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renreさんの朝からずっしりミルクポットの長文感想

ユーザー
renre
ゲーム
朝からずっしりミルクポット
ブランド
みさくらなんこつハースニール
得点
70
参照数
783

一言コメント

ナルシズム。

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

注意*以下、すべての文章は筆者のオナニーであり、読む価値はありません。

ふたなり少女で抜くということについて考えてみる。

ふたなりとは女性に男性器をつけることで、男性性を付与する。
その、与えられた男性器は、本来、女性の性器を貫く存在であるが、
今作の主人公である伊織は、いくつかの理由から、その行為を行うことができない。
そして、その本来の生物的な繁殖の意味で使われることのない男性器は、
我々彼女がいない「おたく」の使用されない息子を想起させる。
また、ちんこを使う相手がいない我々は、息子を自分で慰めるようほかないし、
男性器がついていることを知られてはいけない伊織も、自分で息子を慰めるようほかない。

ここに、ヒロインとプレイヤーのオーバーラップが発生する。
伊織とプレイヤーの男性性の一致は自慰の共感を生み、
ある種のシンクロが生じさせる。
つまり、彼女がちんこをしこり、快楽を得ている姿を自分に重ねることで、
自らも快楽を得ているといえるのである。

しかし、ヒロインとプレイヤーを同調させて自慰を行うということは、
自己像を見て、自慰をすることに他ならない。
つまり、ふたなり少女で抜くという行為には、奇妙なナルシズムが存在する。
自分を見てオナニーをすることはあまりに気持ちが悪い。
だが、ふたなり少女は男性性と女性性が混在するキャラクター性を持つ。
この、彼女の女性性、ヒロイン像が、伊織の中の自己像を隠ぺいし、
気味の悪いナルシズムを巧妙に覆い隠す。
ふたなりの自慰とは、何ともうまくできたオナニー補助装置といえるのではないか。