ここには何もない。なのに不思議なことに、浪漫だけは売るほどあるのです。さあ、人生を踊り狂いましょう。
僕はライブの技術スタッフや、採譜、作編曲で生きてきており、
このゲームの世界の全キャラに立ち絵があったら出てるな、と感じながらプレイしていました。
どこかで書き手とすれ違ってるんじゃないのか、と思うくらい、
裏側をうろついている人間にはあるあるだらけでしたね。
さて、キラキラでは、人生とは祭りだというような事が語られていました。
アリストテレスの言ったエネルゲイア(踊りのようなもの。
到達したい場所などない、一瞬一瞬の喜びの積み重ね)
のように、過程を楽しむことがもう目的を達していると。
さあ、それを受けて今作はどうか。同じバンド物なので留意して読みました。
まずは主人公の馨くんに対する印象なのですが、
努力の結果を独り占めしたいから神様にお願いをしない、という描写があって、
まさにその思想が馨くんには貫かれている気がします。欲が強いのです。
パパの指摘通り、才能から何から、生まれた時は全ては勝手に与えられるので、
環境も含めて自分の力なら、才能ある人に愛されてしまうのも力です。
自分の力の範囲を知りたいという自我と欲は分かりますが、
より純粋になるように切り分けたところで、再現性を求められてないなら、
たいした意味がないのです。外から見たらね。
で、効率で得をするのは、自分の可能性を狭めていると思って行動を変えています。
クーポンを利用していると、クーポンを出さなくても客の来る店には行けませんから。
人生を味わい尽くしたいという気持ちがとても強いことが描写されています。
その彼に、花井是清の問いが目的となって、このゲームを覆い尽くしていましたね。
「音楽の感動はまやかしで、ストーリーなどと切り離すことはできない」
なるほどね。疑っちゃうこともあるよね。演出ギラギラの世界だとなおさらね。
彼のその意見に対する僕の第一感は、
「ただいい音が鳴るだけで耳の良い人間は鳥肌が立つし、
それは恋愛のドキドキみたいに強制的な現実なんだから、
音楽が言葉や視覚と混ざって総合芸術になっても消えない。
複数の要素で感動が倍増しても、それが何だというのか」でした。
SWAN SONGの柚香は、彼の才能あふれるピアノの演奏一つで、
彼の指し示すものの奴隷になったんですよ?
どんどん純粋にしていったって、なお暴力的な魅力がありますよ。
感動の要素の分離が甘いよ、と思いました。
19世紀の大作曲家サンサーンスは、作った音楽に先入観を持ってほしくないし、
音楽は既にある何かを真似るために作るものじゃないから、
自分の交響曲に標題も歌詞も付けない、絶対音楽主義という考えの持ち主でした。
なので、150年前みたいなこと言ってるな~と思って読んでいました。
社会的大成功の三日月ルートは、
人の役に立った人が忙しくなるみたいな、ごく真っ当なルートでした。
倫くんが現実的に生き残ってる業界人の考え方をしてて、
人のために動きすぎて三日月が摩耗して。
人に喜んでもらえる物作ろうって頑張って、上手くいく。
後半は、ハッピーなオチを付けるために逆算していった感じでしたね。
お話の筋よりも、モノローグが良かったです。
・他人を使って自分の性欲を満たすというのが、なんだかあまりにも一方的な気がして、
相手に悪いような気がして、積極的になれない。
・僕は人に何かする時、反射的に自分がされたらどう思うかを考えてしまうので、(略)
どうしても気色悪いのだ。
めっちゃ分かる~!と思って読んでました。
人間が大した存在じゃないって、こんなことで幸せになるって分かるからいい、
という三日月の返答も良かったです。
振り返って考えた時、自分の考え方に影響を与えそうな一節でした。
香坂ルートは、結局その純粋さの追求みたいな道の先にはただの寂しい老いしかなく、
塞いでないで最後まで踊ろう、というお話で、キラキラの続きみたいな感じでしたね。
親がヒステリックだから世界を遮断できる音楽にのめり込んでいくというのはよく分かります。
辛いときは楽器を弾けと。本人も明日のことなんて考えてないし、大変踊りっぽい。
で、弥子ルートは、佐藤さんが楽しいことをやって逃げ切るしかないという、
これまたエネルゲイア的な話をして、
将来を考えるのが怖いだなんて、そんな事誰にも考えて欲しくないんだ、という話もしていて。
そして、澄ルートは、踊りではなく、マラソンのように目的へ向かってしまって、
欲に飲み込まれていくようなルートだなと思います。
何のための音楽なんだ!って叫んでましたが、その目的的な考え方がヤバいんだ、と思いました。
あとは、マティスやデュフィのような、色が大事という思想の絵画は、
標題やモチーフなどを表現する目的志向よりも
瞬間瞬間のサウンドが大事という思想に近くて、
あー分かる分かる、音楽系絵画としてデュフィとマティスを発見する感じ、と思いました。
まさかこれがあるあるとして堂々と通用するとは…。
総論です。
やっぱり、バンドとライブというモチーフからは、エネルゲイア的な、
いつだって、今!みたいな物語が出てくるのが道理で、徹底した祭り、踊りの物語でした。
先のことを考えて、育てられないから子供を堕ろすとか、目的の邪魔だとか、
今を生きてない上に自我と欲が強いルートがめちゃめちゃ不幸で、
そして人を喜ばせるために動くような、欲の少ないルートのほうがどんどん成功していくと。
割合素直なお話だったように思います。
生きるのが苦しいという事の、古来からの一つの答えは、「目的を持たない踊り」です。
エネルゲイアはエネルギーの語源です。生きるエネルギーは、目的意識では高まらない。
数カ月後のために今日があるのではない。ただ良い今日を積むだけ、という話なのでした。