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ritz_fawcettさんのJ.Q.V 人類救済部 ~With love from isotope~の長文感想

ユーザー
ritz_fawcett
ゲーム
J.Q.V 人類救済部 ~With love from isotope~
ブランド
StudioBeast
得点
82
参照数
396

一言コメント

圧巻の筆力で描かれる終末世界の物語。終末モノといったら「なぜ世界が終わるのか?」についてさして練り込まれてない作品が多い中、そこはロミオよろしく、さすがの理論武装。しかし凄さと面白さは必ずしもイコールじゃないなと思ったのも事実でして。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想



同人作品で、C†Cに似た終末物?ふーん、お手並み拝見しましょうかね。って気分で読み始めたんですが、開始してすぐに、「あっナマ言ってすいませんでした…」って気分にさせられました。
ロミオを彷彿とさせる圧倒的な知識量、粗が無く研ぎ澄まされたテキスト。オーガニックエヴォリューションや保護特区をはじめとした世界観の説得力がとにかく半端無い。同人エロゲのSFでここまでやるかと。


オマージュシーンも多数あって、懐かしい作品の思い出で溢れ返ります。
屋上で芽依が「私たちは人類救済部ー。生きてたら返事してくださーい」と呼びかけるとこは太一の「生きてる人、いますか?」を思い出しますし、彬名をトイレで嬲るシーンは霧ちんをトイレで凌辱したことと重なりました。彬名が腹をかっさばくシーンはまんま冬子のハラキリブレードですし、「自分の心を他者に仮託するな!」のパラフレーズも何度も出てきます。
C†Cオマージュは他にも山ほどありましたが、C†Cだけじゃないです。彬名が〇〇にさよならを告げたあと顔のアップが映されるあのシーンはEver17を思い出した人も多いでしょう。それにユング心理学の元型を土台にした男女主人公といえばまさにRemember11ですよね。
でも単に名作を模倣してるわけじゃなくて、それを独自の作品の一部として昇華させているところが凄い。つまるところJQVとは何かと言えば、あの時代の名作に強く影響を受けたライターによる熱烈なファンレター作品でもあったんだなと思います。



ストーリーに関してはほんと語る事がないんですよ。主題は他者との関わり方についてでしたが、なにせ完成度が高いんで「すごいなー」って感想しか浮かばなくて。でも凄いって言葉はどこか客観的というか、主にライターの力量に対しての称賛の意味合いが強いんですよね。どうして「面白い」「感動した」って素直に言えないのかなというと、やはり保護特区の日常描写が物足りなかったことが最大の理由でしょうか。
彼らがどんな人となりで、普段あの箱庭でどんな生活を送っていたのかという描写が少なかった。そのため物語において、彬名の変容や、宮本兄妹のまぐわい、先生と明日海の情事、佐々木の刺殺といったショッキングなシーンの比重が高くなってしまい、キャラクターへの愛着の面で感動に繋がらなかったのかなと思います。日常と狂気の心理面のギャップを使ってもっと読み手の心を揺さぶってほしかったです。



『頭で考えたことが物質に量子的変化を及ぼす』というSF設定も良く造り込まれてます。
ただ、SF作品に初めて触れた頃って「シュレディンガーの猫」って単語を聞いただけで胸が躍るような興奮を覚えたものですが、ノベルゲームにSFが流行して以来、今ではシュレ猫はおろか、エヴェレット解釈もコペンハーゲン解釈も超ひも理論もみんなが知るようになった(※理解してるという意味ではない)。だからそういった言葉の響きや設定だけで読み手にセンス・オブ・ワンダーを与えることが難しくなっているのかなとも思います。そうなるとやはり設定はベタでも人間ドラマが熱い展開の方が好ましいと感じてしまう…のは私だけでしょうか?





以下、気になったシーンについて少しだけ触れます。


・芽依が島地との初体験で、結合部から破瓜の血が出たのを見て「よかった…」と呟くシーン。
忘れ名の王国で大人から凌辱を受けたのは島地であり、あの確率世界の芽依は無事であった?とも考えましたが、それだと処女であったことを「よかった」と安心するのはおかしいので、やはりイタズラはされてたんでしょうね。薬で記憶を曖昧にされてたのか、トラウマで細かい記憶を封印してしまっているのかのどちらかでしょう。



・本編序盤の会話より
ナタリア「人間関係の醍醐味ってさ、カタルシスまでの道のりを楽しむことだと思わない?」
島地「エンディングを想定して人付き合いする奴なんていないだろ」

『アルファベット・チルドレン』『Lost Route エデンの証明』をプレイすると、この会話の深みが増しますね。一人ぼっちで観測と破壊を繰り返し続けたナタリアの言葉の重みを感じます。



・エピローグで生まれた少女は何だったのか
メタ的に言えば、純真無垢な幼児というのは神聖と生命力の象徴ですから、遺伝子ならぬ意伝子が拡散する負の情報によるOEに苛まされ続けた人類に、新たな可能性を伝えるシンボルとして描かれたのでしょう。
物語的には、あれが島地の望んだ人類を救済するための『新たなる人類』の姿。島地が未来を託した姿が、彬名の生き写しのごとき顔立ちだった理由は、ご想像にお任せします、というやつですが、しかし他の方も仰られてるように、別の確率世界であったかもしれない2人の未来の可能性に想いを馳せた島地の、ささやかな願望の反映であったと考えるのがしっくりくるように思います。







■最後に

期待が高まった反動か、少しマイナス面を強調しすぎた感想になってしまったかもしれません。今後ライター買いしてもいいなと思えるぐらいの内容でしたし、製作者には懐かしき名作の思い出を想起させてくれてありがとうと感謝の意を伝えたいです。
JQVという作品の良さは、かつて一世を風靡した名作のオマージュという“カレー粉”をかけられたゆえのものだったのかどうか。それは次回作をプレイして確かめてみたいと思います。