ロミオさんによる「オタクの社会学」という通底テーマはこの頃始まった。
ロシア文学には「余計者」という存在がいる。
~以下weblioより引用~
一九世紀半ばのロシア文学に現れた、知性と教養にめぐまれながら、
無気力で現実を直視し適応する能力を欠いた一連の人物。
没落貴族や知識階級の一典型。
彼らはいつも悩んでいる。そして社会に呪詛を吐いている。
何も考えずに生きている人をつい見下してしまいながら、その生命力を羨ましく思っている。
打たれ弱く、繊細で、プライドが高い。どう生きたら良いのか分からないまま、惰性で生きてしまう。
それが「余計者」である。
ロミオさんの作品には、ロシア文学とはちょっと違った「余計者」がいる。
異常に能力があったり、趣味が特殊だったり、何らかの理由で社会とぶつかってしまう人々が、
それでもその中で生きていく為に何かをする。
それは、日本の「余計者」たるオタクや文学青年がどうにか生きていくこと、に等しい。
家族計画と最果てのイマでは余計者だけの共同体を作る。
AURAでは普通の人を装う。
おたくまっしぐらでは開き直る。
衰退は「旧人類」的なコミュニケーションが殆ど必要ない世界だけど、
5巻になって、どうしようもなく浮いてしまう人間が演技によって生存する、お得意の状況が現れた。
CROSS†CHANNELだけは特殊で、引きこもって仲間に向けてだけ発信すること(=文筆業)を居場所にする自己言及になっている。
そのスタイルに、コメディ(パロディや言い回し)とミステリ(作者と読み手の情報不均衡)と
SF(ループや超能力)を足すことで物語が出来ている。
また、ロミオさん自身もこの余計者だったようで、居場所の無さや
孤独を感じているときの主人公のモノローグが、とても痛みを伴っていて、悲しく、切ない。
生まれて、すみません。人間失格で、すみません。そんなすみませんが充満している。
オタク界の先輩が、社会における生き方や、疲れ切ってしまわずに生き延びる方法を
考えて、それをエンタメ作品にしている。
余計者そのものな性格をしている僕は、この社会学の面白さから逃れられない事を日々実感しています。