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peacefulさんのフェアリーテイル・レクイエムの長文感想

ユーザー
peaceful
ゲーム
フェアリーテイル・レクイエム
ブランド
Liar-soft(ビジネスパートナー)
得点
90
参照数
461

一言コメント

Liar-softの傑作。長文は妄想駄文と本作のメッセージ性に関して……

**ネタバレ注意**
ゲームをクリアした人むけのレビューです。

長文感想

【妄想駄文】

人間誰しも子供の頃に漫画や小説、ゲームやアニメ、果てはスポーツ選手やアイドルといった登場人物に自分を重ねる、
もしくは新たな一人(自分)として物語に加わるといった、妄想に耽る遊びを経験していると思います。
一人遊びや妄想癖、中二病の邪気眼と言い方は様々ですが、
(他にも想像、夢想、空想、幻想、幻覚、架空、連想などありますが、本文では妄想で一括しています)
時間という束縛を一時的に忘却させ、妄想の世界に意識を手放しながらも、
自らの思い通りの物語をなぞることで、簡単に精神的充足感を満たせてくれる。
そうした己の内に籠りながらも楽しめる脳の働きは、人間の優れた思考機能だと私は思っています。
特に自分が持っていない才能や資質のある人物や、現実に叶えられない魔法や異能といったファンタジー要素に、
強い憧れを抱く人は、叶えられない願望を妄想によって代替するのは良くある一例といえるでしょう。
(他にも思春期における異性に対しての性的衝動を妄想によって解消するといった行為など)
また、イマジナリーフレンドといった自身の妄想の中だけに存在する人物を作り出し、
会話といった自問自答や助言、自己嫌悪に対する具現化などと幅広く役割を持たせることで、
対人関係を学びながらの自己の確立といった、子供が健全に成長するための通過儀礼を果たしてくれたりもします。
それだけ幼少期から青年期まで、私たちは妄想によって支えられてきたといっても過言では無いかも知れません。

ですが成長するにつれて、他者との関係性が築かれ、その中で生きる現実に専念することで、
知らぬ間に妄想する行為から遠ざかってしまいがちになると、聞き及ぶことがあります。
(また大人になるにつれて、イマジナリーフレンドも自然消滅する傾向にあるようです)
つまり夢を抱ける子供時代ならまだしも、既に現実という壁が見える大人には身の丈の生活を心身共に迫られる、
社会の場では一人で妄想する行為が恥ずべき風潮が築きられつつあるというのは、正直私には嘆かわしく思えました。
むしろ現実を知り、叶えられない世界があるからこそ、妄想や夢に縋るのが当然な人間の在り方なのではないでしょうか。
子供の専売特許ではなく、例え大人になっても妄想に耽るのは、決して恥ずべき行為ではないのだと声を大にして言いたいです!
そもそもエロゲーにおける無個性主人公なんか、我々が自己投影しやすい最たるものです。
とりわけシナリオADVは妄想の輪を広げさせ、ゲームをより面白くさせてくれる要因にもなってくれます。
また大人になったからこそ、過去に蓄えられた知識や経験によって妄想に磨きがかかるというもの。
それが延いては、創作意欲というインスピレーションやモチベーションに繋がることで、
過去の偉大な芸術作品や大衆娯楽を生み出す土台になったと、私は考えています。
(妄想無くして素晴らしい創作物は生まれないのが私の持論)

しかし同時に過酷な現実に阻まれた故に、妄想の世界に閉じこもってしまい続けるのは問題といえるでしょう。
前置きが長くなりましたが、本作はそんな妄想という檻に心身を絡め捕られた者達の物語です。


【本編感想】

記憶の断片を都合のいい形に組み合わせ、理想的な童話人格に生まれ変わる:お伽噺症候群(フェアリーテイル・シンドローム)
そんな童話世界に耽溺する可憐な少女たちが織り成す、美しくも残酷なメルヘンチックミステリー。
原画:大石竜子が描く幻想描写に目を奪われながら、フンデルトヴァッサー(オーストリアの芸術家・画家・建築家)
を彷彿とさせる飛び出す絵本的演出に心惹かれます。
そしてシナリオに関しても、妄想に囚われた彼女達に、何も思い出せない空白で灰色な主人公が関係を持つことで、
相互に失われた記憶を取り戻し、楽園という名の病棟の秘密が徐々に明かされる構成や設定は、大人になっても心躍る演出です。
しかも物語を進めるにはアリスを除き、ヒロインの童話をなぞる、もしくは彼女達の想い(選択肢)に応える必要がある点。
つまりプレイヤー(主人公)は、童話世界での登場人物を演じる役者のようなポジションを迫られる形になるわけですが、
ある意味子供時代の妄想遊びに回帰するようで、物語に深く嵌っていく自分がいました。
また、この絵柄で凌辱ゲーとのギャップに痛快さを抱きながら、貪る獣側の大人を実写加工のモザイク演出することで、
童話世界に人間味という生々しいエロさを極力排除して、世界観に沿った怪物的な薄気味悪さを提示できたのは高評価。
総じて、大人向けの童話エロ作品として高いクオリティで仕上がっていると思います。

(ここから重度のネタバレが含まれます。未プレイの方はご注意を)












最後に本作全体を通して、二つのメッセージ性を自分なりに読み解くことが出来ました。

一つは、現実を否定し妄想に逃げることへの卒業をテーマした「別れ」。つまり妄想にレクイエム。
特定のヒロインを除き、侵食する辛い現実に対し、壊れやすくて破れやすい繭の心に空想という殻に閉じ籠る、
例え外的要素(洗脳)による結果としても、逃避と忘却の欲求が、現実を変容したい下地になっていたことは否定できません。
つまりお伽噺症候群とは、ある意味自閉症スペクトラム障害の中のアスペルガー症候群のようなものかと。
(言語・知的障害はなく、コミュニケーション・対人関係の問題、限定された物事へのこだわり・興味が強い症状)
この症例の発生原因は不明ですが、本作ではPTSDに重きを置いているようで、
人為的に空想の物語に溺れながら、故意的にそれに依存しているのが楽園の患者だと云えます。
TRUE√では、そこからファンタジーを反転させるギミックに、現象の悲劇と真実の喜劇との落差の演出が加わることで、
零れ落ちた者へ引き上げ、つまり固い殻を割り、孵化させる救済という試みがなされている事は今作最大の注目点。
レクイエム√とも呼べる物語の着地点は、銀の靴による竜巻を起こし、カンザス(現実)に帰る事を意味します。
誰しも辛い時は、思考を放棄し自分の世界に逃げる事があるかも知れません。
それでも何時かは、外への不安や恐怖といった自身の闇と向き合い、
己の境遇へ立ち向かう強い意志(克己心)を持つことの大切さを説いているのが、物語を通して私に伝わってきました。
そして最後は子供から大人への成長で幕を下ろし、ご都合主義要素を活かすシナリオとして良く纏められた作品だと思います。


もう一つは、童話世界で留まることをテーマにした「依存」。つまりフェアリーテイルという妄想を現実に。
本作でのピーターパン・あるいは楽園√における、主人公やヒロインズの選択がもたらした真の意味での楽園。
曰くネバーランドにおいて、理不尽で悪意と偽りに満ち満ちた悪趣味な楽園という現実から、
失われ・奪われた当たり前の幸せを、頭の中の妄想という認知によって掴み取ろうとしたエンド。
絶望に陥りながらも希望へと縋る道筋を、主人公がピーターパンになる事で提示したわけですが、
罪人になったとしても、それで得られるのは、ほんの束の間の楽園を享受することだけです。
ラストが童話風のファンタジー的な締め括りで、真相をぼかしながら終わっていますが、
実際に想像の翼を広げると、妄執に囚われた故に、救いが無い現実が待ち受けているのが目に浮かびます。

そういう訳でテーマ性に関しては、敢えて語弊のある書き方をして申し訳ありませんが、
恐らくライターの方々は妄想に溺れ依存することを肯定していないと思われます。
むしろ妄想に逃げ続けて、囚われてはいけない、という意味での反面教師的なテーマ性ではないかと考察しています。
私が大人になっても妄想遊びは恥ずかしくないと先述しましたが、あくまでそれは現実を生きる範囲内でのことです。
自虐と自責で雁字搦めからの現実逃避は、また意味が違ってくると思われます。
乖離する現実感のままでは生きられないという教訓を、作中に漂わせることで、読み手の方で解釈してもらいたい。
そんな意図的なメッセージが物語の随所に込められていると、本作を通じて感じられた作品だと思います。


さて、どちらもニュアンスが異なっているようで、方向性は微妙に似ているのですが……。
自分でも分かり辛い文章になってしまい申し訳ありません。
(前者が対処療法ならば、後者はショック療法のようなものと考えてみて下さい)
ただ誤解なきように書きますが、どちらも妄想する行為そのものを否定しているのではなく、
あくまでも現実に支障をきたすくらいに、過度に溺れることへの警告と捉えてくれれば幸いです。
まるでドラッグみたいですが、実際に現実逃避から鬱病や自閉症が発症したりもしますからね。
現実と妄想の棲み分けをキッチリ熟すことが、ライターが意図した人間として求められる生き方なのではと考えています。