再プレイ追記/同ブランドsilhouetteとの対比
積みゲー消化もさることながら、たまーに良いゲームだったのを
思い出しては再プレイしています。
まぁ、大体はストーリーを忘れた頃になんですがね。
さて、このCDPAというブランド。
日本開発というよりも、韓国メインでの開発?日本向け移植という感じなのでしょうかね。韓国にもOHPがあり、壁紙配布などが向こうのハングルで在りました。
さて、どちらの国にも共通するのが、家族意識、儒教思想とでも申しましょうか。
青い涙では、徹底した家族関係との交流を描いていました。
鍵は「母親」でしたね。
CDPAでは本作がデビュー作となっています。
シナリオ進行上の、日本語表現は正直「むちゃくちゃ」ですが、はっきりとライターさんが目指したいものを訥々と語ります。
マナという少女が母親である為のギミック。
これは愛する人(シエ)が息子を母親から無理やりとも言える決別をさせた為がゆえの苦悩だったと言えるでしょう。
ミルカ編での、母親からの無償の愛。子供としては、時にうざく感じるコトもあるでしょうが、無くしてから分かる愛情の形だと言えます。
ミルカ・シエともからに愛されて、ただ互いの女性の立場が違えば相反することになります。
だからこそ、ミルカ・そして主人公の現世での母親、シエ・マナの二者が「形を違えてでも母親で在り続けようとした、愛おしいものを護り続ける存在であろうとして」、この二者が守りきった子供が、最後に庇護を受けきって 真の赤い涙 を流せるようになれた。
このプロットには、今でも脱帽します。
一方のsilhouetteは3作目です。
こちらでは、ライターさんは別の視点からのアプローチを図っていますね。
家族を亡くした子供というか、保護されるべき存在が保護するものを無くした場合どうなるのか?という設定です。
得てして、辛い現実からは逃避したくなるのが人間です。
だからこそ保護者である姉を亡くし、主人公は自分自身に逃避ともいえる自己催眠を施し「幸せであろう」と居続けました。
シルエットでは結果的に、母親とは逆の立場である女性に助けられますが、これも立場が相反する者の無償で在り続けようとする愛の形、家族と恋人という関係描写だと言えます。
この二作が関係での対比となっても、方向性が同じであろう無償の愛を描ききるところに、いつまでも深い感銘を受けます。
願わくば四作目を拝見したいものです。