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rionrionrionさんの景の海のアペイリアの長文感想

ユーザー
rionrionrion
ゲーム
景の海のアペイリア
ブランド
シルキーズプラスDOLCE
得点
92
参照数
1961

一言コメント

『はれたか』に引き続き素晴らしい本格ハードSF作品(本格的過ぎてハードSFが読めない人には難しい)

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

AI及び技術的特異点、VRMMO、タイムリープ、量子力学など、最近流行のSFネタをふんだんに取り入れつつ、それぞれがシナジーを生み、それでいて高度なレベルで整合性を保った非常に高尚なSF作品(もしくはシュタインズ・ゲートとSAOを足して2で割った上でハードSF化し、仕上げに下ネタでコーティングした作品)。
それなりに海外SFを嗜んでいる身としては、「(小難しい)理論の遂次否定及び更新」「理論が難し過ぎてイラストで補足する」「最大の障害が(あまり優秀じゃない)政府機関」「少しだけ触れられる哲学的議論」「読後感の悪さ」といった共通点からジェイムズ・P・ホーガンのSF作品を彷彿とさせた。だが、ストーリーテリングとキャラ造形はホーガン氏より数段上であり、理論構築もいい勝負をしている(少なくとも洞察の深さに関しては同レベル)ので、総合的に見てホーガン氏のSFより優れていると感じた。

○作品について
 公式ジャンルは「恋と青春の科学冒険ファンタジーADV」だが、内容は「恋と青春」「冒険ファンタジー」部分はおまけ程度で、実際にはハードSFサスペンスと言っても差し支えない。プロローグから大量に張られていく伏線(三羽との些細な問答、メールの受信時間さえ重要な伏線になっていたのには流石に驚いた)、一人称が主人公であることを用いたミスリードなど、全てを疑ってかかるレベルでないと取りこぼすしてしまうほどである。先の読めない展開の数々、最後にかけてのどんでん返しの連続には手に汗握った。
 設定に関しても量子脳理論やデコヒーレンスなど、創作・学術の両面でマイナーな考え方を使ってはいるが、それを踏まえた上での全体的な科学・技術関係の整合性はほぼ完璧と言ってよく、人型ロボットや宇宙人といった"なんちゃってSF(≒ガジェットSF)"が大半を占めるこの業界において極めて本格的なSF作品だと言える。個人的には、日本の殆どのSF作品が人間中心主義を取り実質ファンタジーな世界観・設定となっている中、機械論的唯物論な世界観を尊重し人間を無条件に特別視しなかった点も好印象だった。ただ、本格的過ぎるが故に設定が非常に複雑で、それを一周で理解するのは難しく、ある意味二週目以降が本命となる。話のバリエーションが飽和し二番煎じが多い現代においても類を見ない作品であり、下ネタ部分さえどうにかできれば海外でも通用するレベルのSFである。
 前述したように内容がかなり理系であり、新事実の発覚や視点の変化により仮説が二転三転するため、理系脳でないと内容を理解しきれず面白いと思えない可能性もある。ライターの前作『あの晴れわたる空より高く』では、主人公が素人であったため、主人公とプレイヤーが一緒になって宇宙工学について学ぶことができたが、今作では主人公がその辺りの専門知識をすでに知っていた上に頭も切れすぎたため、プレイヤーが置き去りにされやすいと感じた(シンカーとのダウト戦、並行世界のメカニズム説明のあたりが顕著)。逆に、それについていき理解することができれば本当に面白いと感じられると思う。

○タイムリープものとして
 この作品も近年流行っているタイムリープものに該当するが、「敵側がタイムリープの主導権を持つ」「主人公側は確実に記憶を引き継げるとは限らない」「条件さえ満たせば誰でも記憶を引き継げる」と、先行作品と異なる点も多い。本編でも語られていたように「主人公とラスボスの立場が入れ替わって」おり、「タイムリープで問題を解決する」のではなく「タイムリープという問題を解決する(ことで確実にアペイリアを救い出す)」という敵側の視点を描いている。つまりはタイムリープ要素が主人公側の"障害"として描かれる珍しい作品であり、故に生まれる「勝利を確信した瞬間に発生するタイムリープの絶望感」「タイムリープ現象への考察と対処」こそ、タイムリープ物として見た時のこの作品の特徴であり魅力と言える。
 また、既存のリープ(ループ)物は何度もやり直すという構図を取る関係上所謂「死に覚えゲー」的なところがある。しかし、この作品は敵にタイムリープの主導権が存在するためリープ毎に全く異なる展開が繰り広げられることに加え、必ず敵にタイムリープを行わせるように立ち回らなければ負ける「初見一発勝負」となっており、タイムリープ物のアンチテーゼになっていると同時に新しい道を提示したかもしれない。
 そうでなくともこの作品は時間物として新しい考察を提示している。大まかな理論展開は『STEINS;GATE』のパクリ元である『未来からのホットライン』と似ているが、その上で多世界と単一世界の両方でタイムリープが成立する理論を議論しており、純単一世界でのタイムパラドックスの解消を放棄した『未来からのホットライン』はじめ多世界やループ構造でしかタイムパラドックスを処理できていない多くの時間物より更に一歩進んだSFと言えるだろう。
 タイムリープの理屈に関しては、"VR世界の初期化"という比較的ありがちな方法(それでもブラックホールやワームホールが云々よりかはずっと現実的)だが、記憶を引き継げる(+数日で消滅する)理由に関してはバックアップサーバという、VR(=コンピュータ)だからこその原理を用いることで合理的な説明がなされており、一般的にそういった設定をぼかす傾向にある(仮にぼかさないにしても理論や整合性が破綻していることが殆どな)タイムリープものの中では優れているといえる(ただ個人的には、量子脳理論を前提とした量子もつれによる時空を超えた情報伝達という当初の仮説の方が、現在の理論上では不可能とはいえ独創的で面白いと感じたが...)。
 総じて、設定の練度・高尚さ、整合性の高さにおいては他のタイムリープものとは一線を画す出来だったと思う。

○シンギュラリティものとして
 一般的なシンギュラリティものは、"人類視点"、または"シンギュラリティ後の世界"が描かれることが殆どであるが、この作品では"AI視点"かつ"シンギュラリティが起こるまで"が描かれていた。機械知性の法則やVR世界初期化のように自発的にAIがAIを生み出さないよう規制をかける人類側と、それを巧みに回避しようと試行錯誤するAI側、本来であればブラックボックスとして滅多に表現されない部分にあえてスポットを当て、0と1の世界で行われた抗争を"ファンタジーVRMMO"という抽象化によって描写するという、古典SF(人類とAIの鼬ごっこ)と現代SF(VR世界)を組み合わせたこの作品は極めて意欲的かつ先鋭的だと言える。
 "強いAIはとっくに完成しているが、それを封じ込めて制御することで恩恵を授かりつつ本格的なシンギュラリティを回避する"というタイプの作品自体珍しく、"封じ込めきれず強いAIが外側に出てくること=シンギュラリティ"という解釈も独特だった。
 また、一般的に「AI」がテーマというと「意識を持ったコンピュータ」「学習の果てに意識を獲得するプログラム」と安易に描く作品ばかりだが、この作品では汎用型(アペイリアネットワーク)・特化型(監視AI)・強いAI(零一ら)・弱いAI(監視AI、旧アペイリア)と「AI」をその機能に従って区別して取り上げていた点も素晴らしい。とりわけ、監視AIという「人間以上の高度な判断能力を持ちながら意識は持っていない非人間的なシステム」はAI本来の用途に沿ったものであり、ライターのAIに対する理解度の高さが伺えた。加えて「登場人物の大半がAI(=データ)」であるという点に着目し、クローン問題やスワンプマン問題へ発展させているのもこの作品ならではである。既存の作品の多くはアレコレ理由をつけてこの手の問題(データのコピー)に関しては触れないようにしているのだが、この作品ではあえてクローン問題ないしスワンプマン問題に抽象化することで問題を取り上げ、それに対する各個人の見解を示していた。それによって主人公のコピーであるシンカーが見解との相反で割を食う羽目になったが、それを描いたからこそこの作品は数ある仮想現実物の中でも特に哲学的示唆に富んでいると言えるだろう。実はこの問題は仮想現実物だけでなく歴史改変物やパラレルワールド物にも関係してくる。「別の歴史ないし世界にいる知人は本当に知人なのか、同一人物としてしまってよいのか」という、他者への認識に特化した形でクローン問題やスワンプマン問題が適用できる。これに関しても触れなかったり触れていても中途半端な作品が大半であり、シンカーのウソ理論を通じてこの問題を提示したこの作品はやはりSF的ギミックに対する洞察がずば抜けていると言わざるを得ない。
 個人的には、汎用型・弱いAIであるアペイリアネットワークを効率的に運用するためのヒューマンインターフェースとしての特化型・強いAIであるアペイリアが用意されていた構図がコンピュータサイエンス的に妥当であり興味深かった。AIあるあるな「最強のハッキング能力」は原理的に強いAIでは不可能(あくまで強いAIは「人間の意識を真似る」ことを目的として作られた特化型AIであり、他分野については無能と言ってよい代物)であるが、あくまでインターフェースとして人間サイドと対話してその意図を組むアぺイリア、組んだ意図を命令へ翻訳してアぺイリアネットワークに渡すというクラウドソーシングのような関係性によって原理的に可能としているのが面白い。これだけでなく「確率-100%」(量子力学の「弱観測」で使用される論法)など、この作品はその手の分野に精通しているほど楽しめる作品になっており、ここ20年のSFとは比べ物にならないほどレベルが高い。例えば、コンピュータサイエンスと量子力学に対して大学レベルの理解があれば、アペイリアが量子の分析を行った際にシュレディンガー方程式が出てきた時点であの世界が仮想世界だと推測することができる。最後に三羽も言っているがあの世界はとりあえずそれっぽい数理モデルで成立しており、シュレディンガー方程式は理論優先で生まれた人工の近似式であるため量子の状態を厳密に分析したのならそのままの形で出てくる訳がなく、「シュレディンガー方程式が出てきた→人工の数理モデルが使われてる→仮想世界では?」というプロセスで推測が可能だからだ。

○作品のクセについて
 『あの晴れわたる空より高く』に比べライターの性癖が全面的に出ており、至る所に下ネタを挿みまくるとはいえ一般人にとってはエンタメ性は高いとはいえず(第一にこの下ネタがかなり人を選ぶ)、前述したように海外のハードSFと遜色ない難解さも持つ。つまるところ、勢いで押し切るのは戦闘やギャグのみで他の部分(≒物語の骨子)はかなり理詰めになっており、理解するのに頭を使うためゲームにそういったことを求めていない人にはまず合わず、理解できないと大して楽しめない。むしろ、戦闘やギャグが勢い任せだったからこそ、本来であれば堅苦しいSF作品がエロゲレベルにまで軟化したとも言える。個人的に、この作品の最大の評価点は「エロゲーマーでも読めるハードSFを提供したこと」と考えている。ハードSFが衰退した主な理由は「無駄に難解なくせにエンタメ性が弱いためニッチな層にしか受けず先細りしたから」で、そんなジャンルをエロゲーマーに受けさせるまでのエンタメ作品として仕上げたのはある意味偉業であり、少なくともエロゲのライターでこんなことができるのは範乃秋晴氏くらいだろう。
 また、この作品の仮説やメカニズムは更新が激しく、ホーガン氏の「理論と現実に不一致があるなら、捨てられるべきなのは現実ではなく理論の方だ」というスタイルを踏襲していると言ってよい。そして最終的に(ファーストやセカンドから見て)形而上学レベルにまで到達するため、理論構築の過程(≒設定の積み上げ)尊重するような人にも合わないだろう。一応、現実にも地動説や量子力学のように新事実の発見で今までの定説を放棄することは多々あり、この作者自身そのような理論のパラダイムシフトを好んでいるきらいがあるが故の展開だと感じた。個人的にも、この辺りは量子力学や素粒子物理学で使用されている「繰り込み」という数学的手法とその論理的根拠に通ずるものがあり中々面白い要素ではあった。

○主人公について
 この作品を語る上で、主人公についても欠かせない。前述したようにかなり頭が良く、その上(変態で)イケメンで(変態で)バトルも強い完璧超人のようなキャラである。人によっては「D×Dの主人公をブラッシュアップしたようなキャラ」「『ハロー・レディ!』の主人公から紳士性を削って下ネタ性を付加したキャラ」と言えば分かりやすいかもしれない。上記のように超人であるためかなり俺TUEEEEしていたが、それを払しょくして有り余るぐらい奇行や迷言が目立ち、かつ男としてカッコよい性格をしていたため気にならなかった。それどころか、読者が素直に「頭が良い」「強い」と思えるキャラであり、比較のために他キャラの知能を下げる必要がなかったため、俺TUEEEE特有の周囲の無能さを感じず、主人公と同等以上に渡り合ったシンカーにも魅力が生まれた。特に「頭の良さ」に関しては、単に既存の知識・理論を語るだけのなんちゃってではなく、ダウト戦のように高度な論理的思考が可能なことを描写できており、頭の良いキャラを描写できているライターの技術の高さが伺えた。加えて、アペイリアに対する愛情も相当なもので、シンカー(=スワンプマン)になり果てても最後まで全員を欺き続け、「観測者」からアペイリアを救おうとする姿には胸を打たれた。

○シナリオゲーとして
 シナリオゲーに分類されるが、一般的なシナリオゲーが感動やメッセージ性で勝負するのに対し、この作品はハードSFらしく展開や設定、科学理論や技術に対する哲学的示唆(+奇怪な文章)で勝負しており、そのようなタイプの作品の中では間違いなくトップクラスと言える。むしろ、一般受けを狙って安易な感動などに逃げることなく、ハードSFとして"科学(技術)"を主軸に据えた物語として書き切った点は素晴らしいの一言に尽きる。
 加えて、SFにありがちな「主人公たちの仮説が絶対に正しい」「未知の原理を仮説のみで語って正解をぼかしたままにする」ということもなく、何度も仮説を検証して考察して議論して更新して真実に迫っていきながら、真相はその上をいっていたという構成は非常に良く作り込まれていたように思う。特に、終盤の単一世界派と多世界派に分かれての討論、一見完璧に思える仮説にあった唯一の矛盾点が問題解決の糸口になっていたという展開は近年のSFとは比較にならない構成力の高さを感じさせるものだった。その矛盾を導く鍵となる情報がプロローグの時点で公開されており、ユーザー側でも気づくことが可能だった点も素晴らしい。しかもこの情報公開は、テキストではなくイラストで行われていた。一般的にノベルゲームはテキスト主体ということもあって情報の重きはテキストに置かれ、イラストはどちらかと言えばおまけでしかない。そのような媒体の特性とユーザーの心理の裏を突いたイラストを用いた情報公開というのは「確かに公開されてはいたが気づきようがない」という完璧な伏線として機能しており、これまたノベルゲームの特性を上手く活かした例だと言える。

○エピローグについて
 この作品の主な不満点として、エピローグ(ネタ晴らし・三羽との和解後)の描写が少なく、主人公たちAIがどのようにして戸籍や住所を手に入れたのかに具体的説明がないことがあげられる。これに関しては、VR世界を管理していた政府としては、主人公やアペイリアがこちらに出てきた、つまりシンギュラリティが起きた時点で負け(そもそもアペイリアのような手に負えない人工知能が発生しないようにするための機械知性の法則と最終手段としての初期化)なので下手にその後を描写しても、アペイリアに敵うセキュリティが存在しない以上主人公側が一方的に好き勝手出来る消化試合状態となるのは明白で、それが冗長だと判断し敢えて削った可能性もある(それでも1,2文ぐらい描写があっても良かった気がするが...)。この辺りは個人で考察し補完する必要があると思う。
 実はこの「オチが弱い」というのはある意味ハードSFの宿命なのである。徹底的に論理性を追及するというスタンスであるため一切のご都合主義が許されず、どうしても予定調和で終わってしまうためだ。特にこの作品の場合、布石は大量に用意していたとはいえ仮想現実オチで全てをひっくり返してしまったため、必要以上に説明が多くなったこともあり、ネタ晴らしを最後の最後に持ってきてしまったのが尚更ダメだった。ネタ晴らしが可能な存在が三羽しかいなかったためどうしようもなかった部分というのも分からなくはないが、途中までハードSFながらあれだけの良展開を見せておきながら尻すぼみになってしまったのがどうしても痛い。例えばネタ晴らし後に追ってくるであろう政府職員との衝突を描いたり(ここでシンカーが事前に仕込んでいた最後っ屁が機能して主人公たちを助けるとかあったら滅茶苦茶熱い)など、オチを強くするために山場をもう一つ用意する必要があった。前作の『あの晴れわたる空より高く』はロケット打ち上げ成功という山場の最高潮でストーリーを終わらせているため読後感が良く、ライターの技術的に決して書けないものではなかったことが分かっているだけに本当に残念でならない。



○総評
 先頭にも書いたようにあのホーガン氏とタメ以上を張れるレベルのハードSFであり、非常に完成度は高いがそれ故に難解で、それでいて頭のおかしい下ネタも入ってくるため間違いなく人を選ぶ作品と言える。少なくとも本質的なターゲットがハードSFファンであるためエロゲの客層とあまり噛み合っておらず、一般的なシナリオゲー・ループ物と思ってプレイすると良くも悪くも裏切られるのは間違いない。
 だからこそ、趣向に合致すれば非常に楽しめるハードSFでもあり、2017年を、時間SFを代表する大作の一つと言えるだろう。

※追記
 同ライターの『特異領域の特異点』というライトノベルがある。「クローン」「人工知能」「外側の世界」などこの作品と通ずるところがあるので興味があれば手に取ってみることをお勧めする。おそらく、この作品自体『特異領域の特異点』を人工知能と量子力学によせてタイムリープ要素を入れてブラッシュアップさせたものなのだと感じた。