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rereさんのばにしゅ! ~おっぱいの消えた王国~の長文感想

ユーザー
rere
ゲーム
ばにしゅ! ~おっぱいの消えた王国~
ブランド
ALICESOFT
得点
72

一言コメント

おっぱいを握るバカゲー。完璧な球体である巨乳ではなく、完璧な直線でもなく、ふくらみとえぐれの要素を兼ね備えた名の無い形の乳達のお話。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

魔法使いになってエロイ事したいというのを聞いて、医者になってエロイ事したいという話を思い出しました。魔法=医学の置き換え。し

かしこのゲーム、権力争いは白い巨塔クラスまで行かず、ラストバトルでは人体の再構成ですら超あっさり、もっと派手さが欲しいという

印象もあります。そんなことより可愛い看護服が登場しないのが残念。でも、バカゲーとは思えないほど広大で異常なこだわり・執拗な調

整を感じる設定。そして世界の完璧さに対して力強く逆らい、小さな胸を張るキャラの生命力に好感を覚えます。




ここから無意味な前置き。魔法を医学に置き換えたお話。
端的にいうと、火で自分を焼いて、人に食わせたウサギのお話。

人間は視覚と手と脳が発達しています。手で道具を持って以降、食料を集め、火をおこし、料理し、森を開き、戦が生まれました。指を折

り合わせて祈りを捧げる人もいて、素晴らしい握手をする人がいます。持っている何かを誰かに渡す人もいます。何も握らず手をいっぱい

にひろげれば、太陽や生き物の温かさがわかります。抱きしめることが出来ます。運命を変えると言って、命の様な、形の無いものにも手

を伸ばしてきました。手を握ったり広げたり。さて、そんな自分自身の手でできること。変化はその手で掴むもの、と言うお話。

とあるアトムの最終回、薬のような小さな、ひとつの命が地球を治すお話。アトムはカプセルを抱え、おかしくなった太陽に飛び込んで死

にに出かけます。毒か薬かもわからないものを手につかんで惑う、そんなちっぽけな命が世界を変えるんだ、というようなの。経験は蓄積

される変化のイメージ。経験は世界を歪めるねじ巻き。小さな炎があっという間に森を焼くように、巻き終わると動き始めて止まりません

。運命は火遊びの如く。"あたりまえのこと"が失敗の原因だなんて思えなかったはず。

火は便利だけど、火の様な形の無いものは気をつけて扱わなくては。形の無い、正義とか誇りとか経験とか心とか、あくまで私の内だけの

小さなものとして。たとえば大きな自尊心は破滅への歪んだ道。自分の正当性を叫んでいる内に、怒り任せで、権威を追いかけ、つかめな

いほど大きなものまで掴もうとして。果てに、傲慢さに至るのはパラケルスス先生直伝。悲鳴を祈りと呼べば、悪意ですら偉大な神霊のご

とく。人にいろいろ言えるほど大きくなった主張は、自分の身にも危険です。でも危険とわかっていてもダメ。人間には一定量のリスクを

感じ続けようとするマゾ気質な仕組みがあるとか。手に負えるはずのリスクがいつの間にか、手に負えないほどの巨大なリスクになって破

滅や事故に繋がっていく。溜息が出るほど人間は人間らしいというお話。

自分自身が変質してしまう恐れのある外的な脅威。戦争、信じ難い出来事、または病気などは強く否定されます。怒り、復讐心。心が一度

燃え上がってしまうと、あきらめることは困難です。たとえば自分が病気であることは信じたくないし、病気が治らないなんて信じたくな

い。なので、この文明社会の中であっても、小さな刃物を手にして人体を切開する・させるような蛮行を、行なわずにはいられません。全

身麻酔や消毒法が発見されて100年。成功確率の低い蛮行のはずだった外科手術は確かな権威を手にします。白い蛮族の王、現代のダー

クヒーロー属性です。

不安や痛み、こころに形なんて無いです。形無いものは、型ではどうにもなりません。先生どうしたらいいでしょうと言われても絶対治り

ますなんて、証明できないとわかっています。でも自分自身、どうしようもないとわかっていても、このお医者さんなら、この心身の苦し

みのループを必ず終わらせて、ひとつの結果に導いてくれると信じたい、と思うこと。私が私でなくなることは怖いから。医者に見てもら

えば治るとか、ひとつの理由にひとつの結果、こうしたら必ずこうなるの因果論。そういう風に考えるのは正しいのでしょうか。悪いこと

したら罰があると信じていなければ、罪を犯すのは怖いことじゃないです。そもそも悪い事っていうのは、最終的には決まり事というより

個々の主観の問題です。喜怒哀楽も安心も不安も不快も不便も、数字や形になる客観ではなくて、形の無い主観の問題です。

科学は客観の産物、でも医学ひとつとったって主観が強く影響しています。誰が計算しても同じ答えの数式とか、そういう話のさかさま。

こうすれば健康にいいとか、民間
療法だけじゃなく、多くは経験的な治療経験の総体。有名な話では全身麻酔は100年以上の間、科学的

な説明すら無く使われてきました。おびただしい命が失われていく中で、たまたま死ななかった時の経験や主張が伝わる仕組み。昔は火薬

の毒を消す為と言って、傷口に煮えた油をかけていたとか。しかし、その時代の正しい治療法です。"その時代までの"経験の伝道者がプロ

。そんなですから、結果、効果に絶対はありません。同じ病院に同じお金を出しても、同じように治るとは限りません。そもそも治ったと

して状態に個人差が出るとか、そんなの非合理じゃないですか。裁判しかり、建築しかり、結婚も経験の積み重ねなら主観が絡むことでし

ょう。自分の外側の世界からのものは客観、知識に。人間の内側の心からのものは主観、経験に。われ思うゆえにわれあり。でも、他人が

本当に考えたり生きたりしているのか、人間かどうかなんて証明できません。ややあって、いつもあなたのそばに、となります。

科学的には、自我の存在は解明されていません。本当に私は今、考えたり思ったりしてるのでしょうかとか、そんなの果てしなく非合理な

思考、生産効率は最悪です。周りを見渡すと、科学的には石油が何なのか未だ不明です。身のまわりは石油関連製品だらけというのに、こ

れではわけのわからないものの中で生活をしているようなものです。意味不明という点では、石油も神や妖怪と変わりありません。私たち

は、わけわからないものに囲まれて生活しています。いつの時代も、とりあえず使えるものを使って生きてきました。命って何かわかりま

せんけど、みんなが必死に使っています。今はやりの努力と根性です。神は二次元の合理を織る機械、人は三次元の心を繋ぐ鎖。数字に出

来るのは安全だけ、安心や命の意味は記号や数字に出来ないです。もしも命を軽視する理由を上げるなら、命より大切な理由というのを教

えてください。命が在る理由はわからなくても、命があると信じたいというお話。日々食べて生きる以上、どんな人も相当の殺しに関わっ

ています。だから殺すのは仕方ないことでしょうか。社会のシステムとして食料の供給は当たり前でも、生き物を殺していい理由になんて

本当はなってないです。感情的に自我を尊重することは正しいのかどうか、本当のところ理屈ではよくわかりません。命とか、魂とか一片

の異論も許さない理屈で語れたら凄いと思います。

正しいとは何か、というお話はループと相性がいいと言うお話。病人やケガ人がいなくなるというのは考えられませんので、世界の病院で

は患者さんの治療という終わりないループが続いています。正義、命、怒り、復讐、炎、鋼、螺旋、傲慢、派手、リング、朝日、祈り、医

療etc。赤、白、茶色、透明、筋肉のラインなどの人体の中にある要素。そんな感じのキーワードを見たら、変化をテーマに語り始める物語

の疑いがあります。人間イコール変わるもの、と言う神話。たとえば、生きることは正しいと仮定して。生きる為にする事を正義と言うな

ら、命を食べることは正義。逆に、命を奪うことは悪いこと仮定して、生きる為にする事を悪と言うのなら、命を食べることは悪事。生き

るのに必要なこと、生きるって何かって人それぞれですけれど。結局、正しいことは命の数だけ存在します。多数決だけが正しいことなら

、生き物の進化だって否定されてしまいます。みんな一人。世界の為に死ぬのは正しくないかもしれない、っていう流れ。

客観を重視して安全側をとるか、主観を尊重して安心側をとるか。共通項に答えを見出すのか、それとも差異を突き詰めるか。大雑把に人

間とは何か、命とは何かというお話もありつつ、現在の世界でも、年間二億といわれる実験動物が命として扱われること無く"使用"されて

いるそうです。でも、他の生き物や、例え近似値のクローンによる客観的な研究の成果であっても、その治療法があなたの病気や不安を治

すものか、実際の所わからないのかも、というお話。常識的なことを要求するか、常識にとらわれない新しい挑戦を選ぶかで、揉めるのは

どこでも同じ。お医者が自分の正しさを疑いながら、自分の知識と経験と観察の内に最善手を捜す時、プロの前では患者の誰もが実験動物

で、医療という共有化された経験の蓄積のループの中身、未来に参照すべきひとつの症例なのかもしれません。でも今、前にあるのは救う

べき命で、殺すべき道具、実験動物ではありません。だから、ほかの動物実験で出した良い結果を生む方法が、目の前の人にとって本当に

正しいことなのか、もう一度疑うべきです。以前の例と違いがあるならすぐ発見して、今、ひとつの答えを出さないといけないのです。何

がいいことか時間をかけて経過を観察して決めたいと言っても、人も自分も状況も変わってしまうことはわかっています。命と言われるも

のを、形や型、数値で捕らえると、いつしか他人を道具と同一視してしまいます。戦中の人体実験の時のような、命の何個扱いは危険です

。形無いもののほうが尊重されます。

人間は生涯変わり続けるので、結婚式では変わらぬ鉄の指輪に誓います。貧しき時も、富める時も、病める時も、健やかなる時も、死が2

人を分かつまで。鉄のリングは完璧な球体に風穴の開いた形。膨らむ正の曲面と、えぐられた負の曲面を併せ持つ、切腹させた球体です。

リングは繰り返す輪廻の象徴として死んだ人の頭の上に描かれます。途切れない命のサイクルで、逃れ得ぬ運命の形。誰も、自分の心から

逃げる事は出来ずにいて、自分の心をもてあまします。鉄のリングは終わりないループを象徴する形。

死や悲しみが繰り返す運命の形。リングから目をそらす為に、小さな心と向き合う為に、必死に、命もかけて、その手で体や心を切り裂い

てみるのでした。要するに、中身が気になるのなら、穴を穿って下さいというお話。西洋史で古代ローマが人体解剖を禁じた後、権威と宗

教が絡み、解剖学者ベサリウスの登場まで1000年単位で医学が停滞します。白い肌と、赤い血肉が滴る穴。穴を開けるのが大事なんで

す。リングの輪っかを見るか、穴を見るかで解釈が変わるというお話。リングの穴は物じゃない、ただの穴なのに、入り口ひとつに出口ひ

とつが不文律。問いに対して答えはひとつ。穴、迷いの暗闇を破る暁の光、天啓、誰にも与えられるひらめき。明けない夜は無く、答えの

出ない問いは無い。白い蛇は筒状で、リングが連続したトンネル、螺旋の重なり。赤い林檎はカジられると白い穴が出来ます。で、輪と穴

あわせて、リングは知恵を意味します。白い手で諦めず握締め、真っ赤な心で諦めず答えを出す、少年漫画な感じで。

何の意味も無いと思われてたことから不意に発見・発明されることは多いです。100年前、物理学者が意図せず発見した、人を透明にす

る技術レントゲン。走る馬の足が4本とも地面から離れる瞬間があるかどうかの研究からは、映画が発明されました。ニュートンの林檎は

作り話といううわさですけど、要するに知恵、発想の転換のお話。目標を目指す応用研究の完璧さに対して、一見ばかばかしい基礎研究の

盲点。知識や権威が変化を妨げるから、数多コペルニクスは眠ったまま封印されます。服従実験が明かした思考停止の闇の中、考えるだな

んて痛くて怖い事。戦争とか、生物実験とか痛くて許せないけど、そこから歴史上の重要なひらめきを得たことも事実です。初めては痛い

のです。実験してみると、経験してみると、答えも結果も予想外のところに。物語の終わりなら、人の顔にひとつ穴を開けるのは銃弾か笑

顔、エロゲーなら筒と股で終わると相場が。

あなたのそばにと手を握ったり、笑顔のためにと言う正義の味方がよくいます。その平穏すら私が与えたものだとか、私にはその手を掴む

ことは出来ないとか、たまにそんな感じのことを悪者が言います。掴むことの出来た手は離さない、自分が掴めないものは掴むことの出来

る誰かに掴んでもらう。そういう必死な掴む掴めないで命を語る伝統、にぎにぎ、つまるところ赤ちゃんプレイのようなもの。大人が赤ち

ゃんに掴ませたいものと、生まれてくる赤ちゃんがもともと握ってるもののお話。握る手は輪の形、答えはもともと手の中にあるもの。だ

って人間はそういう風に出来ていて、変わらないものを掴んで生まれてくる。という自我・自分についてのお話。

良くわかりませんが、人類史上に現れた物語のパターンを分類すると指で足りるというお話があります。占いは人間をざっくり分類してい

ます(むしろざっくりすぎです)。しかし右脳と左脳と五感の全てを総動員しても、科学が明かしたのは、世界の仕組みの数パーセントと言

われています。仮説と観察と実験はどれも、青と緑と赤の三原色のように、世界のイメージを映しだす大事な要素です。実験を始めるなら

、指の数を数えるのではなく、指を使ってつかむものの為に。日々を数えるのではなく、図形化や記号化されていない、信じるものの為に

。人を数字で数えない、心を型で処理しない、それだけでは成り立たないのも事実ですけど。毎日のように、命の数だけ実験が繰り返され

ているのですから、これから人類が発見する隠された物語形式は、おそらく半端な数ではありません。

ループの破れはループの始まり。リングが数珠に繋がれば、人を縛る鎖が何とか以下省略。

というここまで無意味な前置き。