作劇的には、主人公の役割は「鏡」。求められたことに過剰に応える性質を持った主人公と、皆それぞれに厄介な女の子たちのお話を、ドラマティックな方向に肉付けしていって出来上がったクリスマスツリー。
全体として、読み手と主人公が乖離するのがほぼ確定的で、
それをドラマツルギーの魅力で補ってる構造のような気がします。
まず序盤、主人公が誰をどのくらい好きか、決められちゃってるんですよね。
我々はそれを見ているに過ぎない。選択肢はその気持ちが決まった後に現れる。
そこでヒロイン二人への気持ちをシンクロさせるのがとても難しく、たいてい他人事になります。
ドラマティックなのでそれでもなんとかなるんですけど。
流れとしては「大人として過去よりも現在を大事にするべき」と言わんばかりの雪菜推し。
自分はまあ、過去ってゾンビみたいなもんだと思ってるので、
物語としては永遠の思い出みたいなかずさより雪菜との数年を推す方が正しいかなと思います。
より未来志向を良しとするならば、もうちょっとサブヒロイン派が多くてもいいんじゃないかな。
主人公は、クラスのみんなからの頼まれごとへの応対や優等生ぶりから見て分かるように、
責任感という名の独特の過剰さを伴って(まるで歪んだ鏡のように)返すという
役割を与えられてて、それは罰や禊と相性が良いから、
かずさルートの罰は結構過剰になっていってましたよね。
基本的にヒロインの問題を増幅して返す役割だと思います。
一番へこたれてる時に雪菜のお父さんから電話かかってきちゃうところとか、
想定範囲を一歩はみ出る嫌なことが起きて、自然な流れよりも強めに畳み掛けるというか。
平常状態になかなか戻ってこない緊張状態の連続は、これが信賞必罰ドラマツルギーだ!って感じでした。
アナ雪のハンス王子について、彼は鏡の役割だと当時脚本家が語っていて、
目の前のキャラの感情を増幅する事件を発生させるために存在しているので一貫性がなく見える、
と解説していたのですが、まさにそれだなと思いました。
そして、このゲームは人物に共通点と対比が多いです。
親と関係が良くないという点は主人公とかずさと千晶の共通点だし、
抜け目のない小心者であるところは主人公と雪菜の共通点。
小春樹も似てるし、麻理さんは仕事人間。似たような欠け方をした鏡の博覧会みたいになってます。
エピソードも対比させていて、条件をほぼ統一しようとする意思が垣間見えますよね。
自分しか知らない彼女の姿を見るエピソードとか、
かずさ(放課後ピアノ)にも雪菜(放課後メガネ)にも等しくエピソードが用意されている。
こんなに平等なのに、気持ちは平等じゃないという話の流れが強制されています。
評価としては、物量的にも視覚的にも、沢山の手間がかかった大作なのは間違いないんですけど、
正確に作られたプロットという太い幹があまりにも見える構造をしていると思います。
しかも、張った伏線は誰にでも分かるようにこれまた過剰なまでに巻き戻りながら説明して回収するので、
印象としては「冬物語なのに色んな物が暑苦しい」という感じでした。
凄かったかと聞かれれば凄かったと答えますが、好きかと言われると難しい。
がっちり作ったプロットを、限界まで分かりやすく飾り付けた、
大きいのに子供っぽいクリスマスツリー。
そんな作品ではないでしょうか。
以上です。