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seraphim0200pprさんの素晴らしき日々 ~不連続存在~ フルボイスHD版の長文感想

ユーザー
seraphim0200ppr
ゲーム
素晴らしき日々 ~不連続存在~ フルボイスHD版
ブランド
ケロQ
得点
100
参照数
143

一言コメント

永遠でない、必ずいずれ壊される日常にも、認識により意義が生まれる。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

まず、タイトルの意味から行きましょうか。
この作品の名前は、「素晴らしき日々~不連続存在~」です。英題は「Wonderful everyday ~DIskontinuierliches Dasein~」となっています。後半の謎文字列はドイツ語です。なぜドイツ語なのかについては、私は勝手にイギリスよりかはドイツにおいて哲学がより栄えていた印象があるからなんとなく納得しましたが、これだけ見ると謎が残るかもしれません。
話を戻して、先ほどの英題の説明でも出てきたように、この作品は哲学書です。エロゲではありません。いや世間一般の分類からすればエロゲなんでしょうが、間違いなくこの作品は哲学書の類いです。それか啓蒙書の類いであるとも言えるでしょう。ヘーゲルやロックと変わりません。ただそれを比喩として物語形式で準えただけに過ぎません。もちろん言っている中身は全く別物ですが……。
素晴らしき日々というタイトルは、日常という意味に他なりません。このことは「Looking-glass Insects」のグッドエンドで最も顕著に表れています。この観測視点のトゥルーエンドは一章を読めばわかるように凄惨なものですが、グッドエンドではざくろがいじめを克服し幸せな日常を生きていく、という趣旨になっています。ざくろにとって、自身をいじめていた(性的な意味を含めて)大いなる存在(あえてこう形容します)に立ち向かうため一歩を踏み出すことは、最初はとんでもない恐怖だったでしょう。とこのように、この作品は「素晴らしき日々」に辿り着くための様々な認識の様々な苦闘を織り交ぜた、「間宮家のいざこざ」についての物語です。最終エンドの一つである「素晴らしき日々」エンドでもそれは顕著に示されていて、木村と皆守が事件や藤村操、唯我論についての話などをしつつ、羽咲との幸せな日常に向かい旋律を奏でる、という描写からも見て取れます。
卓司編で、音無彩名がこんな話をします。「永遠でないということは、刹那的であるということと同値である」と。まぁ単純に言うとこんな感じの話です。しかしまた同時に、「永遠は悲劇だ」とまぁこんな感じの話もします。端的に言うと、永遠の生というのは一見魅力的だけど、それが宇宙が終焉を迎えても生き続けるものだとすれば、それは究極の孤独と終末という名の悲劇以外の何物でもない、ということです。最終的に卓司はそれでも永遠にとり憑かれ終ノ空と称して集団自殺をするわけですが、卓司編の伝えたい趣旨は上の彩名の言葉に集約されていると思います。
最終的に、この作品は二つの物語としての結末と、新しいメタ的な問題提起を投げかけて完結します。前者は「素晴らしき日々」エンドと「向日葵の坂道」エンドで、後者は「終ノ空Ⅱ」エンドです。前者の二つはどちらも、認識の治った皆守が羽咲を救うため一歩を踏み出して獲得した素晴らしき日々、という概念についての物語的結末です。しかし後者のエンドは、物語としての結末というより、作品としての結末であると思います。前者二つで既にこの物語は一定以上完成しています。そこに後者の問いかけが加わることで読者の認識としての作品も終わりを迎え、最後に水上由岐が消えることで第一章の観測者の消滅、という印象的な出来事となり、水上由岐の消滅=作品の終わり、というメタファーになっている、というわけです。終業式が始まる、という台詞には一定のカタルシスを覚えましたが、これは音無彩名がこの世界に入り込んだ我々の認識の擬人化である、という描写に他ならないでしょう。そして皮肉にも、音無彩名の数々の台詞によって我々は読む前の我々の認識や思考を破壊され、読後の我々へと生まれ変わっています。
この作品が真に伝えたいことは今私が書いたこれらに集約されていると思います。そこから自然にテーマをつなぎ、次回作である日常を描いたサクラノ詩へとバトンタッチされる。この演出はエロゲのみならず文学界全体で見ても世界観を共有しない別の作品へとテーマが継承される作品群の中で指折りに美しいものです。作品力が高い。