一見、今までのkey作品から外れているように見えて、やっぱりkeyぽい作品。
【Keyぽくない?】
keyの前作であるCLANNADのギャルゲ的ユートピア世界から一転、
planetarianという物語には、人の欲望によって朽ち果てた廃墟のような世界が与えられている。
また、今作ではKanonやCLANNADで見せた奇跡や、
それを引き起こす幻想世界のような装置が存在しない。
ここから、今までのKey作品とはずいぶんと異なった印象を受ける人も多いかもしれないが、
自分はやっぱりKeyの作品だなぁと今作をプレイして思った。
なぜ、そんな印象を抱いたのかといえば、
世界に絶望した主人公と、主人公や世界を無条件で肯定するヒロインのキャラクター造形や、
人と人のつながりをテーマの一部に盛り込んでいる点がCLANNADとダブって見えたからだ。
【ゆめみ】
今作のヒロインである、ゆめみはプラネタリウムのコンパニオンロボットだ。
彼女は、人の欲望が暴走する姿を体現する殺戮ロボットが跋扈する世界に打ち捨てられた、
人の優しさや夢の残滓を保持する存在である。
>邪気のかけらもないそれらは、この世界では、
とうに滅んでしまった貴重品だ。
たとえ、それがプログラムで仕組まれたものだとしても。
そして彼女は、彼女に触れたものに、その優しさや夢を過去から今へと媒介する。
彼女をプログラムした人の、人を楽しませようとする思いを。
彼女が出会ってきた人の喜びを。
プラネタリウムにのせて。
【プラネタリウム】
プラネタリウムは、世界に失われた星空を
暗室=闇(絶望に塗れた世界の象徴)に星の像を投影することによって再現する。
その星々の煌めきはいわば、世界を照らす希望であるといえる。
>投影が終わっても、俺は目を閉じたままでいた。
星屑は残像のように、今も瞼の裏にはっきりと映しこまれている。
今、目を開けて真の闇に帰るのが嫌だった。
でも、その星空は偽物でしかない。
それは、一時の星の夢見。
しかし、そこに、たった一つの本当が存在する。
それは、プラネタリウムを見た者の、星々の輝きを綺麗だと思う心。
そして、そこから生じた感動。
これらは、決して偽物なんかじゃない。
【planetarian】
この物語のラスト、シオマネキの攻撃を受けてゆめみは壊れてしまう。
ゆめみが消えるということは、この世界から、数少ない人の優しさや希望が失われたことと同義だ。
でもまだ失われていない。
動かなくなったプラネタリウムは主人公の心の中に。
ゆめみの心は主人公の手の中に。
<planetarian>
1、An operator of a planetarium
2、An inhabitant of a planet
彼女の心はplanetarian(ロボット)からplanetarian(人)へ受け継がれた。
様々な人のつながりを持ちながら。
そして、彼女は行く。ただ一つの天国へ。