ヒロインと主人公の関係についての印象
まあ全体からすればどうでもいい一部分のことではありますが、なんだかよく主人公がヒロインに叩かれているなあ、と言う印象だけが残った一作。なんでだろう。
しかし、そもそも主人公はこのヒロインたちのどこがよかったのだろう。そしてその逆も然りで、そんなに口悪しくいうなら何で主人公を恋愛対象にするのだろう。
言わば、主人公を叩くにあたってヒロインは特権的な位置を占めているとも言え、後の方になればそのことへの言及も出るのかなとも思ったがそういうこともない。主人公は主人公であるという特権性を持つがゆえに叩かれるが、ヒロインは自らが持つ批判的立場自体は批判にさらされないのか、と不思議な感じ。まあ私の印象で語っているだけなので、つぶさに見ればそんな印象は残らないのかもしれないが。
さて個別ではヒロインと主人公が結ばれるわけだが、そこにはあまり恋愛と言う色調は無い。情緒的ではあるものの、セックスをしてるだけでさほど思慕の情があるという風には見えなかった。
そもそもヒロインは主人公の存在や主人公と恋愛することよりも、主人公と付き合うことで惹起された問題によって己が葛藤したり己が苦悩したり己が苦痛を感じたりすることの方が重大であって、主人公はそのシチュエーションを生むための契機に過ぎないのではないか。そう思える程度には、主人公は事態の本質的な側面に関与しえていないように思う。言い換えれば、主人公は透明な視点とたいした変わりが無い。この作品の主人公に価値があるとすれば、ルートを移るごとにヒロインの手から手へと渡されていくバトンとしてぐらいのものか。ゆえにこの作品、およびこの作品に類する主人公が透明な視点に過ぎないような作品は、主人公とヒロインのコミュニケーションではなく、ヒロイン相互のコミュニケーションを描いていると言えるのではないだろうか、というのは言いすぎだろうか。
あるいはエロゲの主人公と言う存在に対する嫌悪や嘲笑といのもがこの作品を製作するに当たっての動機の一部なのかもしれない。ならば不思議なことは無い。
またあるいは、エロゲに対するイデオロギー批判と言う面もあったのかもしれない。だとするなら、それをエロゲ作品それ自体のひとつとして世に出すのは不可解だ。
次作の体験版においても、ヒロインが主人公を裁くあるいは批判するという意匠が見受けられるので単にこの会社さんの芸風と言うことなのだろうが、それ自体は何に根ざしているのだろう。
ほかに印象に残るものは視覚的演出であろう。
素晴しいと思う反面、過剰に感じられたことも間々あり、その点においては下品とも受け取れた。
洗練させたり稠密にしたりすることでよくなるとも限らないということか。