このゲームが存在することそのものが我々人間に対する「救済」の一助となっている。
孤児院の経営をするゲーム。
私は仕事で難民・子ども支援のNGOで活動しているのだが、このゲームは本当に考えさせられた。
NGOの資金難は先よりメディアなどで言及されているが、このゲームでも孤児院の経営難から孤児を用いて性奴隷などの汚職・犯罪行為が行われてしまう。
その行為そのものだけを見れば純粋悪であるが、「子どもたちを救いたい」それでも「資金がなくどうしようもない」という倒錯した状況の中での究極の選択であったことは疑いの余地はない。
私は、このゲームを通して「犠牲を払ってでも救いたい命がある」という信念の行きつく顛末を学んだ。
叶えるべき無償の愛のために、人はどこまで悪に染まれるのか、このゲームはそんな誰しも一度は思案したことのある命題について、臆することなく、逃げることなく言及しているのだ。
このゲームの真の意義は、このゲームが「名の知れぬ1人の人間によって作られた」その点に尽きるではないだろうか。
このゲームの存在は我々人間の無償の愛に対する追及であり、希望なのだ。