最果てのイマ、人類は衰退しました、ReWriteと続く、世界が人類をふるいにかける系SFのスタート地点。実際に存在する用語や理屈を移植するように、背景理論を持って作品世界を構築したら手に負えないほど必要な説明や設定が増えてしまった事が伺える作品。我々プレイヤーは、次世代の人類としてこの作品に参加しているのです。2014年10月書き直し。
イケてるところはそりゃあもうたくさんあるんです。
元気なキャラクターの感性から生み出されそうな言葉を作者がひねり出してくる所とか。
時折全てが終わった後の情景を見せられていて、そこでは退廃的なサティのピアノ曲がかかってるとか。
話の内容が理解できた所でもう一度最初からスタートして並べ替えてみると
BGMにこんな意味が!!とかもうめっちゃ面白いじゃないですか。
ENTERのあるトップページは、忍が王をやめた今、
もはや誰も見ることの出来ないオーパーツの技術による記録。
全てを見てきたプレイヤーのみに分かるオープニングのページ感の意味。
我々は、衰退した後勃興した人類として、あのページを発掘し、眺めているのです。
ミステリ的な面白さが好きな人にとっては大好物ですよね。
このゲーム、簡潔に言ってしまえば、
「細胞が集まってひとつの生物であるように、
たくさんの人間の脳を連結して有機的に連動し合えば
それは大きな目で見ればひとつの生き物なのではないか?
そして、生き物は天敵や変化に耐えられなければ絶滅するので、
そのふるいに人類がまるごとかけられ、
そして裏ワザでそれを乗り越えてしまったので、人類は衰退していく」というSFです。
SFにおいて、全員が独立しすぎて他人と関わらなくて良くなってる世界も、
全ての人間が統率されて一つになりすぎてしまっている世界も、
ディストピアであり、失敗の世界なんですよね。
この世界は、統一型で無理やり乗り越えてしまったし、
そのままの人類では淘汰に勝てなかった程度の出来なので、
衰退するであろうことが提示されている。
一番良いのは、全員が自立しながらも有機的に連携して
個人プレイだけでも出来ない、ましてや指導層が一部しか居ない全体主義でも出来ないような
可能性の多様さを残したままでいること。それが一番進歩の可能性が高く、変化に強く、
全員が一網打尽にやられてしまうことがない。
だからコミュニケーションによる発達への希望でお話が終わっていく。
世界のコミュニケーションは全然上手く行ってない、でもそれしかないんだ、で締められていく。
絆やコミュニケートの可能不可能よりも必要性を中心に描かれるのはその価値観から来てる。
イマとRewriteからそんな事を考えました。
すごい作品だと思います。よかったです。