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racernassy476さんのLUNARiA -Virtualized Moonchild-の長文感想

ユーザー
racernassy476
ゲーム
LUNARiA -Virtualized Moonchild-
ブランド
PROTOTYPE
得点
76
参照数
5

一言コメント

keyらしさとkeyらしくなさを掛け持った作品という印象。仮想と現実の世界を行き来するやり取りと、旅人とQのやり取りに隠れたシリアス面の導入方が特徴的だが、メッセージ性を重視していると言うより流れと心理描写に目を向けるように書かれている感じ。心に残るかと言われたら弱いが王道な展開で分かりやすいのはありがたい。Qの天真爛漫さにどれだけ魅力を感じられるか

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

良くも悪くも鍵作品として成り立っている印象。
るなきゅんの天真爛漫さに翻弄されながら彼女の真実に迫っていくという王道な物語が展開されていくのだが、特徴的な書き方をしている訳ではなくベターなので読み物に慣れている方からしたら感動は薄めに感じられるかもしれない。
一応、伝えたいことや感情移入させられる描写は上手いのでそこで挽回出来ている感じはすると思う。
以下の文からは読み終えて思った事を端的に纏めてみる。


・作品を盛り上げるキャラごとの印象
I.LUNAR-Qは月面開発事業のボツマスコットキャラのアンドロイドでダル絡みしてくるという馴れ馴れしさが特徴的な女の子。
相手との距離感がよく分からなくて好奇心旺盛なのは、ずっとひとりぼっちだった彼女からしたら自然な反応なので鬱陶しさを覚えても仕方ない感は歪めない。
後述の彼女のバックボーンを考えると"そうせざるを得ない"と納得させられる書き方は強制的ではあるものの、説明的と認識出来れば少しは気持ちも楽になれると思う。

Ⅱ.T-BIT(狼代旅人)は一匹狼な性格ではあるものの、その性格になるまでの過去が書かれていないので同情出来る部分は少なかったかと。
だからこそLUNAR-Qに素っ気ない態度を取り続けるのを見るのは少しつらかった。
彼に既視感を覚えるとするならば、カーズのライトニング・マックィーンを挙げるだろう。
マックィーンもレーサーで一匹狼な性格であり、ラジエータースプリングスの住民と出会って人との繋がりの大切さを学んで心を入れ替えたからね。
T-BITもLUNAR-Qだけでなく百々咲こんに心を許してる時点で、心の片隅でも良いから絆というものを信じていたんだと思われる。

Ⅲ.百々咲こん(市ヶ谷百狐)はSOFで女性キャラになっている典型的なオタクタイプ...かと思いきやVR環境やプログラム知識を駆使する有能系オタクという隠れたすごいキャラだった。
が彼も背景不足であり、特に旅人との出会いや旅人が心を許すに至る過去とかは少しでも良いから欲しかった感。
ガヤの呼び名も特徴的で分かりやすかったなぁ。

Ⅳ.ミャウ・ミャーフ(イリヤ)は素晴らしいキャラをしていた。
まずT-BITのライバルを自称していて肝心なところで負け続けているというオチが良く、何かと彼の事を気にかけてくれる優しい1面も持つというギャップが完璧過ぎたと思う。
特にレース時でLUNAR-QにT-BITを取られた時に涙を流して「彼の瞳に映りたかった」って言っていたのが完全に負けヒロインとしての決め手だった。
そして何より最大の見所は、LUNAR-Qを助ける為にボロボロになったT-BITを助けたシーン。

「なんであんた、そこまでするのよ。アバターだけじゃなくて、本当に、死んじゃうわよ......」

これはヒロインを救う為に体を張るのは悪いことじゃない、でも命あっての物種だろ?というのをミャウの気持ちと共に伝えたかったのだろうと思っている。
何気ないシーンでもメッセージ性を読み取らせる手法はkeyらしさの発見でもあるかなぁと。
ってかCEOのお嬢様がSOFで語尾に「ミャ」をつけてレースしてるの想像したらなかなかシュールよね笑
ただミャウの時に語尾を忘れたりイリヤの時にミャッが出るのは流石に分かりやすいし、公式であれだけ存在を匂わせてるなら作中ももう少し頑張って欲しかった感はある。


・2つのOPテーマ曲の存在
本作はロープライス作品ながら2つのオープニングがあるのだが「LUNAR RISE」はkey特有の"物語の本質"をほぼ語ってるのに対し、2ndである「プリズムのお姫様」はLUNAR-Q視点での心境と世界観を語っていると推測。
特にプリズムのお姫様は1番の「哀しい笑顔と 優しい嘘 繰り返すほどひび割れていくよ」と2番の「時計が指す微かな さよなら 手向ける笑顔で 涙堪え きみに告げるの」、間奏の「街中を眺めてる そのすべて煌めいている いま分かる 恋をしてるよ 砕けてしまうとしても」で殆ど持ってかれているのだ。
締め付けに演出がすごいと思ったのは「(画面越し ルミナスの王子様よ わたしを導いて きみの側)言えなくて ノイズの中に潜めた」の()内の部分。
あえてノイズっぽくすることでLUNAR-Qの伝わらなさを強調させているのが本当にエモい。


・本作のテーマ
アンドロイドと人間のラブストーリー...というのは表向きで、本作が伝えたかったのは"命あっての物種という言葉は、他者との繋がりがあってこそ成り立つもの"をLUNAR-Qに焦点を当てて伝えたかったのでは無いのかなと推測。
本作の中盤あたりからLUNAR-Qの真相が明らかになるのだが、このシーンからが全てを物語っていたと言っても過言では無い。

彼女の真相元い記録で判明したのは
・LUNAR-Qは根っこからのアンドロイドではなく、プロジェクト・セレーネという月面開発事業に携わっていた女性・天宮美優の一人娘で名は「天宮希優」であること
・月にある施設が断層によって崩壊し、研究員達は地球への脱出を余儀なくされる。当然酸素がないため他の人を助ける余裕なんであろうはずがなく、美優は脱出する手立てを失い捨てられたこと
・セレーネは美優の死を隠蔽するという研究界隈の闇をさらけ出したこと
・美優は自分の命を犠牲にして娘を生かそうと、LUNAR-Qの居場所であるルナワールドを作ったこと
・何故LUNAR-Qは人間としての生を得られなかったのか。それは戸籍等の人間としての証明をするものがなく、AIとして偽装させるしか無かったから

「絶望の世界は、リアルだけで十分だ。せめてここではのびのび暮らして欲しい」と美優は思っていたけど、娘を生かすために希望を捨てきれなかったんだろう。
母が遺したVRでひとりぼっちだった彼女のバックボーンが如何に重く、説得力が伝わる名シーンの1つだった。
「天宮希優が人間としての生を得られたのは、母の行動だけではなくT-BIT達と出会った事で生命線の繋がりがあってこそ成り立った」と言うのをシンプルに描写していくのが本作がメッセージとしてやりたかったことなんだろうと思った。


・コンシューマー化したことの是非
今回はSwitch版でのプレイだが、一本道のお話故にただボタンを押すだけで話が進むので、作品としてならアリだけどゲームとは言えないのが評価の分かれ目となるかもしれない。
ただ「ゲーム性」という観点で考えると、結論を言うとわざわざコンシューマー化する必要性はそこまで感じないと個人的には思う。

理由は2つあって、1つ目は私の相互フォロワーで厚意にしているえりんぎ氏が「終のステラ」の長文感想を投稿されたが、"ノベル「ゲーム」としての遊戯性は皆無"の内容に共感したから。
本作は終のステラ同様に選択肢のない一本道のお話で人間とアンドロイドを駆使しているのが特徴的だが、お話の中での疑問点などはほぼテキストで解説されているので自力で考察したいと考えを持つ方からしたら肩透かしを食らった気分にさせられる事は少なくないと思う。
2つ目は弟にこの作品を紹介したら「ゲーム性が無いから興味が湧かない」と言われたこと。
Switchの「ゲーム」として出すのであればやはり主人公の操作はしたいしアクションも楽しみたい、と非ノベルゲーマーなら誰しもが思うだろうが弟はその認識をしている1人である。
まぁゼノブレイド2から始めてストーリーを何回も周回、やり込み要素も楽しんでいるのだからそれに比べたら...って感じだろうけど。