エロとシナリオが見事に調和したCLOCKUPの傑作。長文は本作の元ネタやその他モロモロになります。興味がある方はどうぞ
冒頭にて、ドイツ新ロマン派の詩人カール・ブッセの「山のあなた」(上田敏 訳)が流れてきます。
山のあなたの空遠く 「幸」住むと人のいふ。
噫、われひとと尋めゆきて、涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く 「幸」住むと人のいふ。
本国より日本の方が有名になった詩なので、ご存知の方も多いと思いますが、直訳すると、
山のずっと彼方に「幸せの理想郷」があるというので尋ねて行ったが、
どうしても見つからず涙ぐんで帰ってきた。
あの山の、なお彼方には「幸せの理想郷」があると、世間の人々は語り伝えるのだ。
という詩意です。
ですが本作では、直訳よりも、むしろ暗喩の意味合いで引用されていると思われます。
山の向こうにある幸せとは、「未だ出会っていない将来の自分自身」のこと。
物理的な距離を移動するだけでは出会うことはできない。
今の自分自身を越えて、また別の成長した自分自身と出会うことができて、
始めて幸せを見つけることができる、と人々は言っている。
という意訳です。
プレイ後にこの詩と主人公を重ねると、ライターが目指そうとした幸せの到達点が見えてきそうですね。
さて、本作は『姦染』でお馴染み、乱交・輪姦描写に長け、画力向上が著しい絵師ジェントル佐々木と、
『euphoria』で一世を風靡して、本作でフルプライスを初めて一人で書き上げたライター浅生詠、
そしてシステム環境が整ったCLOCKUPが出した和風伝奇インモラルADV。
また1872年、英作家サミュエル・バトラーが匿名で発表した小説『Erewhon』のオマージュ作品でもあります。
表題はnowhere(どこにもない)のつづりをほぼ逆にしたアナグラムで、中身はユートピアを舞台にした風刺小説。
ちなみに現代の私たちが素朴に「理想郷」とイメージする「ユートピア」とは違い、
この時代の創作物では非人間的な管理社会の色彩が強く(背景に産業革命の弊害)、
決して自由主義的、牧歌的なアルカディアという意味ではありません。
そんな訳で早くも本作との共通点が見つかりましたが、今回の感想では実際に両者を見比べると興味深いと考え、
岩波文庫『エレホン 山脈を越えて』(山本政善 訳)より要約して、その内容を記載することにしました。
良ければ最後までご覧になって下さい。
主人公ヒッグズは、牧羊を目的に遠い植民地にやってきた22歳の英国人。
牧羊地の遥か彼方の山を越えた地に何があるか興味を抱き、
危険を冒して雪山を越え、激流を渡ってその地「エレホン」に辿り着く。
その国は老若男女誰もが美しく健康で品位があり、長閑で平和な風光明媚の場所であった。
しかし入国したヒッグズは、住人に懐中時計を所持していたのを発見され、拘置所に入れられる事になる。
拘置所には二人の囚人がいて、彼らは外の美しい住民と異なり、病気持ちで醜い人間でした。
やがて牢屋の番人の娘イルマからエレホン語を習ううちに、主人公は次第にこの国の奇妙奇天烈な慣習を知るようになる。
エレホンでは、病気になることや醜いこと、不運や不幸である事が犯罪とみなされる。
それは不運や不幸が人を不快にさせる為だ。
逆に、幸運や幸福であることが限りなく誉めそやされる。
特に、生まれながらに裕福で健康である者は名誉と賞賛を一身に受ける。
幸運であることは既得権益のうちで最も重要とされた。
そのため病弱の両親のもとに生まれ、劣悪な環境で重病に陥った人間の罪は不運である。
また詐取や窃盗を犯しても、皆の同情を買うだけで罪にはふされない。
エレホンでは、外でいう犯罪は人が時々陥る道徳上の病気とされ、手厚い治療を受けられる。
そして、何百年前に機械派と反機械派の内乱があり、結局後者が勝った為、
いかなる器械の所持も犯罪とされており、特に時計を持つことは死刑にも値する重罪とされた。
ところが、ヒッグズは金髪碧眼の美青年だったので釈放され、首都に住む裕福な家庭ノスニボル家の預かりとなる。
そこにはエレホン一の美人姉妹、ズロアとアロウヘナがいた。
ノスニボル家に着くと、主人公は優しい性格の妹アロウヘナと恋に落ちる。
ところが、エレホンでは姉妹は姉の方から先に結婚しなければならないという決まりがあるため、
ノスニボル家はヒッグズに姉のズロラを娶らせようと画策する。
しかしズロアは性格が悪く、主人公はそんな彼女をどうしても好きになれなかった。
アロウヘナへの愛情が抑え難くなったヒッグズは、悩んだ末、恋人である彼女を伴って気球でエレホンを脱出する。
そのあと愛を確かめ合う前に、彼はアロウヘナをキリスト教に改宗しようとするのですが、
彼女は恋人の宗教を認めながらも、エレホンの伝統的に染みついた価値観(信仰)に深く浸っていたため受け入れず、
結局お互いの宗教的差異は埋められなかった。
簡単に要約すると、このようなお話になります。
ヒッグズを幸仁、エレホンを来待村、イルマをサエ、ズロアを稀世良、アロウヘナを十子→サエ、
ノスニボル家を永見家、拘置所の囚人を元村長と置き換えると、
中々興味深い構図になると思いませんか?(最もズロアの性格の悪さを稀世良に当て嵌めるのは酷ですが…)
また最後の脱出場面はサエ√で再現されますが、宗教的差異を文明の違いとして捉える事で、
結局彼女が外の世界に馴染むことなく、主人公に依存する終り方で纏めた点は作者のオリジナリティが出たと思います。
総じて、大まかな全体の流れは似通う部分も有りますが、
エレホンの慣習を日本の因習の村をベースに独自にアレンジして、
其処へ冒涜的なエロスを結び付けたライターの手腕を私は高く評価します。
そして話は飛びますが、
『Erewhon』発表から約30年後の1901年、バトラーは『Erewhon Revisited (エレホン再訪)』を発行します。
これはエレホンを気球で脱出したヒッグズが、その20年後再びエレホンを訪れる御話です。
端的に内容を纏めると、大空に消えて行ったヒッグズが、今やエレホンでは太陽の子として崇められ、
彼を神とする国家宗教が認定されているというオチです。
しかも彼の言行を聖書として、さらにその教えを深化させたというから驚きです。
この話は本作の御廻様信仰にあたりますね。
また序盤よりはむしろラストの方が皆さんはしっくりくるのではないでしょうか。
あと、この小説『Erewhon』は、後の世の多くの人々に影響を与えた作品でもあります。
例えば之に強い感銘を受けた芥川龍之介が、1927年総合雑誌『改造』誌上に『河童』を発表。
また1932年、オルダス・ハクスリーのディストピア小説『すばらしい新世界』にも影響を与えました。
実はこの2作品にも本作が参考したと思われる要素があり、
『河童』では河童の肉を食用とする描写や、『すばらしい新世界』では結婚を否定しフリーセックスを推奨とする等、
シナリオを構成する上でのアイデアになったのではと私は考えています。(本当の所は分かりませんが……)
ちなみに之は余計な文章(蛇足)かも知れませんが、私が元ネタを幾つか提示したことで、
本作を「パクリだ!」とする考えを読み手の方に抱かせてしまったのなら、こちらの落ち度なので謝罪します。
確かに盗作と敬意(オマージュ)は読み手の主観によるものが大きく、曖昧な境界線(グレーゾーン)ですが、
古代ギリシャ哲学者アリストテレスが『(芸術)創作活動の基本的原理は模倣である』と述べたように、
現在のほぼ全ての(芸術)創作物は、その作り手の意識・無意識に関わらず、
過去に見聞きした(偉大な)創作物の影響を少なからず受けています。
私の意見(or客観的視点)として、題名からして元ネタをリスペクトしながらも、独自のスタイルを取り入れて、
作者のオリジナリティを抽出して表現した本作は、一つのオマージュ作品として評価に値すると思います。
なんだか前文が長くなりましたが、ここから内容に深く踏み込んだ重度のネタバレ感想になります。
あと相変わらず文章を書くのが下手で読み難いですが、そこら辺はどうかご容赦下さると助かります(笑)。
さて、作中より年代は1988~1989年。
地図にない村という外界から隔離され閉鎖的な地に足を踏み入れた主人公である幸仁。
そこには美しくも禍々しい赫い椿が狂い咲きしていました。
背景CGの美麗さも然ることながら、この椿にも作中で告げられた以外の意味を私は考えてしまいます。
調べたところ、椿全般の花言葉には「控えめな優しさ」と「誇り」があり、
また色毎にも花言葉が用意されている珍しい花でした。
そして色毎の椿の花言葉にメインヒロインを当て嵌めると、中々どうして綺麗に該当するではありませんか。
赤椿「謙虚な美徳」「控えめな素晴らしさ」「気取らない優美さ」→十子
白椿「完全なる美しさ」「至上の愛らしさ」「申し分のない魅力」→稀世良
ピンク椿「控えめな美」「控えめな愛」「慎み深い」→サエ
これを狙ってキャラメイクしたならともかく、偶然だとしたら非常に興味深い一致ですね。
あと花言葉以外にも椿には「不吉」の意味合いが含まれており、
花弁が根本部分で融合している為、一枚一枚花弁が落ちずにポトッと落ちる姿が切腹、斬首を連想され、
武士階級に忌み嫌われた逸話は有名ですが、その「不吉」の印象が本作のビジュアルに上手に重ねられているのは御見事!
閑話休題、主人公が訪れた来待村。
そこは自分を神として崇められ、村の美しい娘を一夜妻として差し出すある意味理想郷だった。
しかしその裏では、村人が共有妻として女達を犯す苦しみの上から成り立つディストピアでもあった。
女を物や家畜と同義とする合理性の基に盲目的なカルト集団を形成している因習の村。
しきたりという正しさに埋もれて、倫理観や罪悪感の欠如を主人公の視点で語らせる事で、
計り知れない歪みという異様さを読み手へと伝えるのに成功しています。
またライターが民俗学に程よく傾倒している御陰で、エロに転換するのが非常に上手いです。
価値観がヒビ割れ、常識が揺さぶられる空間で、そこはかとない淫らで卑猥な雰囲気を醸し出しているのがその証左でしょう。
その中でも自然と3人のメインヒロインに焦点が当てられますが、私が特に気になったのが稀世良でした。
十子の毅然とした態度に裏付けられた高潔な精神や、サエの死んだように生きている悲哀と諦観、そして生まれる劣等感。
良く言えばキャラ立ちがしっかり為されている一方で、何処か既視感を覚えずにはいられないその佇まい(設定)。
新鮮味という面で少し物足りない印象を抱く中で、稀世良は私の中で抜群のインパクトを残しました。
ビジュアルは古風奥ゆかしい清廉な印象で着物が似合う美少女だけど、
(CV.小波すずさんの)薬物染みた脳に直接語りける様な甘い声色により、非常に蠱惑的な魔性の少女に変貌。
それに慣れてしまえば、優しく柔らかくとろけるような可憐な声の中毒性にヤラれてしまいます。
また主人公に対して被虐と加虐の混在した歪な愛情を向けるヤンデレぶりを発揮する事で、
赤ん坊を上手にあやすかの様な滲み出る母性を感じさせながら、
ロリ娘に便器やちり紙やら玩具扱いされる内に、何か新たな性癖に目覚めそうで別の意味で恐怖しそうです (笑)。
あどけない可愛さと淫靡な狂気が同居しながらも、大和撫子で好きな人に尽くすタイプなので、
どこか憎めず、同時に好感を抱かせるという不思議な魅力溢れる素晴らしいヒロインに思えます。
(しかしながら、その影響で後半における彼女のあまりの出番の少なさに心底残念がりましたが……)
そのヒロイン陣から好意を持たれる主人公。
だけど彼は社会の歯車として摩耗して擦り切れていった何もない無気力な青年であり、
ここではない何処かへと憧れる、ある意味で普通の人間でした。(悪く言えば没個性)
村人との対比を際立たせる為、現代の普遍的な価値観と思考に染まっていますが、
癖の無さと馴染みやすさが共感を呼び、自己投影という点で不快感も少なくプレイに没入できたと思います。
神様扱いされながらも思う様にならない展開や自分が堪えられない現実に対して、
罪悪感からの解放や死にたくないと云う生存本能を行動根拠にしている姿は、いかにも人間味を感じさせます。
踊らされたり、葛藤したり、身勝手に押し付けられたりと容赦のない選択がつきつけられる中で、
彼の苦しみが伝わる演出が、今までの迷い諦め続けた根無し草の人生を断罪されているかの様に非情であり、
私(プレイヤー)にも跳ね返ってくるかの如き痛烈さに心が軋んできそうでした……。
(ただし主人公の不自然な加虐嗜好性に関しては、あからさまにライターの性癖嗜好を主張し過ぎた印象を受ける次第)
その後の後悔を抱かない選択、もとい幸福への道を歩む地獄巡りは最後に述べるとして、
そろそろ本題であるエロについて感想を書いていこうと思います。
おかずに使える指標として、一番上のとても使えたに私は評価しました。
絵師の一皮剥けた肉感的な描写や適度なアヘ顔も好印象。
特に和風伝奇な雰囲気で、下品な淫語をかます女たちのギャップに興奮します。
それとメインヒロイン陣の主人公による和姦と凌辱も、ソフト・ハードのメリハリがしっかりと効いており、
(上級)アブノーマルとは一歩引いた万人向けの性交が終始展開される事で、
後半における熟女との交わりにも抜群の安定感を誇りました。
因みにコンドームの概念がなく衛生面もお世辞にも良いとは言えない中でのHシーンの半分は輪姦・乱交三昧。
性病で死にそうというツッコミはさておき、グラフィック関連、主に塗りの上手さが際立つCGは流石です。
また射精カウントダウンといった環境周りも充実している御陰で、総じて気持ちよくプレイする事が出来ました。
あとはスタッフコメントを聞いて声優の演技力に改めて脱帽した次第です。
それでは最後になりますが、ラストの章「紅い悪夢を喰む」について。
伏線回収を兼ねた構成は長き生を巡るTry & Error方式。
徐々に明かされる真相や恐怖を煽る演出に、意識が持っていかれるかの様な魅せ方が非常に上手い印象。
稀世良√で主人公を襲い帰らせようとした謎の人物も、明記はされていませんが自ずとその正体が分かってきますね。
また人魚の肉しかり、ここでは中国の伝説における正体不明の太歳を持っていく事で、
独自の見解を交えながら、伝奇ものとしての体裁を整える事にも成功しています。
オカルティズムの浸透による世界観設定の崩壊を、最小限に留めようとする工夫が見られるのも好印象。
それに主人公の視点から一時的に離れて各人物の心理描写を丁寧に表現する事で、
全体に深みのある作品へと仕上がっているのも特徴の一つでしょう。
そして物語は佳境(血塗られた過去)に。
千年の恨みが発端となり、食らい(カニバリズム)、犯し、破壊し、奪う。
そんな人間の欲望の本質を突き、砕かれた人間への信頼に追い打ちをかける醜さと非情さの発露は凄惨を極めます。
ちなみに本作は、人生を無茶苦茶にされた一人の女の復讐心が軸になっており、
無慈悲な喜びを糧としながら村に関わるあらゆる全てに永遠の苦痛と不幸の坩堝に落とそうとする狂気の沙汰は、
物語全体に張り巡らされた因果(応報)を象徴し、読み手の理解を得やすい流れを構築できたと思います。
その上で複雑に絡み合った糸を断ち切る術を主人公の行動に託しながら、
最終的にプレイヤーの選択に委ねる演出は興味深く感じました。
悪夢を喰らう前のクソみたいな人生を振り返りながら、終わらない生を生きるだけの無間地獄。
思考停止と逃避という狂えない伽藍堂を埋める為に、愛した人の理想に追従し夢想してゆく日々。
何度も救いに手を伸ばそうとする彼の逡巡と、
その決断によってもたらされる絶望に心を痛めずにはいられませんでした。
結果、作品全体を通して彼の救済を描こうとする意図(テーマ性)が見えてきます。
その役目をプレイヤーの選択肢に委ねる事で、定まった運命からの脱却と複数の救いの道筋を提示して、
冒頭の詩の様な幸福に出会う手助けをする狙いがあると考察。
しかしながら、どの結末も真の意味で主人公が救われたのかは疑問が残ります。
少なくとも彼は何かに成れたのでしょうが、それは普通の人間が憧れ、望んだ自分の姿とは言い難いはず。
「未だ出会っていない将来の自分自身」に出会う事が幸せの形なのだとしたら、
本作における幸福とは、従来の意味合いと変わってくるのではと考えてしまいます。
それがライターの心の蟠りになったのかも知れませんが、
特定のENDにおいて、最後に主人公が赤から白い世界へと旅立つ(消失した?)かの様な演出がとられています。
結末を敢えて暈す試みは、偏に読み手の想像力に任せたと言っていいでしょう。
その先に彼が真に願った幸福と救済がある事を信じて、ここらで筆をおかせてもらいます。
長々と最後まで御読了どうもありがとうございました。
もし宜しければ、忌憚のない感想などを戴けると嬉しいです。
【追記】
心残りとしては、結局真のヒロインは十子なので、稀世良推しの私には複雑な感情が芽生えたことですね……う~ん残念。