草薙直哉の終着点、そしてこのシリーズにおける「幸福に生きよ」とは?以降、前半ネタバレ無し自分語り+今後プレイするユーザにむけた、関連商品の説明を記載。後半にネタバレあり感想
数年ぶりに3年以内にリリースされた作品をプレイしました。
社会人になり、転職も経験し、実家から出て生活そのものが変わり、
エロゲ自体全然やらなくなって数年、発売されたタイミングは忙しかったり、
モチベがなかったりで手を付けられずにいたが、
ようやくまとまった時間が取れそう&三十路前に終わらせておきたいと年末年始にプレイ。
過去作どころか、詩の最初期発表のムックの切り取りまで保存しているくせに、
「本当に自分はこの作品シリーズのことが好きなのか?」と思うことが多々あったが、
刻までプレイしたことで、ちゃっとこのシリーズのことが好きなんだなと実感できました。
以下にネタバレ混み感想を記載していきますが、刻をプレイするうえで触れておいた情報を記載しておきます。
今更感はありますが、初回特典の冊子やVFBをどのあたりで触れれば良いか等を記載しておきます。
未記載は全くの不要として認識してください。通常版か限定版かの参考にしてください。
なお、本作をプレイするにあたって、公式HP、シナリオライターのツイ垢は一切見てないです。
・サクラノ詩
→刻プレイ前必須。続編なので読了前提で進みます。
・サクラノ詩オフィシャルビジュアルアーカイブ
→読んでも読まなくてもどちらでも良い。詩本編の補完が記載されているので、分からないところがあるのであれば。
・サクラノ詩 春ノ雪
→プレイ不要。春ノ雪路線から完全に独立しました。
・サクラノ詩 The tear flows because of tenderness.(コミック版)
→購読不要(同上)
・サクラノ刻 ARTWORKS(サクラノ刻 初回特典付録冊子)
→サクラノ刻読破後推奨。ネタバレCGのラフあります。後半にすかぢ×松本文紀の対談記事があります。
・凍てつく7月の空(サクラノ刻 初回特典付録冊子)
→サクラノ刻読破後に推奨。本編後半部分のネタバレに触れるストーリー展開です。本編設定の掘り下げあり。
・稟と雫と口と口(サクラノ刻 ドラマCD)
→サクラノ刻読破後推奨。本編後半部分のネタバレに触れるストーリー展開です。
・サクラノ刻オフィシャルビジュアルアーカイブ(別売り)
→サクラノ刻読破後推奨。必須では無いですが、本編の補完ができます。後半に原画家たちの対談記事があります。
・サクラノ刻 限界の空を奔る彗星蘭の精液Ⅰ(狗神煌サークルで販売したすかぢ書下ろしシナリオ)
→Ⅳ章読破後推奨。寧×心鈴の百合小説かつ本編に絡む話でもないので、興味なければスルーで大丈夫です。
・サクラノ刻 限界の空を奔る彗星蘭の精液Ⅱ(狗神煌サークルで販売したすかぢ書下ろしシナリオ)
→未読
↓↓↓↓↓本編感想↓↓↓↓↓
〇第Ⅰ章:La gazza ladra <泥棒カササギ>
詩から臭わせてはいたけど特に触れなかった、お家騒動を含めた過去の話。
弓張学園長の鳥谷紗希が起こした弓張学園クーデターをキッカケに、
鳥谷静流と中村麗華の今に至るまでの物語。
事前情報無し+体験版未プレイでいきなりこの話だったので、少し驚きました。
二人とも詩で名前はチラッと出ていたが、本編に絡むことなかったため、ここにきて本格参戦。
鳥谷紗希も絡んでくるため、他の方もおっしゃっていますが、詩Ⅲ章PicaPicaに通ずるところがあり、
このシナリオを読んだことで、詩Ⅲ章PicaPicaの評価を変えた方もいると思います。
鳥谷静流と中村麗華の面倒な友情と周りの人間関係もさることながら、この章の主題は、
「贋作が本物に劣ると誰が決めた」になるかと思います。
そう、あらゆる有名作品で用いられる言葉です。
美術が絡むうえで、「贋作」は必須の要素になり、サクラノ刻でも例外でなく重要な要素となりました。
また、後半に鳥谷静流と中村麗華を動かすうえでも重要なシナリオになっており、
サクラノ詩→サクラノ刻への接続として十分なシナリオだったと思います。
〇第Ⅱ章:Картинки с выставки <展覧会の絵>
草薙直哉がサクラノ詩本編後から、教師として歩み始めた、サクラノ刻本当の始まりの章といったところ。
始まりの章といっても、この段階では教師として歩むのか、画家として戻るのか分からないまま進み、
美術部が発起してⅢ章に入る。最後の日常回といったところか。
Ⅱ章では、あらかた重要登場人物も1度は出てきて、姿が見えないキャラも名前は登場してきて、
さあこれからですといった感じでOPが挿入。いよいよ直哉の真価が試されるときが来たのかとなりました。
この時点で、アサクラノ刻は、草薙直哉という男が美術と向き合う最後の刻の物語なのだなと感じました。
この男はこの後どうなるのでしょう、という感じでちょうどいいところで区切れてたと思います。
〇第Ⅲ-Ⅰ章:Der Dichter spricht <詩人は語る>
本間心鈴√ですね。
なんとか最初にこの√へ入ることができました。
良くも悪くも萌え寄りの、少しシリアスも入ったお手本のようなエロゲといった印象でした。
この√で少し本間家と中村家の事情が垣間見えることになりました。
しかし、全貌が明かされることはなく、基本的に恋愛寄りのシナリオに帰結することになりました。
本間心鈴というキャラクターを掘り下げるには、ちょうど良い塩梅と感じました。
寧と心鈴の絡みはかなり好きです。和解の流れも個人的に違和感なく、学生らしい絡みになっていたかと思います。
百合シナリオを別で書く理由も分かります。
最後に結ばれて、聖ルーアン女学院から弓張転校は王道ながら綺麗に締まったと思います。
この√では、直哉はあくまで「教師」としての道で終わりました。
〇第Ⅲ-Ⅱ章:kibou <幾望と既望>
鳥谷真琴√ですね。
鳥谷真琴というキャラクターは、この作品において重要な家系の出でありながら、
渦中のタイミングで幼かったために、蚊帳の外に置かれた中間近くの位置にいるキャラです。
そのため、序盤~中盤までのキャラとして動かしやすかったのかなと思いました。
詩のとき、つまり学生時代のやり残しと、鳥谷静流と中村麗華の決着の物語となっていましたね。
この章でメインとなる鳥谷静流以外の、鳥谷真琴、鳥谷紗希、中村麗華は、
本物の芸術家にはなれなかったけど、本物は知ってるんですよね。
そして本物が身近にいる存在。
その中で、Ⅰ章への決着にフォーカスを当てた回答のシナリオになっていたかと思います。
このあたりから、凡人も天才とは違ったアプローチで芸術と向き合う、
天才たちを追っていると強調されたように感じました。
この√でも、直哉はあくまで「教師」としての道で終わりました。
〇第Ⅲ-Ⅲ章:Night on Bald Mountain<禿山の一夜>
いよいよ本番といったシナリオになってきました。
ここでの主題は、「芸術と向き合うための才能とは?」をベースに「芸術とは?」を語る√だったと思います。
芸術的思考/哲学も用いりながら、「ガワ」と「本質」という概念から、「才能」と「向き合う勇気」を持つ者こそが、
美の本質に触れることができるのであるということ。
「ガワ」と「本質」どちらも持ってなければ、しょせん凡人であるということを念頭に進んでいきました。
それを、寧と心鈴の現状で上手く表現していたと感じました。
更に寧の兄が圭だったことも強調され、天才に求められるものが何であるかより強調されたように感じます。
また、この章から詩のときからの凡人代表である長山香奈が絡んできました。
詩では、直哉以外のキャラとはあまり絡みを見せず、嫌味なキャラだが的を射てるキャラでしたが、
ノノ未との絡みで、彼女の素の性格が垣間見えたのは面白かったです。
意地汚くても、天才たちに追いつくためにどんな手も使うというようなスタイルを取っていても、本質は芸術家。
長山香奈の絵に込める想いを読み取ったノノ未との関係性は、鳥谷静流と中村麗華に通ずるものを感じました。
作る側と見る側の共鳴といったところでしょうか。この辺から、その要素が描写されるようになったと思います。
ここから地続きに後半の√に繋がり、盛り上がるところだといった内容だったと思います。
〇第Ⅳ章:Mon panache !
夏目圭の死の直前までの物語。ここで過去話の挿入です。
恐らくサクラノシリーズでこの√が一番好きという人も多いのではないでしょうか。
私もこの√が一番好きになりました。
圭の過去話ですので、もちろん出生から始まる。その人生はまさに波乱万丈。
ここから、詩のときから圭の重要な要素であった「向日葵」が出てきました。
すば日々のときからでしたが、すかぢ氏は特別な関係の二人組を表現する際に、
太陽と向日葵のように見立てて表現していたのではないかと感じました。
圭が最初に描いた向日葵は枯れかけの向日葵で、圭にとっての太陽の存在が不在。
そして、直哉のことを知ってからは、自分の中心に直哉がいて、そして追い付かなきゃいけない存在。
常に向いていないといけない存在なわけです。
それを向日葵の絵をもって、「幸福な生」を体現するという生き方をしていたのではないかと感じました。
直哉と出会い、藍と出会い、健一郎出会い、自分は紛れもなく幸福であった。
そんなことを、描き続けた向日葵にこめていたのではないかと思います。
そして成長した圭と出会う本間心鈴。
圭は彼女へ、これまで自分を形作ってきた感情、意志を伝承していきます。
バイクに乗るCGがまさにそれを表していると思います。
また、圭が事故に遭い息を引き取る間際のシーンまで描写されてましたが、
心鈴への最後の会話も明かされました。
短い人生でしたが、最期まで芸術家としてあり続けた圭。
奇しくも、詩Ⅳ章で健一郎が直哉へ最期に取った行動に近しいものを感じます。
Ⅳ章=生死の章としておいたのかなと。
すば日々のときは違ったけど。
〇第Ⅴ章:D'où venons-nous ? Qui sommes-nous ? Où allons-nous ?
ついに直哉が「画家」として向き合うクライマックスの√でした。
エロゲ的展開というよりかは、少年漫画的なノリが多かった印象でした。
さらにここから、サクラノ詩でも重要な要素であった「伯奇伝承」「千年桜」が絡んできました。
やはり弓張での芸術はこれらの設定は切っても切り離せないもので、
この設定による奇跡を受け入れられるか否かが、この作品の評価を変える大きな要素の1つだと思います。
ということはもちろんのこと、旧弓張美術部員も集合してくるわけで、
御桜稟、夏目雫はもちろんのこと、特に明言されてなかった(はずの)氷川里奈、川内野優美、明石亘まで登場しました。
ここのまでそろい踏みになると、サクラノシリーズ始まってるな・・・!って気分になり、
読んでてとても高揚してきました。
ここにきて、たびたび名前が出てた天才画家がアリア・ホー・インクであるという事実が発覚する。
これを後付け都合の良い設定だと酷評するユーザもいましたが、
里奈も詩のときに、鎌倉時代の伯奇に触れる描写があったことから、
その力も存分に振るう資格がありました。
なので、私的には、今の世界線はうまい具合に直哉の周りの主要人物に、
千年桜、伯奇の力が作用した√であると解釈しました。
どんなシナリオでも、設定モリモリでこれがこうなったらどうなるんだろうが、
全部適用された世界ってマジ?!な話が好きな人間で良かったです。
そしてⅤ章のメインイベントの「即興絵画トーナメント」、急に週刊〇年ジ〇ンプが始まりましたね。
とはいえ、仕掛けたのがあの長山香奈であり、なにかしてくるだろうなという期待を持たせつつ、
もともと健一郎がやってた遊びではありましたが、詩の直哉VS吹の勝負を唯一観戦した長山香奈が提案したのは面白いと思いました。
ここの戦いでは、「ガワ」と「本質」だけでなく「技術」と美術に触れる「本質」を知らない「大衆」という要素も絡んできます。
それぞれの細かい勝負については語るまでもないので端折りますが、
この形式にしたことで、「本質」を知る芸術家ではなく、「ガワ」を見るだけの「大衆」の評価がキーとなりました。
それぞれの結果は、現実世界で我々が美術に向き合う姿勢や感性に通ずるものがあると感じました。
私は芸術には疎いです。そのため、作品によってはただの落書きにしか見えないイラストもあります。
しかし、だいたいそんな作品は芸術家もしくは、中村麗華のような「本質」を見抜ける目を持ってる者とは違う評価を下します。
そういった残酷な面も垣間見え、大衆が度肝を抜く「技術」でジャイアントキリングを果たす直哉と香奈の演出は、
少年漫画チックでとても面白く感じました。
直哉VS香奈は、幕切れが尻切れトンボだったため消化不良感がありましたが、
ノノ未が言う「本物」を持っていた香奈が一瞬でも伯奇の力を使えたのは割と納得はいってます。
そして最後の絵を描き上げる直哉のもとに、これまで非協力的どころか、敵ですらあったキャラたちが、
直哉のために協力していく流れ、まさに少年漫画的な流れですね~。
個人的には、どんなときも「本物」には本心で語る麗華が、最後に絡んできたのはとても良かったです。
また、ここに来てトーマスに役割が回って来たのも良かったです。
詩の時にヘイトが溜まったからこその反動でしょうが、最後の最後で良い仕事をしたなと。
そして直哉と稟の最後の勝負。
本作を締め括る直哉の絵として、これ以上ない絵を用意したと思います。
直哉と圭のこれまでの日々と、彼らに関係する人物たちの想い。
伯奇の器の水という特殊な具材によって描き上げられたその絵は、
千年桜と同等の開花と同時に、その数々の想いによって鑑賞者の魂を共鳴させ、
消えゆく風景/音楽のように燃え尽き、二本の向日葵だけが描かれた黒い「灰」キャンバスへと昇華。
我々ユーザも含めた鑑賞者の観念で再現されたのは、直哉と圭の「幸福な生」を表したのではないかと思います。
これは圭が描き続けた「二本の向日葵」の直哉なりのアンサーとしてピッタリの絵「焼身する絵画」であったと思います。
ここで述べた「魂を共鳴」は、Ⅳ章で健一郎が圭に発した「観念の同調」を示唆したものであると感じました。
ようするに、すかぢ氏は、『人間は「製作者」と「閲覧者」の間で想いが同調することで「共鳴」され「本物」と認識する』
ということを伝えたかったのではないかと読み取りました。
それこそ他人を理解する、他人と通ずる、幸福に生きる要素の一つとしてあるべきものということなのではないかと考えました。
ここで、挿入歌で櫻ノ詩のインストverが差し込まれます。
詩プレイ時には個人的には分からなかった歌詞がそのまま描かれることになりました。
「せかいの限界をこえる絵画
標本の蝶々 よみがりまた飛び立つ
すばらしき刻 瞬間を閉じこめた永遠こそ
わたしたちの意味 そして意義だと
君は知るだろう さぁ うけとるがいい
永遠の相 この櫻ノ詩の下」
>せかいの限界をこえる絵画
伯奇の器の水を使って人の限界をこえた絵画
>標本の蝶々 よみがりまた飛び立つ
かつて大天才と呼ばれた直哉の絵を見る大衆たちの想い
>すばらしき刻 瞬間を閉じこめた永遠こそ
伯奇の器の水の最期の一滴を、焼身する絵画へ施した瞬間に発動する伯奇の力と、
それに呼応する直哉の圭への想い
>わたしたちの意味 そして意義だと
>君は知るだろう さぁ うけとるがいい
それらによって描かれた「焼身する絵画」から、
人々は直哉と圭の因縁や想いを感じ取るだろう
>永遠の相 この櫻ノ詩の下
千年桜の奇跡によって完成したこの絵から、直哉と圭の全てを
といったことを表したかったのではないかと解釈しました。
言葉難しいのでこれが限界です。。。
ここに来て、やっと櫻ノ詩のアンサーが出た気がして、憑きものが落ちたような感覚になりました。
この辺は考察の余地があったり、すかぢ氏の回答がほしいところであります。
既に言ってるPOSTがあったら教えてください。
〇第Ⅵ章:櫻ノ詩ト刻
Ⅴ章から更に数年後、すば日々から散々言ってた「幸福に生きよ」を〆る終わり方になったのではないかと思います。
誰かを救うために身を削って絵を描き、幸福と不幸を繰り返し、圭の死から孤独や一種の呪いのような感覚も味わった草薙直哉。
そんな彼の物語の終着点が、弓張に戻って来たかつての仲間たちや、新たに出来た家族との奇跡的であり、幸福な日常であることは、
サクラノシリーズのTRUE ENDといっても過言ではないでしょう。
〇まとめ
小沙智や小牧が微塵も登場しなかったり、「凍てつく7月の空」や「稟と雫と口と口」も
本編のサブシナリオとして読みたかった感はありましたが、
草薙直哉という男の人生を描き切るには、過不足はほとんどなかったと思います。
私が詩で消化不足と感じていた、直哉と圭の過去話も十分に描かれていたし、
彼らが活動が、ありとあらゆる影響に繋がっており、シナリオに落とし込みの十分だったと感じました。
ただし、思想や哲学的理論が、すば日々から一貫してるものであるからか、
少しくどく感じる時もあったのが残念でした。
引用元も大事ですが、引用ばかりの会話って普通しないので、、、。
この辺すごく気になる人は点数下げてるのではないかと思いました。
ユーザにも読んで欲しいという思いがあったり、引用元を書かないのは恐れ多いだったり、
両方だったりするかもしれませんが、キャラの性格の1つで組み込んでも良いのではとは思いました。
まあ今回、健一郎から、芸術を理解するには哲学的知識も必要という発言が出たので、
少しカバーしてる感はありました。
個人的には、草薙直哉の物語として過不足なかったため、95点付けても良さそうな作品でしたが、
風呂敷を広げてしまったがために、まだまだ語れるところが出てると感じたため、
95点よりちょい低めで付けさせてもらいました。
まだまだ語れるところはありますがこの辺で。
本当なら名ありキャラ1人1人の感想も書きたいけど、気が向いたら更新します。
思った以上にこのシリーズが好きだった自分に驚きつつ、サクラノ響を待つ日々が始まってることに震えてます。
せめて5年くらいで出してくださいね。。2030年1月1日ゲームの仲間入りになるので。。
https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/before_hatubai_yotei.php?sellday=not_set_yet
あとはラストEDのイラスト滅茶苦茶良かったな。やっぱり基4先生の淡いイラストは大好きだ。
あれ全部一繋ぎのポスターにして販売とかできないの?
まだ聞き込んでないだけなので、あとで各ボーカル曲の感想も追記したいな。
Q:お前、すかぢ信者じゃないの?
A:絶対に違う。こんな生き方はごめんだし、哲学的考えが無くとも幸福に生きれる
↓自分のまとまらない考えをまとめるために参考にさせていただいた感想
https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/memo.php?game=25169&uid=nezumo
https://kingstaku.hatenablog.com/entry/2023/03/15/014037