ランが良いキャラだったかな
ランの正体を操作していくのが上手い。これはナツユメの羊ルートみたいだった。あとは具体的にはあまり言葉にならない。ここまで突き詰めてADVに特化させた文体はあまり見ないが。
・四季シリーズについて
私はナツユメは個人的にあのループ構造が全く気に入らないわけでして、じゃあキサラギが好きだったのかと言われればキサラギはあまりにも寂しく感じてしまう。
四季シリーズの冬に該当する本作は、ナツユメよりもキサラギよりもカミハミに近いのではないかとは思わずにはいられない。復讐だ冬だなんだといっていても、やっぱりこの物語自体、実は全く冬の物語ではないからではないか。蘭は冬には咲かない、春になれば桜が咲いて卒業するのだから、春の話なのだ。
しかし新島氏のシナリオ、今回も鬱ゲーというけれども基本的にはハッピーエンドだと思うし、別に利己的な遺伝子だのなんだのといって子孫に自分のDNAを残したいだとか、どこぞの偏執的な生物学者を持ち出してくるのでもない限りキサラギの方がよっぽど鬱ゲーだから参ってしまう。
だいたいヒロインの1人や2人死んでいたところで、100のゴーストをパニッシュ!しておいて、その後にヒロイン死んでたから鬱ゲーだなんてふざけるのもいいかげんにしろと。いや、そもそも鬱ゲー=バッドエンドという構図そのものが間違いだというのは考えないでもない。最後の綾BADを見て「これは鬱ゲーだ」と確信した人がどれだけいただろうか?とは思うから。
追記なのですが、シロクマルートの初雪はたぶん多くのユーザーが思っているよりもスイーツのような感性を持った人物だとは指摘しておきたいのです。
「全然愛されないなんて!シロクマかわいそう!」というのは、どうも表層的に過ぎる批判じゃないでしょうか?
私このゲームは全体に酒飲みながらやっていたし、感想も飲んで書いたものだったんだけど、シロクマルートは最後の最後で大笑いしてしまいました。
何が言いたいのかというと、そもそもマジメにラブストーリーとして読んではいけないものだったのではないかということです。
このルートは初雪のハードボイルドごっことそれにノリノリのシロクマ、即ちシロクマ合意済みのイメージプレイという風に考えるならば、ある種の欲求を満たすという意味で萌えゲーとしても成立しうる。
そうするとお嬢様のシロクマがおウチを飛び出してミステリアスな男に翻弄されつつも愛を貫いたどーたらということで色々と噛み合ってくるし、復讐相手の孫娘だということもロミジュリ気分でさぞ良かったろうと思います。
そうなると実際これ初雪が最後死んでても死んでなくても良くね?
最後に初雪が本当に死んでるんだと仮定してアフターを想定するなら「留学」なるものはオウム真理教の如くロシアで軍事訓練を受けることであり、復讐に狂ったシロクマが爆弾魔となるも最終的に死して愛を取り戻すみたいな展開を希望しておきます。
「ぐるぐるくまー」
ドカン!
みたいなテンションで。
宮棟もそういうキャラクターだと思ったほうが良いでしょう。
実際に宮棟がやったことといえば全部が全部ロクでもないのだけれども、彼女の目的は桜の追悼と鎮魂だったのだと思います。
だとするとなんであんな迷惑極まりないやり方を選ぶんだと言われそうだけど、たった一人を救うために全員犠牲になることも厭わないなんて凄い道徳性、倫理的先進ですよね。これぞハードボイルド!
トリアージという考え方が倫理的かどうかについて回答するなら間違いなく少数に犠牲を迫るという意味で正当化を要す。誰かに犠牲を強いるなら、その代償を誰かに求めるなら正当化を要する。反倫理の特徴である。
ただしトロッコ問題は全員死刑が倫理的な解であるという話もありまして、誰かが生き残るのではなければ倫理的に問題はなく、反魂香をバラ撒いた宮棟のテロという回答は全く誤っていないと言えます。だから誰も批判しなかったのです。
どうにせよ無関係な市民を巻き込むということに対してお怒りかも知れないけれど、テロでブチ殺された人々を放置して旧市街をゴーストタウンにし、その鎮魂も何もかもを怠ってきた人々の罪状は神的にはあまりにも明らかなものではないでしょうか。
「日帝本国人」という言葉が最も適切ではないかなあと思うわけです。
実際これで結構良くできた萌えゲーかと言われると、そんなことはないんだけれども、なんで90点つけたかというと、
+100 ラン
-10 先生のおっぱいが揉みたいです
なんですけれども。