瑠璃と妃は最高の兄妹でした。
私は妃が好きす。現実的で、信念を持ったところや、笑顔が可愛いところ、兄想いなところ…
彼女の全てが素晴らしいとは言いません。でも私が見た彼女はそのどれもが素晴らしかった。
兄妹が防波堤で好きを自覚したきっかけを振り返るシーン(3章)は、関係の"きっかけ"が魔法の本によるものだったなんてほとんど意味がなくなるほど好きなシーンです。
あの素朴で素敵な瑠璃は、鷹山学園に入学するくらいのことだと言います。妃にいたっては瑠璃を見たその瞬間からだなんて答えます。
妃を残したまま別々の学園に入学することが嫌だったと言っているので、一応は魔法の本の介入より前のことだと分かりますが、そこではありません。
私が好きなのは、魔法の本や他のあらゆる諸要素で兄妹の行動が表向きは変わったとしても、あの兄妹なら想いを貫いてくれると強く感じさせてくれたシーンだからです。
兄妹は不安だったに違いないでしょう。兄妹で恋人になってその関係を続けていくのは並大抵のことではありません。
不幸ぶったり、兄妹じゃなければ良かったなんて考えたり、相手に背徳を感じて欲しくないなんて自己弁護したりして前に進もうとしないのが普通なのです。
私は人のことを言えませんが、そう自己弁護することが悪いことだとは思いません。大抵は妹(兄)に近親相姦の罪意識なんて感じて欲しくないものです。もし悪い場合があるならば、ナルシズムのみに起因するときでしょう。
「近親相姦、ナルシズム、おち○ちんが実現すれば、そこでそっくりすべての欲望が終末に達し、何も欲望せず、何も他者に訴えず、そもそも言葉を使う必要がなくなることを意味する」なんて誰かが言ってましたが、
言葉が不要になったとき、兄妹は二人で一人になってしまう。兄として、妹しての要素が抜け落ちた、とても寂しい状態だと思います。
しかし、魔法の本によって結ばれていたのだとしても、あの兄妹は社会の中で兄と妹として生きていた。
それは途方もない労力です。学園を卒業するまで肉体関係は持たないという約束まで交わしています。
「社会で生きなくて、どこで生きようというのですか」
そんな妃の言葉はあの兄妹の想いの強さに裏打ちされたものだったのでしょう。
はっきり言って私はエロゲに社会性なんてあろうがなかろうが気にしないタイプです。むしろ妹と一つになるなんて最高の状況じゃないですか。大好きですよ。
でもあの兄妹は違った。現に誰が決めたかも分からないルール、不条理に囲まれても、兄と妹として生き、想いを貫いた。その強さを兄妹愛と言わずしてなんと言うのか。
「私の愛は、私だけのもの。他の誰にも、揺るがせない」
瑠璃と妃は本当に最高の兄妹でした。
『紙の上の魔法使い』が誰の物語なのかと言われれば遊行寺夜子のものなのでしょう。
紙の上の魔法使いが存在し、子どもである夜子を襲います。しかしそれは自身が克服すべき魔法使い。まぁそんな感じでTRUEは夜子の成長であったり、子どもの弱さの克服であったりのお話なのかぁとは思います。
でも妃以外いらない感が最後まで拭えなかった。白雪姫でもなんでも勝手にやっていてくださいよ。まぁかなたは可愛い。理央はおっぱい。汀くん好き。