全ては後の祭り。そして、祭りのあと。
この物語で感じることが出来たのは、結局他人は他人であって、理解し合えることなんて無いということ。理解しているつもりでしかないと。
それが例え血の繋がった家族であろうと、一緒になりたいと思う存在であろうと。
登場人物たちの心はどこまでも平行線を辿っており、交わりあうことは無い。
それは道徳・倫理といったものを根底としている社会では否定される考え方だが、学や理紗がそれに沿えないのも仕方が無い。
二人は「そういう」環境で育ってこなかったのだから。
そういった内面的に働くものが欠如している上に、外面的・物理的強制を伴う法律をも犯してしまった彼らに、この世の中で幸せな結末など望めようか。
二人はそれぞれ自分の境遇に共感できる、生きてゆくための協力者を見つけたに過ぎない。
だから、そこに愛情と呼ばれるものがあるとも到底思えない。
行き着く先は、どう足掻いても、バッドエンドしかない。
しかし、自分に優しいもの正しいものばかりでは、学べるものは少ない。
また、対極にある物事から顧みること、再確認出来ることがある。
このゲームはその点においてのみ、存在意義がある。
そう思わなければ、やっていられない。
事の顛末を、笑い飛ばせ。