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shun-shunさんのさようなら、援交娘さん。の長文感想

ユーザー
shun-shun
ゲーム
さようなら、援交娘さん。
ブランド
夜のひつじ
得点
89
参照数
384

一言コメント

愛は幸福の必要条件か.

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

虚空と悲哀のボーイ・ミーツ・ガール

【個人的振り返り用メモ】


【本分引用とその所感】


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俺「こういうこと、けっこうしてるの?」
揺子「まさか。あのサイトも……登録したばかりですし」
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俺:
22歳 3流大学生 就活から逃亡中 実質童貞のED 自分は特別な存在だと思い込むもそうではないと気づいてる

揺子:
18歳 高校3年生 母子家庭 母は水商売 金持ちオヤジに処女を奪われ強姦、凄惨な調教の果てに受精。愛を知らない。


余りにも悲しいボーイミーツガール。

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揺子「私は……、汚れてて、最低の……」
俺「そういうのさ、愛されたいって言ってるのと一緒だよね」
言いながら、諸刃で俺自身も切りつけていく。
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揺子は愛されたかったのか?
そもそも愛を知ってるのだろうか。

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被虐性があるというよりは、そうなるように強く仕込まれたのだろう。
彼女の表情自体は苦しげで、その言葉を拒否しようとしているように見える。
だけどーー体の反応が受け容れてしまう。
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ここまで調教されたのだから、もはや揺子の発言がどこまで本心で、どこからが調教された言葉なのかすら分からない。
しかし、もう少し考えていく。


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この子はただ求められたいだけだ。必要だ、そばにいてほしい、きっとそう言われたいだけだ。
でもそう言われえることと身体を差し出すことがどこかで重なってしまっていて、・・・
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「求められたい」のはなぜだろう。実存主義的な考えをすれば、本質存在、すなわち自身の存在理由を他者に求めていると言ってもいい。
これは凄惨な調教により、10代の自己の形成過程で「他者に犯される私」こそが存在理由になってしまったのだろうか。
少なくとも、揺子によっては嫌悪感=快楽になってしまっていることは明らかである。


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「さびしいから会いたいんじゃないんです。会いたいって思えなくなることがさびしいんです」
依存してるんじゃないんです。依存してるっていうこと自体に依存してるんです。
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少し見えてきた。

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揺子「ごめんなさい、説明が下手で……。ずっと幸せなままの人は幸せじゃないし……。悲しい思い出しかないなら、少しのことでも幸せに思えるし……」

(中略)
幸福はいつも落差でしかない
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答えの核心に近づいてきた。

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揺子「何度も同じことをして、これは普通のことなんだって……。そう自分に言い聞かせて、平気なフリをしてたいです」
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これが答えだ。
揺子はかつての凄惨な調教から自己を守る精神の防衛本能として、フロイトのいう「合理化」を選択したのだ。
揺子という女性は、男に犯される存在。これが基準であれば、過去の調教はその基準でしかない。


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揺子「それでも愛して欲しくて、ごめんなさい」

何もない、

ここには本当に何もない。

俺たちの世界は”無い”で満ちている。
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この場における”無い”とは何だろうか。

①揺子の”無い”
他者愛、または愛のある性交。
自己愛、家族、汚れのない身体。

②俺の”無い”
他者愛。満たされない性欲。
自己愛。過去の性交のトラウマ。

これらを2人は手にすることはできるのだろうか。

答えは、↓

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揺子「これから、たくさん……諦めないと……」
それは俺も一緒だ。
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そう、無理なのだ。諦めなければならない。









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揺子「……好きです……」
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上記のテキストを基に考えると、揺子の「好き」の捉え方は一般的な恋愛感情におけるそれとは到底異なるものであると考える必要がありそうだ。

この点を深堀りするには、揺子における「俺」とは何か?を考える必要がある。


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感じるものだけに集中して、ほかのすべてをなくす。
走ってるときみたいだと思った。

(中略)

これを知ってよかった。教えられて、童貞じゃなくなってよかった。
こんなの知らなければよかった。
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「こんなの知らなければよかった」。
そう、こう思っているのは「俺」だけでなく揺子もそうだ。あんな調教されたくなかった。

では、なぜ揺子は「俺」に膣内射精と性交の快楽を教えたのか。

可能性としては、
①純粋な善意で「俺」のEDを解消してあげたかった。(その裏には必要とされたい、という考えあり)

②意図的に愛のない性交を教えた。
→揺子と同じ視座に立ってほしかった(?
→揺子が性行為の度にトラウマを思い出すように、「俺」が射精をするたび、揺子のことを思い出すように・・・



(ここで中断)







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俺はほとんど何の感情も抱かずに揺子の体を抱いていた。
ただ気持ちよくて、それだけでーー。
愛の名のもとに行われるセックスも暴力も教育もまやかしだ。
こんなことに意味があっちゃいけない。
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これが2人の辿り着いた結論である。2人に”愛”はないのだ。
性交は気持ちいからする。それ以上でもそれ以下でもない。

しかし、もはやその愛のない性交の中でしか自己の本質存在を見いだせないのだ。


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揺子「好きな人に殺してもらうのが、恋とか愛なのかなって」

(中略)

揺子「自分で死ぬのはいやです。好きでもない相手にそんなことされるなんて」
俺も、嫌だ。
だからこうして、生きていたくないのに死にたくないとも思ってしまっている。
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ここを紐解いていくと、以下のような思考プロセスになっている。

どうしようもなく不幸なこの世界では、死しか救いがない

好きな人に殺されるこそが究極の幸せであろう

①「俺」
愛も知らない、なにひとつ特別じゃない、社会のすみっこにいる自分が嫌い
②揺子
愛を知らず、汚された自分が嫌い。

よって自分は”好きな人”ではない

愛を知らないので、当然他者を愛することもできない。そして自分も嫌い。
であれば、死にたくても誰も自分を殺してくれない。

だからこそ、最後に揺子が「俺」に一緒に死んでほしいと言った時に、「俺」はひとりで、死ね
と言ったのだ。

なぜなら、自分は揺子にとっての”好きな人”にはなれないのだから。



【結論、何が言いたい?】

この物語を極力簡潔に要約すれば、

「辛いのに死ぬことすらできず、愛することも愛されることもできなくなった男女が情欲の中に生きる価値を見出す物語」

だと考える。

要するに、この作品は、

====================

愛は幸せになるための必要条件か?

愛なき幸せは存在するのか?

====================

という、幸福論的で非常に高度な問いを包含しているのだ。

結論から言えば、その答えは分からない。

今この文章を書いている23歳の若輩たる僕には難しすぎる問いだからである。

少なくとも、愛があろうとなかろうと、「俺」と揺子には幸せになってほしいと心から願っている。