言葉のチョイスで笑わせる能力と、持ってる知識を組み合わせて物語る能力がとても高くて面白かったです。自我とは、自分とは何かの事ですが、それを表現するためには「その人の好きなもの」など、本人以外を使ってしか定義できません。宇宙という全体の中からその人物を定義したり取り出したりする為の部分関数、つまり、その人の重要な順に全てを並べる評価関数が自我です。この物語は量子SFと自我を使ってラブコメの枠の拡大を目指した作品です。
この街は情報を伝えるという能力の失われた、関係性を遮断された街。
観測のない不確定な世界で僕らは何をすればいいのか、何を重視すべきか。
卒業に向けて何をやるにしても、行動基準、物差しが必要ですね。
この物語におけるラブコメは、とりあえず設定された物差しではありますが、
因果を超えられる存在であることがWSPさんの反応によって示されます。
そして、ラブコメにおける観測者の立ち位置と、
観測されるまでは状態を収束できない量子論と、
関係性によってしか定義出来ない自我を絡めて物語を成立させています。
現実とは自我という評価関数によって見えるもののことで、
人は興味のある物以外は相対的にあまりしっかりと認識することができません。
子供を持たなければ子供の安全のための装置はなかなか理解できないし、
車椅子に乗ってみなければ緩やかなスロープを重要だと考えることが難しい。
釈迦の悟りとは、自我を限りなく小さくすることで、
評価関数から来る目の曇りが晴れて、
宇宙の果てまで、自分と関係の深いもの以外と同じくらい見える状態になった事。
区別をどんどんユルくしていけば自分も宇宙も似たような原理から成ってるじゃんみたいな。
大きな括りで見るというか、「類」と「個」のような概念の上下が悟りの本質に近いというのが重要です。
この物語の中では悟って区別をユルくすると、平行世界を扱うことが出来るようになります。
ちはや君が世界を移動できるようになったのは、
腕の一部を散布して意識の枠というか、目の曇りを取って他の世界が感じられる状態になったから。
より上位の概念を理解してるサトリちゃんのようになったわけですね。
この世界の僕という「個」と他の世界にも居る僕という「類」を同一に扱えるようになるわけです。
そして、ラブコメにおける傍観者のポジションに据えられてしまった彼女を、
悟りによる区別の無意味化と同じように、
ラブコメの枠を拡大することでヒロインにしてまとめ上げていきます。
拡大されたラブコメパワーは因果を越え、
彼らを感じて未来の少女は同人誌を書く。
その未来の少女であるWSPさんが書いた同人誌を過去にいる彼が読んで、
観測者であるサトリまで包摂するようなラブコメを実現する。
この場合、時系列よりラブコメパワーの方が上の概念なわけです。
この作者さんは因果や輪廻を「越える」物語を書いてきたわけですが、
今回はラブコメパワーにその力を仮託して果たしました。
良かったです。
また、世界観の構築にいろいろな知識やアイデアが詰まっていて素敵です。
・観測者を完全にシャットアウトすれば人間の変化や可能性を
量子のように扱えるのではないかというアイデア。
・ラブコメには観測者のポジションが存在するということ。
・悟りは概念の上位化に近いということ。
・サトリが評価関数を「ちーくんと結ばれる」に設定したことで自己同一性を保ったこと。
・ちはやがどの世界でも自分の評価関数は変わらないから自己同一性を保てると確信していること。
・彼らが作られた理由は進化であり、生物の適応とは種の多様化と淘汰によるものであるという知識。
・ウイルスが遺伝情報しか持たず、他の生物の細胞を利用してしか増殖できないこと。
・それを、空の状態の人間に人格を入れるというWSPさんのアイデアに繋げていること。
とにかく知識の凄さとアイデアの強さ、そして枠を超えるようなラブコメを堪能できる一品。
おすすめです!