ギャルゲーがぶち当たる永遠の問題。持ち前の大らかさでそれに気付かないアトリエかぐや。
簡単に言うと、主人公とプレイヤーを乖離させない為にはどうしたらいいのかという問題です。
昔から言われてることですけど、アトリエかぐやの演出面の特徴は、立ち絵の距離感が複数有ることなんですよね。
普段は中距離、迫るときは超近距離。アップになるともう胸すら見えない。
特に原画がM&Mさんだと唇の艶やかさが合わさり最強に見える。
で、そういうシーンでは、生唾飲み込みながら困惑してる主人公がなんか言い訳じみたこと言うわけですけど、
この辺りで主人公と読み手が凄く離れるんです。
ああ、この子が迫ってるのは僕ではなくコイツだ。コイツは全然僕じゃない、と。
アトリエかぐやがぶつかってる問題はこれで、プレイヤーが遠いんですよね。
引き込ませる壮大なお話とかの場合は、プレイヤーと主人公は重ならないけれど、共感して読み進めています。
共感は他人への行動であって、他人だけど読んでいて面白いから成立しています。
でも、プレイヤー=主人公という側面が強いとそうはなりません。
恋愛ゲーなのに物語ゲーのメソッドになっているので、プレイヤーが死んでいる。
この辺が、ドキッとしても思い入れは残らない、スナック感覚なエロの原因なんじゃないかと思います。
そして、ゲームの全体像を決める企画の段階で、このスナック感覚はかなり大事にされてると感じます。
絶対に重たくしない、絵以外が目立ってはならない、主人公は無個性が正義。没入は無個性に宿る。
ここの主人公は没個性なんですよね、無個性ではなく。無色ではなく、どこにでもある色が塗ってある。
少なくとも、薄い色にしようとはしていない。必ず、お誘いへの抵抗を試みるという色が付いている。
でも、これだけ「求められる、好かれる」事に特化しているゲームなら、
主人公に猛烈な優しさとかのモテそうな色を付けて邁進させるか、
もしくは無色の中にある色、つまり女の子がプレイヤーを見ているってのが良い気がするんですよね。
主人公が重要なキャラゲーでも、物語ゲーでもないのなら、
プレイヤーと主人公は重なっている方が、どうでもいい他人のお話にならずに済む。
読み手とゲームの距離とはなんぞや、の答えが出ればより面白くなるんじゃないでしょうか。
ブランドの感想ばかりで作品の感想がないとアレなので最後に何か書きましょうか。
頭身の高いキャラを見た後、低いキャラを見ると室温が5度上がった気がしました。溶けた的な。
どうしても一番お気に入りのキャラに目が行くので、他の二人がひな壇タレントみたいな認識になってました。
以上です。