - 2018年9月23日
いや、もう本当、こんな重箱の隅を突く様な、私の性格の悪さが滲み出ている指摘に、御丁寧な有り難い御返事、誠にありがとうございます。
成程、そういう意味でしたか、それなら重々納得の産物
鬼の首を取ったように揚々と書いた自分が本当に恥ずかしい。
と言う事なので皆さん、上記の私が「矛盾だ!!」としゃしゃり出た指摘は全くの『見当違い』なので、どうか信用しないで下さい。
同じ轍を踏まないと言う戒めと反省のため、文章はそのまま残しておきますが、皆さんは何卒、同調する事のないようお願い致します。
②伊予ルート
実は、琴莉ルートにおける2つのENDの次に、私が好きな終わり方はこれだったりします。
なぜなら、このルートは実質、琴莉ルートanotherと呼んでもいい展開だから。
この伊予ルートと言うのは、展開の予想がつく事の多い本作の中で、意外な点が数多くありました。
それが凄く心に響いた、と言うか、高評価に繋がった訳でございます。
まず、予め申し上げておきたいのが、他ヒロインのシナリオだとちょっと微妙な所なんですけど、このルートにおける主人公って、実は伊予が1番好き……と言う訳ではないんですよね。
「琴莉が1番好き」と言うのが根底にあって、そこは琴莉ルートの彼と大して変わらない訳です。
そこが、琴莉ルートanotherと、私が名付けた所以であります。
このシナリオでは伊予と少しばかり距離が縮まっていたおかげで、少々彼女に甘える結果となってしまいます。
そこを琴莉に見られて誤解されたまま、彼女は踏ん切りをつけて成仏していく、と言う展開になっていました。
「ロリババア座敷童の伊予ちゃんとイチャイチャラブラブしたああああい!!!」
って方にとっては、何とも残念無念な出来栄えでしょう、この流れは。
しかし、私は伊予と言うキャラクターを、主人公を導く「師匠キャラ」として強く認識していたので、特に気にせず、寧ろ個人的にはかなり好みな形で、幕を閉じたのです。
上記のように恋愛関係となった訳でない彼等に、ED後、ラブラブシーンやイチャイチャシーンがある筈もなく、琴莉との出会いと別れを通して、また前に歩み始めている主人公の姿を描いていたのが、結構心に響きました。
やっていた事はいつもの「お役目」対象探しの延長線上なんですが、そこで1匹の子犬と出会い、何も詮索せずに「今日から俺たちは、家族だ」と言った所が、凄く良かったんです。
いずれにしても彼は、この子犬を「家族」に招き入れるだろう。
そんな当たり前の事が、この短い描写からしっかりと理解出来ましたから。
この子犬、結局の所、琴莉が生まれ変わった姿なのかは判断出来ません。
まあ、テーマタイトル的にも子犬と言うモチーフ的にも、彼女が「リンカネーション」した姿なのかもしれませんが、少なくとも作中では断定されていないのです。
琴莉の特徴がその子犬に受け継がれている訳はないし、明確な証拠なんて存在する筈もない。
でも、彼と彼女は、家族に引き入れた。
この子犬は、琴莉が犬に転生した姿なのかもしれないし、そうでないかもしれない。
でも、そんなの、何の関係もなかった。
「もしかしたら」と言う儚い希望を持ちつつも、目の前の小さな命を今度こそは守る。
そんな琴莉との出会いで得た想いを、受け継ぐだけで、それで充分
こういう一歩成長した彼の姿を見られただけで、私は満足だったのです。
対面している相手が自分の大切な人かもしれないと思えたら、人は少し、優しくなれる。
そんな「第二の生」があると信じ、受け入れる事で、また新たな家族が生まれ、作られていく。
温かい余韻を残して幕を閉じた、非常にぐっと来る終わり方でした。
うん、やっぱり短いけど好きだこれ。
③梓ルート
可もなく、不可もなく。
本ルートにおける第一印象と言ったら、正直に言うとそれしか思い浮かびません。
何せ、途中までは、作中事件に梓さんの描写が挿入されているだけですから。
梓さんが同行したり、梓さんが事件解決一緒に頑張ったり、梓さんが交渉したり、梓さんが襲われたり、梓さんが……
とにかく、梓さんの頑張りが伺えるルート
彼女が入ると本筋はこうなる、と言う妄想が具現化したようなシナリオでした。
プレイしていて思ったのが、梓さんって凄く大人だなあ……と言う事
良い意味でも悪い意味でも大人、分別がついてる、理性主義的で合理主義者
新人刑事と言う事で、最初は感情で動く面もあるのかと思ったのですが、何の事はありません。
行動の全てに理由付けが出来ている、彼女はとても社会的な人間でした。
襲われた際にも、少々飛躍した面こそあれど、落ち着いた思考を働かせています。
子供を作ろうと至る過程も、傍から見れば非現実的なのに、当人からしたら凄く合理的なのが面白い。
そういえば、琴莉ENDでも、酷く印象的な対応が光っていた次第
だからなのか、違う理由があるのか、個人的には彼女、あまりヒロインと感じられなかったのです。
やはり、琴莉と言う存在を生み出す為のSEX人材……と言うのが根底にあった故でしょう、恐らく。
この時点で、個人的には琴莉の方が重要度として上になってしまうのは必定
まあ、私は寧ろそれで大満足出来たので良いのですが。
上記により、2人間での愛をあまり感じられなかったので、ED後のラストシーンはあまり響かなかった。
伊予ルートと真逆で、何でも説明しすぎている(もしかするとこれは意識して作っていたのかもしれませんが)
「琴莉」の名前は出さなくても良かったと感じました。
しかし梓さん、案外、油断のならない人だと思います。
感情と理性を分離して考えられる器用な性格
(怖がらなければ)冷静沈着な思考能力と対応力
良くも悪くも、刑事には凄く向いている逸材です。
彼女、ビジュアル的には結構好みなのですが、あまり惹かれない。
やはりエロゲは、ヒロインとしての「魅力」も大事だと感じた一幕でした。
④由美ルート
個人的に1番不満があるのは、このシナリオ
他ルートは、普通以上の評価を与えているのですが、これについては何とも言いようがない所です。
いや、決して全く面白くないと言う訳ではないんですけどね。
琴莉が悪霊化して由美の中に入り込む所とか、それらの解決方法とか、光っている部分も少なからずありました。
ただ、少しばかりこのシナリオは他ルートと異質さが感じられ、その違和感に慣れる事が私は最後まで出来なかった。
自己分析の結果、今回得られた結論でございます。
まず、急に大学性活のてんこ盛りがぶっこまれて、私の目は点になった事を予めお伝えしておきます。
他の皆が懸命に捜査を頑張っている中、この2人は一体何をやっているんですか?
正直、疑問しか出て来ませんでした。
他のルートでは微弱ながらも協力していたり、役に立たないながらも自分なりに出来る事やったりしているんです。
何も出来ない事を悔しがる訳でもなく、ただ逃避して、自分の出来なさを紛らわすと言うのは、これまでの彼を見ていると、少々違うんじゃないかと思った次第です。
しかもあそこだけ、シナリオとエロのバランスが異様に乱れています。
これまでの均衡が嘘のように、違和感しか感じさせない構成となっていました。
エロシーンあそこまで挿入されると、もう由美に関してはやっつけ作業としか思えなくなりますね。
そんな一連のシーンが終わると「由美に本当の事を伝える」と言う決意の展開に進みます。
そして、主人公が霊の見える事、鬼と生活している事、その全ては此処で一考の余地もなく、全否定されました。
まあ、普通の人に信じてくれなんて言われても土台無理な話でしょうし、ああいう反応をされて致し方ない部分もあるかもしれません。
でも正直、彼女には失望しましたし、残念さしか感じませんでした。
それは「信じなかった」事と言うのもあるのですが、主人公の話が本当だと分かってからの無様な「言い訳」が大きいのです。
後からだったら、幾らでも言える。
正直に申せば、そんな「冷めた気持ち」が終始湧き出ていました。
これが無ければまだ良かったのに、無念
ラストシーンもちょっとご都合主義が多すぎます。
琴莉が由美の身体から出て行ってしまって、消沈の主人公を由美が慰め、ED後では琴莉の事を思い出しつつも前に進んでいくとか。
由美の中に琴莉を住まわせて、自分がどっちなのか分からなくなりつつも、琴莉END2のように、その数少ない時間を共に生きるとか。
そんな風にした方が、まだ魅力的な展開に感じます。
悪い予感だけ垂れ流しつつ、結果としては上手く行き過ぎて終わる。
他ルートとはまるで違い、そしてやっぱりそれらと比べても、何ともアンバランスだったように思う、至極残念な読後感でした。
⑤琴莉ルート
滝川琴莉と言う少女は、世界に一つだけの花です。
クリアしてから、私はそのような結論に至りました。
「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」
彼女以外のシナリオだと、全く以ってこの展開
正直、主人公はどのルートでも、ナンバーワンになれなかったオンリーワンの方を大事にしています。
恋愛では勝てなかった面もありますが、人間の大事さってそれだけで判断出来るモノではないと、改めて感じました。
いや、まあ、一応琴莉と同程度に仲良く出来てはいたかな……?と言う方もいますがね、由美とか。
ただ、琴莉以上に主人公との関係が繋がる事は、他のキャラクターでは出来てなかったように思うのです。
そして、そんな彼女のルートは、自身がナンバーワンとオンリーワンの両方を獲得した記念すべきシナリオ
文句の出ない、良質に纏まった素晴らしき「物語」でした。
彼女への愛については、この先じっくりと語っているので、此処では割愛
取り敢えず、上手く纏まった美麗な展開を味わえた事で、私の気持ちは感動でいっぱい
滝川琴莉と言う少女を好きになれたら、貴方は本作を楽しめる。
その言葉に嘘のなかった、自分が適合して良かったと感じた、クリア後の淡い光景なのでした。
2.これは「美意識」の物語
私が最初に抱いた単語は「美意識」だった。
クリアした今でも、この要素は根深く残っている気がしてならない。
なぜなら、本作を遊んでいた時、私の中に湧いてきた気持ちがあるから。
「ノスタルジー」
郷愁、懐古、追憶と訳された、偏に「懐かしい」と感じる気持ち
本作をプレイして、何故そんな感情が浮かぶんだろう……と考えてみた時、短いプレイ時間の中で起こった、様々な色とりどりの光景が思い浮かぶ。
それらを見て、私は確信した。
本作は多くの「昔ながら」を、目立たないながらも映していたのだ。
祖父から譲り受けた古民家で一人暮らしをする事となった主人公
そこに現れるのは、幼少期より遊んでいた姿形のまるで変わってない女の子、伊予と、古来から加賀見家に仕えてきた鬼の一族、桔梗
そこから始まった「家族生活」
それこそ、本作の大部分を彩る世界観である双璧の1つに他ならない。
思えば、その「ノスタルジー」とやらを感じていたのは、そんな何気ない日常風景からだった。
古びた家屋で起こる笑いに満ちた風景や、卓袱台の周りで食事を囲む温かさに包まれた光景
プレイし始めて最初のシーンが祖父と過ごした「日常」だったのも興味深いし、商店街なんて今では多くが廃れてしまったので不思議な新鮮さがある。
そして、最後のメリーゴーラウンドなんてその最たる例
数十年前には数多くあった、地方の辺境の地にある遊園地
そこで、大人になると乗りにくいモノに、大人になってから乗ると言うのは、正しくノスタルジーの極致である。
原風景が、そこにあった。
過ぎていく時間の中で失われてしまった「日本」を、私はそれらのシーンで感じたのだ。
そして、そんな「家族」としての「生活」に対抗した、もう1つの双璧となっているのが「お役目生活」
そこにも、日本古来の思想「一期一会」がある。
「一期」は「一生」で「一期に一度出会う」
つまり「一生の中で唯一出会う」という意味の心得であり、元々は茶道の趣から生じた思想であった。
「茶会は、後に再び、同じような時間的空間を経験することのできない一生に一度の出会いである」
上記の如く、亭主と客における心の持ち方について述べているのが「一期一会」の真髄と言えよう。
そして、この考えは真達が行っていた「お役目」と、見事通じている部分がある。
元々茶道において、亭主が茶室で客を迎える時間は「『人生最高の一時』とするよう心を込めて、丁重にもてなすべし」とする精神があった。
お役目も同じ。
未練を無くし、人生を最高の一時であったと満足して成仏してもらえるよう、真達は「お役目」を果たそうとする。
お役目は、正しく「一期一会」を見事に引き継いでいるのだ。
「昔ながら」によって、この物語は陰ながら支えられている。
そして、それがずっと続く事への心地良さ、みたいなモノを本作からは感じられた。
味気ない風景、何気ない日々に充足感があると言うのは、日本人的感性の1つらしい。
ハレとケを意識する暮らしの中で、如何にケ(日常)の中で心の充足を見出せるか。
そして、日本的な「ノスタルジー」を我が身に秘めているか。
本作を更に楽しめるかどうかの分水嶺は、恐らくきっと、そこにある。(※1)
※1
だからこそ、日常描写をもっと増やしてほしかったと申している、他の方の意見も納得だと思う。
事実、キャラクター同士の掛け合いは非常に面白くて、いつまでも鬼達や伊予、そして琴莉との会話を見ていたいな……と感じる程だった。
それは、本作が良作であっても傑作にはなれない理由の1つと言えるだろう。
2.これは「家族」の物語
この作品、プレイした方は分かると思うが、『家族計画』とかなり酷似している所がある。
遊んでいない方もいるだろうからネタバレは省くが、主人公が酒を飲んで1人になっている所にヒロインが現れるシーン等、正にそれである。
しかし、その指摘は決して、本作が『家族計画』のパクりとか言って批判をしたい訳ではない。
寧ろ、意識していながらも全く違う展開にしようとしている努力が感じられて、その頑張りに敬意を表したい位だった。
『家族計画』における「家族」とは、全員が何らかの悩みを抱えている総称だ。
そんな苦悩は「家族」と言う形態でお互いが助け合い、支え合う事で乗り越えていこう。
そういう経緯で、結果として生まれた相互扶助計画である。
しかし、この『なないろリンカネーション』と言う作品は違う。
これは、1人の女の子の為に「家族」になろうとする者達の話だ。
コタロウが抱いていた、琴莉に対しての想い
それを通して彼女の真実を知ってからの、加賀見真の誓い
そんな当主の願いに付き従う、鬼達と伊予の行い
これら全てを成し遂げるまでの道筋こそ、本作の肝と言ってもいいテーマであると思う。
伊予は守護の力について尋ねられた時、態と茶化して真実を琴莉に知らせなかった。
鬼達は協力して、琴莉の真実は彼女自身に隠す事を暗黙の了解として振舞い続けた。
「口外出来ない話は、自らを通して会話するように……」と、生きている者として扱い続けたアイリス(※2)
いつでも全体を温かく見守り、家族としての形成を保ち続ける事に心魂を傾けた芙蓉
そして、空気が読めないあの葵でさえも、彼女の事実だけは隠し通したのだ。
これが彼女の性格を知っている身としては、実に素晴らしかったと思う。
琴莉がお兄ちゃん呼びになった時、彼女等が必要以上に茶化さなかった事に、今では優しさが感じられる。
だから、本作は圧倒的なまでに、家族の優しさで出来ている。
守護の力で、出来ている。
※2
もう既に死んでいる琴莉が、他の生者に話を聞かれる心配は無い。
この言葉を終始、琴莉に対して貫き通したアイリスは、本当に優しい鬼の女の子なのだ。
3.これは「えいえん」の物語
さて、ここまで色々語ってきたが、今までのは『なないろリンカネーション』の表向きなテーマに過ぎない。
日本的精神も家族愛もこの作品には必須だが、本作だけの主題として、大事なのは寧ろここから。
○○の物語なんて色々纏めてきたけれども、今作だけのテーマと言ったら、恐らく実質これだろう。
簡単に言うと、率直に申し上げると、この『なないろリンカネーション』
「えいえんは、あるよ」って物語なのである。(※3)
本項目では、その「えいえん」をどのようにして証明したか記載したい。
辿り着くのは、2つの答え
鍵となるのは「リインカネーション」と「メリーゴーラウンド」である。
(1)リインカネーション
そもそも「リインカネーション(Reincarnation)」とは、死者の魂が別のモノとして再び生まれ変わる事を意味する用語
キリスト教におけるイエスの再来が語源で、肉体は滅びても魂が別の肉体や形に宿って地上に戻って来るという考えから生まれた単語だった。
そして大事なのは、この思想がバラモン教やジャイナ教、仏教と言った代表格において伝えられている「輪廻転生」とまるで意味が違うと言う事
いや、正確に申すなら「メッセージ」の意味が、正しく対極なのだ。
元々、輪廻思想ってのは、バラモン教が不遇な下位カーストの立場を正当化する為、編み出した物語の1つだ。(※4)
「お前等がシュードラ(奴隷階級)やパンチャマ(不可触賤民)なのは、前世での行いが悪かったからだ」
と、まあ、このように。
そして、生前の信仰度合いで来世の立ち位置が決まるように、カースト制を強固にした。
「バラモン教を熱心に信仰すれば、来世で上位の境涯に生まれ変われる……かもよ?」
ってな具合で。
事実、バラモンは善行を積めば「輪廻転生」を克服して、神々の世界に永遠に住む事が出来るとされていた。
しかし、シュードラ以下の下位階級の面々には、そんな機会すらも与えられない。
下位カーストは永遠に下位カーストのまま、その輪廻を全うしろと言う教義こそ、バラモン教の中では通説だったのだ。
そんな下位カーストの境遇に対抗して生まれたのが仏教やジャイナ教
生命は「六道輪廻」と言う6つの世界を巡り廻っていて、それらはどれも「苦しみ」しかないから、頑張って「解脱」しよう。
「六道」を越えた先にある「仏界」の世界、所謂「涅槃」ってのに至ろう。
と、唱えたのが仏教
で、ジャイナ教ってのは霊魂は必ず輪廻するし、生命は輪廻転生の輪から逃れる事が出来ないと唱えた宗教
だから、現世でも来世でも清く正しく生き続けて、霊魂を清浄させるしか、自分達は救われないと説いた。
その為、輪廻を巡る中、ずっと厳しい苦行が科せられる事になるのは、もう御察しの通りだと思う。
要するに。
バラモン教やジャイナ教、仏教と言った代表格において伝えられている「輪廻転生」の「メッセージ」ってのは……
「生まれ変わっても幸せになれない」
と言う概念が根底にある。
だからこそ、バラモン教や仏教は解脱して現世から逃避するしか手は無くて、ジャイナ教は逃れられない輪廻の中を苦行するしか道は無かった。
そして、そんな上記と対極した「メッセージ」
「生まれ変わっても幸せに至れる」
と言う概念があるのが「リインカネーション」と呼ばれる「生まれ変わり」なのである。
さて、そんな思想をタイトルとした本作には「輪廻」や「転生」と言った言葉はまるで出てこない(まあ、掛け軸にはバッチリ書かれているけれども)
キャラクター達もそのような言葉は口にせず、伊予も「成仏した霊には次がある」としか言わない。
それは「輪廻転生」と言う言葉が、バラモン教にジャイナ教に仏教の「メッセージ」をも含んでしまうからに他ならない。
「生まれ変わっても幸せになれない」
「リインカネーション」にそんな事は無いのだ。
これは、来世を自分の意思で決定する「近代版生まれ変わり思想」だから。(※5)
自分で道を選んで生まれてくる、そんな自己決定主義が根底にある「生まれ変わり」なのだから。
本作が『なないろ輪廻』でも『なないろ転生』でも、ましてや『なないろ輪廻転生』でもない理由は此処にある。
『なないろ「リンカネーション」』であったと言うのは、非常に重要な事だったのだ。
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どうかまた、あなたの恋人になれますように。
琴莉より
『なないろリンカネーション』琴莉END
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これが1つ目の「えいえん」
「リインカネーション」によって齎される「生まれ変わり」の「優しさ」である。
(2)メリーゴーラウンド
琴莉と過ごした遊園地の日
彼等が、最後に乗るアトラクションの候補として登場した「観覧車」と「メリーゴーラウンド」には、共通点が多くある。
それは、どちらも循環が如く回転し、絶対に前の乗り物に追い付けないと言う事
くるくると一定に回る遊具は、決して前を走る物体には辿り着けず、それはまるで馬の鼻先に人参をぶら下げる様相
絶対に追いつけない。
絶対に辿り着かない。
これは、自然と「別れ」を暗示させる象徴
彼女が最後に「メリーゴーラウンド」を選んだ事に、クリア後は色々感じずにいられないだろう。
しかし、この「別離」の暗喩である「メリーゴーラウンド」には、もう1つの意味がある。
それは、琴莉ENDの手紙を読むシーンで出た、回想の「メリーゴーラウンド」に隠されていた。
あそこで何故、あの情景が映し出されたのか。
それは、遊園地デートを無事に行う事が出来たから。
琴莉との、別れの瞬間に立ち会った場所がそこだったから。
そして何より、その最初で最後のデートが、彼女との1番の「思い出」になったからである。
この批評を書く際に、他の方のも少なからず読んだ。
琴莉の扱いが「一期一会的な感じ」「ゲストヒロインっぽい」で弱い、と言う指摘を見かけた。
失礼ながらそれは、本作が1番伝えたいテーマを掴めていないと思う。
手紙を読んでいる最中に思い浮かんだシーンが何故、メリーゴーラウンドであったか。
それは「メリーゴーラウンド」が、ずっと回り続ける、決して変わる事のない遊びだから。
「ずっと続いていく」と言う概念、真が追い求め続けていたそれを表した対象こそ、最後に彼女と遊んだメリーゴーラウンドだからだと私は思う。
つまり「メリーゴーラウンド」とは、永久に続く「思い出」の象徴
どんなに時間が経っても、どんなに景色が変わっても、その場所で過ごした「思い出」だけは、決して絶対になくならない。
「思い出」の優しさが、そこにはあった。
そして、メリーゴーラウンドと言うのは循環する遊戯
また、最初の場所に戻ってくる。
さっきまでいた場所に、また戻ってくる。
これこそ「リンカネーション」の間接的な肯定
「思い出」は「また」作る事が出来ると言う、優しい証明に他ならないのである。
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夏――――
またこの地に 戻ってきた
『なないろリンカネーション』OP
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これが2つ目の「えいえん」
「メリーゴーラウンド」によって齎される「思い出」の「優しさ」である。
「一期一会的な感じ」
「ゲストヒロインっぽい」
上記の感想は「えいえん」を掴めていない証明
琴莉は加賀見家と、一ヶ月で別れたのではない。
琴莉は加賀見家と、一ヶ月で家族になれたのだ。
時の流れの短さと、その時間内で与えられた想いは、必ずしも比例しない。
短期間で一生の思い出を得る事もあるし、膨大な時間に不毛さしか感じない事だってある。
それは、この『なないろリンカネーション』と言う作品をプレイして高評価を与えた方なら、必ず理解出来る筈だ。
何せ、1ヶ月よりも更に短いプレイ時間で、私達は琴莉を好きになれたんだから。
人と人とは、一期一会
しかし、その1度きりの出会いが、生涯の価値観を築く事もある。
人間は、皆、繋がっている。
人は、刹那に生きると共に永遠にも生きるのだ。
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誰がために何人も一島嶼にてはあらず
何人もみずからにして全きはなし
人はみな大陸の一塊
本土の一片 その一片の土塊を
波の来たりて洗いゆけば
洗われしだけ欧州の土の失せるは
さながらに岬の失せるなり
汝が友どちや汝みずからの荘園の失せるなり
何人のみまかりゆくもこれに似て
みずからを殺ぐにひとし
そはわれもまた人類の一部なれば
ゆえに問うなかれ
誰がために鐘は鳴るやと
そは汝がために鳴るなれば
ジョン・ダン『死に臨みての祈り』「瞑想録第17-誰がために鐘は鳴る-」
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※3
「えいえんは、あるよ」の元ネタ『ONE~輝く季節へ~』
これは元々、「永遠の世界」と呼ばれる一種の精神世界に取り込まれていく主人公の姿を描いた作品だ。
この「永遠の世界」とやらが何なのかについて、明確な解答が作中で提示されなかったので、プレイしたユーザー達の間で議論が蔓延ったのは有名な話
『なないろリンカネーション』は、そんな「永遠の世界」に頼らず「えいえん」を提示した作品と言う訳
※4
バラモン教は(初期仏教も実は含まれるが)「五趣」の間を、生命が巡り回っていると考えられていた。
「五趣」と言うのは「六道」の中から「修羅道」を抜いた5つの世界を指す用語
その人の生前の信仰度合いで、来世で生きる立場や世界が決まるのである。
そして、この死んでから関わってくる「五趣」の思想ってのを、現世の社会階級に当てはめたのが、当時のバラモン教なのだ。
※5
「リインカネーション」とは、欧米社会から流入した特定の「生まれ変わり思想」と語ったが、元々、19世紀フランスを席巻した心霊主義の隆盛過程にて定義付けされたモノ
ただ、「近代版」と言っても、それは実質的な概念として確立した時代が「近代」と言う事
「リインカネーション」の思想自体は意外にも古くから在り、プラトンの代表作『国家』に、その片鱗が存在する事が分かっている。
それは「エルの神話」と言うエピソードから、十分に見て取れる内容である。
全部書こうかと思ったが、説明が更に長ったらしくなるので、泣く泣く消した。
詳細は竹倉史人『輪廻転生〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語』講談社,2015年.を参照
5.後記と言う名の戯言
この批評はどうしても、彼女が旅立った日までに完成しておきたかった産物でした。
それは、これを本作に対しての「けじめ」としたかったから。
本批評を終える事で、真に琴莉との「物語」が終わった事を実感しなければ、自分で前に進む事が出来なかったのです。
今日、彼女が旅立った本日、無事に目標を達成する事が出来ました。
非常に嬉しく思います。
正直に申し上げると、本作はもっと「頑張れた」作品だと思うのです。
琴莉に対してもっと愛着を持たせる事は出来ただろうし、日常描写や事件でもっと世界観に広がりを持たせても良かった。
鬼達との交流に重点を置くルートがあっても無駄にはならなかったでしょうし、何よりもっと「お役目」が見たかった。
そう、本作における短所とは、全て「短い」と言う言葉が根底にある事で成立してしまう欠点ばかり。
だから、この『なないろリンカネーション』と言う作品は、良作には余裕で届いても、傑作とまでは至れない。
その印象は、こうして批評を書き終えた今になっても変わりません。
しかし、この作品はそんな短さで、私にかけがえのないモノを多く残してくれました。
私の思っていた以上に、本作は様々なテーマやメッセージに溢れている。
こんな優しい物語には、色々様々な要素があると言う事を伝えたい。
それが、この批評を作ろうと至った出発点であり、始まりの時
この作品を、どのような「物語」として捉えるかは貴方次第
「えいえんを把握していない」なんて偉そうな事言いましたが「いや、これは違う」と除いてもらって全然構わない。
取り敢えず、この『なないろリンカネーション』と言うエロゲが、こんなに多面性のある作品だと言う事を伝えたかった。
たったそれだけの、言わばこの批評は、私が好きになれた事への恩返しなのです。
好きになれる物語を、貴方は好きになってください。
『なないろリンカネーション』をプレイできた事、私は「永遠に」忘れません。
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一粒の砂にも世界を、一輪の野の花にも天国を見、君の掌のうちに無限を、一時のうちに永遠を握る。
ウィリアム・ブレイク『ピカリング草稿』「無垢の予兆」
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