現代のおとぎばなし
以下、プレイ後の方にしか分からない文章で長々と書いてあるので、未プレイの方はよく分からないと思う
・はじめに
「浮遊都市の落下」という自然現象を通して「主人公」を描写しきった前作”穢翼のユースティア”
「羊飼い」という自然現象を通して「登場人物達」を描写した本作”大図書館の羊飼い”
表面的には学園ADVの形態をとっている為に気づき辛いが、
実は前作と本作は大本のテーマが同じで、結局は幸せとはなんぞやとか選択に至る経緯を描く物語だったというのが面白いと思った
前作と本作を簡単に比較してみると先にも述べたように、
徹頭徹尾「主人公」のみを描写した”穢翼のユースティア”
と
満遍なく「登場人物達」を描写した”大図書館の羊飼い”
の違いがある事が分かる
上記の違いで人それぞれ好みが出てくるのだろうけど、
僕は主人公以外の登場人物達の動きに違和感を覚える部分が結構あった”穢翼のユースティア”よりも、
登場人物全員が生き生きと動いていると思えた”大図書館の羊飼い”の方が好みだ
という事で一見すると学園系キャラ萌えADVに見えた本作ではあるが、
ヒロイン個別でのいちゃラブ成分の不足や真ルートでの図書部ヒロインズの扱いなどを見ても明らかだろう
実はキャラ萌え成分も含みながら、非常に高いテーマ性を持った作品なのである
・本作を好むポイント
兎にも角にもお話としてすごく好きなので、作品解釈をちょっと書かせて貰おうかと思う
羊飼いの特徴として作中で語られる情報に
「羊飼いは人の記憶に残りづらい」
というものがある
これは作中人物だけに限った話ではなくプレイヤー側にも当てはまる情報で、
当サイトの感想でも多分「羊飼い成分が薄い」と書かれてる方もいるだろうと思う
確かに図書部としてのエピソードやヒロインのエピソードが前面に出てくる反面
メインエピソードとして語られるかと思われた羊飼いのエピソードは控えめに描写されているにすぎない
また、本作をキャラゲーとして受け取った方々はそもそも羊飼いなんていう説明もあまりない存在をどうでもいいとすら思いながら読むだろう
それを踏まえたうえでの1週目、だれかしらのヒロインとの個別ルートを一度は必ず読む筈だ
そこでは主人公はヒロインと結ばれ、幸せに見える日常が語られる
しかし、そこにはもう羊飼い見習いの小太刀の存在は影も形もなくなっているし、
図書部の面々も羊飼いのエピソードの事なんぞは思い出しもしない
それを見てプレイヤーは「羊飼いは人の記憶に残りづらい」事を実感する
「ああ、こうやって羊飼いは幸せだけを残して忘れられていくんだな」と
同時に、また思う筈
「羊飼いとはなんて孤独で寂しい存在なのだろうか」
と
2週目以降、真ルートに入ると羊飼いの本質も絡めながらのストーリーが展開される
図書部とは光
人との繋がりを持ち何かアクションを取れば、相手から「ありがとう」と返事が返ってくる
反面
羊飼いとは影、人との繋がりの一切を排除し、誰からも忘れ去られていく
と、対称的に語られ
主人公は、光である図書部に惹かれ、結果自分も光の場の一員になれたと思う一方で、
影である羊飼いへの興味を失いつつも、どこかで自分がまだ孤独を求める影の怪物である事に強く恐怖する
しかし、最終的には主人公は「羊飼い」にはならない、との選択をする
1週目で「羊飼いの孤独」を実感したプレイヤーには、この選択がすごく自然に見えるのだ
だって忘れられるより「ありがとう」って言ってもらえた方がいいじゃない!
2周目の真ルートが展開する際に紡がれていくエピソードは計算し尽くされた構成
行間を読めば読んだ分だけ、「そうそう、それで正解だよ」と作品から回答が提示されている様な気がして、
後半部は読みながらニヤニヤしてしまった(キモッ)
その2周目以降の真ルートでは、大別して見ると小太刀ルートかもしくはそれ以外かの2種類しか存在しない
疑問に思われる方もいるだろう、なぜ2種類しか存在しないのか?
メインヒロインは小太刀の他に4人いるのにルートが2種類なのは手抜きではなかろうか?と
確かにキャラゲーとして見た場合には4人いるヒロインをほぼ同一として扱ってしまうのは駄目な事かもしれない
しかし、ヒロイン通常ルート、サブヒロインルート、小太刀真ルート、図書部ヒロインズ真ルート全て含めた”大図書館の羊飼い”というパッケージング全体で見ると
真ルートでの主役は、主人公、小太刀、あと一人の登場人物、なのである
この中では図書部ヒロインズはあくまでも脇役なのだ
だから、主人公と小太刀ルート、主人公とあと一人のルートの2種類しか存在しないという事になる
さてあと一人とは一体誰なのだろうか?
ともったいぶる必要もないのでさっさと話を進めるが
あと一人の登場人物とは羊飼いであるナナイの事だ
そう、実は図書部ヒロインズ真ルートとは表面上のものにしかすぎず
本作を正確に解釈するのならば、あれは「ナナイルート」という扱いをしなければならない
「羊飼いは人に未来を教えない、何故なら未来が変わるから」とのルールを小太刀から教わるが、
その後ナナイは主人公に「君は将来いい羊飼いになる」と伝える
また、幼少期の主人公に栞をプレゼントしていたりする
それぞれのエピソードが提示された段階では「あれ?」と思う程度なのだけれども
最後まで読むとこれらは非常に興味深い情報だった事が分かる
またナナイルートでは主人公から決別される際にああいう言い方(作中参照願う)をしたナナイではあったが、
上記を踏まえて考えると、ナナイの本当の考えが理解できる
ナナイは主人公を羊飼いにはしたくなかったのだ
「主人公が羊飼いになるルートもあればよかった」との感想も見かけた気がするが、それは大きな間違いである
そんなものはある筈がないに決まっているのだ
何故ならば優秀な羊飼いであるナナイが、
人類全体の奉仕者である羊飼いとしての立場よりも、
主人公の父親として主人公の本当の幸せを優先して行動したのだから
言い換えよう
どの選択肢を選んでも、どのルートに入っても、主人公が羊飼いになる事は絶対にない
何故ならばナナイが羊飼いの能力を利用し、主人公が羊飼いになる可能性を摘んでいたという選択肢郡が
つまりは”大図書館の羊飼い”というパッケージなのだ
主人公は最後に言う「俺は今幸せだ」
この台詞にプレイヤーが心底共感できる様にする為のエピソード郡
この台詞を主人公から聞きたいと願った故の「羊飼い」としてはありえないナナイの行動
これを綴った物語というのが”大図書館の羊飼い”の本当の姿なのだと思う
主人公が人類全体の幸せか、自分を含めた目に見える範囲の図書部の幸せかを選択する
小太刀が人類全体の幸せか、自分と主人公との幸せかを選択する
ナナイが人類全体の幸せか、主人公の幸せかを選択する
そういうお話だった訳である
・ヒロインについて
ヒロインは近年ありがちな突拍子も無い設定をくっ付けて個性を出す方向ではなく、割とどこにでもいそうな感じでいて、しかしながら可愛く描かれていて好感触
小手先で大げさな属性を付与して萌えキャラを作るのではなく、キャラさえ生きていれば自然と可愛らしく見えてくるという
言うのは簡単だけど、実際にそういうキャラ作りをしようとすると非常に難しいのは昨今のエロゲに限らず萌え市場を見れば明らかである
・良かった点
・オプションが充実している事
・悪かった点
・キャラゲーとして見ると確かに不満が残る事
(ファンディスクと合わせてプレイするとキャラゲーとしても満足できる)
・べっかん絵
・高峰君がいい奴すぎて本気出したらすごいモテそう、彼にも何か春が欲しかった事
・雑感
シリアス主体だった前作”穢翼のユースティア”とある種共通したテーマ性(目の届く範囲の幸せか全体の幸せかの選択)を持たせながらも、
じゃあまた生か死かの重い話なのかというと、そうではなく
学園を舞台としてエンターテイメント性を綺麗に融合させた事で、全編通じて明るく仕上がっており
文章、構成力の高さは勿論の事、さらに軽妙さを感じさせ非常に良い読後感が残る
所謂おとぎばなしの様に
ヒロインと結ばれましためでたしめでたしというハッピーエンドのみを喜んでもいいし
作品が内包する教訓めいたものを読み取るのもいい
どちらにも耐えうる優秀な物語だったと思う
綺麗事が常に勝ったり、物語の重要なポイントでファンタジーに頼りすぎな点が弱点かもしれないが
その辺絡めると面倒くさい話の展開になってくるし、綺麗事が勝たないなんてのは現実で嫌と言うほど味わっているので、
本作の幸福感の按配が文章読んでいて癒される感じがして良かった