田中ロミオは、目覚まし時計をセットした。
クスリは一体何をもたらしただろうか。
弥津紀とねこ子ルートでは刹那の快楽と解放、それから死の臭いを。
そして、ドラッグが登場しないあえかルートでも、実はクスリが投与されていたのではないだろうか。
悪逆非道の限りを尽くされる公平とあえか。
ここまで蹂躙されてきた二人を見続けたプレイヤーは、屋上での公平の行動に胸を躍らせることだろう。
そして、公平は京香の首に手をかける。しかし、あえかはそれを制止する。
これを少しだけ残念に思い、同時にほっとする。当たり前かもしれない。嘗てあったこのようなシーンは全て、ここでストップがかかるのだから。殺してはいけない、と。
だが、本作は止まらない。あえかは自らの手で京香を殺すことを望む。公平も当然の様にそれを望む。
読み手として、今まで無かった展開に驚きを覚える。同時に、えも言われぬ高揚感がもたらされる。京香の「その先」が見たくなる。
きっとこの時、クスリが投与されていたに違いない。それはテキストの中に溶け、私たちをハイにした。
結果的に、二人は京香を殺せなかった。殺さなかった、ではなく。
殺す快感よりも、二人で笑うことの方が勝ったから。京香のことは、もうどうでもいいことに成り下がっていたから。
でも、それで良かった。殺せなくて、良かった。
ユメは何時か覚める。その時二人が殺人者となっていたら、あえかと二人、夕日の中で幸せに笑うことなどできなかっただろう。
公平の父も、母も、綾もきっと不幸になっていただろう。
田中ロミオは確かに投薬した。しかし、それはユメミルクスリではなかった。
でなければ、あえかを笑顔になんかさせない。弥津紀に明日を示したりしない。ねこ子を本当の妖精郷へ導いたりしない。
彼女たちが踏み出したのは、今いる、夢見る世界からさよならする為の、苦しく険しい道。でも、その足先は透明なんかではなく、色づいていた。だからその先で、サイケな色合いのクスリなど必要ない、自分の色を見つけた。
それはきっと、良薬。だから苦いが、善(良)く効く。
目覚まし時計の音が聞こえてきても、あと五分、もう十分。そうしてユメを見続ける人を起こしたかったのだろう。
田中ロミオは、どうしてもコールを。いや、エールを送らずにはいられないのかもしれない。